三月ネット買い物
        初トライ 顛末・・・

不慣れでかなり もたついた。


以前は  通販誌で注文していた、

注文品が宅配されると、中に払込票が入っていて、
それを持って、コンビニで支払いする・・・


前払いする・・・という観念が薄い、

着払いは もし 不在時に届くと めんどいので

コンビニ払い専科だったんです、、、



三月スタート、いろんなことに チャレンジしようと
決めて、ネット注文を 仕掛けたのであったが・・・
かなり 手こずって、一つは 支払い期限過ぎて 
無効にした、

一つは 何とか 届けてもらえるとこまで いった、、、



   
    3・11日・・・
      お届け日

3/11・・・?  あ   あの日・・・


と 気付くまで 少時 かかった、申し訳ないことです、


数年前にも 書いたことですが、

当時 当地では・・・、


わたしは 午後~仕事に向かってる時、

氷雨が降って、寒い日で・・・、

2時45分くらいに事務所に着いて、事務員が何か
言われて

 ・・・ん?、  えぇ~、  寒いですよねぇ~、

ノー天気な応答をしていた(・・と思う)



駅から歩いてて、駅周辺 ひとも車もまったく なんの
変化もなかった (・・・と思う)


自転車で走っていた同僚も 知らずにいた・・・という、、、

地盤が固い土地だったのか まこと この未曾有の
揺れを 知らずに過ごしていたのである、、、



ことの顛末を知ったのは 夕方になってからである、


自宅のある地では 揺れたようである、
震度3・・くらいだったか・・・、

 *この日、体調を崩して会社を休んで自宅で寝ていた
  次女は 揺れで 布団から飛び起きた・・と。



  


    あれから 6年

震災地では まだまだ  復興が遅れている地域も
あるようだし、  ニュースなどで知る限りでは
物心とも 傷ましい後遺症が 残る様子で・・・、


これもまた 時々 書いてるのだが、

リニアだの  オリンピックだの
そういうのに 莫大な費用かけてる場合??・・・

その前に やらねばならぬこと  いっぱいいっぱい、
あるでしょうに・・・、


・・・というのが 正直な気持です。


先に更新した記事のは 昨日から書きかけ、
予約投稿したもの、

昨日も今朝も  多忙で 新聞も読んでなかった、

    
  

   3・11 祈り・・・  

気持が遅れてしまったこと 肝に銘ず。


その時のその時間が近づいてきた、  祈ります。

  
  

***本日 二度目の投稿です


  3/7寒いけど春DSCF5539

 まだまだ寒い日がつづくけど !!

   1ヶ月前 
     こんなことが遭った

13日金よう日 午後  大型スーパーへ出掛け、

その日は次女と一緒で1歳になったばかりの坊やを
連れていた。 


ベビーカーも嫌がり、買い物カートに乗るにも嫌がる、 
なんとかなだめすかし、幼児用の車の形のカートに
乗せ、、、 


が、数分で飽きて 立ったり身を乗り出したりする子に 
気を取られ、買い物もほんの少しで済ませ、セルフレジ
に急ぎ・・・、おつりも取って・・・、


チビちゃんに持たせた幼児用の小さなカゴとカートを 
元の定位置に戻し・・・、


その辺りで・・・、   


貴重品・札入れを 無くしたようだった。




・・・が、それに気付かないまま お店から出て、

帰宅してから、 買い物用の布袋に お財布が
入ってないことに気付いた。
 


無くした場所の見当はついたので すぐ店舗に
電話で問い合わせた。
 
店を出て~その間、20分~ほどのことと思う。



  スタッフ 曰く

  ・・・有りました、   が、   
    先ほど  取りにみえた方に お渡ししました



  ・・・??!!

全く身に覚えなく、急いで店に出向き、詳細を尋ねると、 


(セルフレジの担当者の台の下に落ちていたようで、
 それはわたしの予想通り・・・、
 坊やの乗った自動車カートを片手で押し、バッグ持った片手で
 小さなカゴを置きに 行ったところ。)





セルフレジ担当者が拾って、  店内案内で、 


 名前を伝えたうえ(中のカード?などから判明・・) 
 ・・・お財布を預かってます

と 放送された由。 



その直後、  男性が来て、 「***です」

 
 案内放送された名を言って、
  ・・・取りにみえたので お渡ししました


と  セルフレジ担当だった女性スタッフ。



  放送案内された名前(フルネーム)が女性なのに、
  それなのに 男性に 即 渡したんですか??!!

  このような場合の規則ルール、遵守とか無いんですか?!

何を訊いても
  「・・・ハイ、 スイマセン、」 

ちいさな声で繰り返すばかり、

埒があかない、

  
後で聞いたのだが、
  オバの ・・・とか言ったらしい、
  無くしたすぐ後・放送直後に、 オバ代理が
  取りに来る、って
  通常あり得ます?? 


  これも後になって謝罪時に責任者を通して 聞いたことには、
  ・・・そんな悪いひとが居るとは思わなかった と。




身元の証明提示もせず、メモも何もなく、

なんの疑いもなく、ただ 渡したようだった。


 
 受け取ったそのあと、 男性はどうしました??

 ハイ・・・、すぐ 外に出て行かれました・・・



そこまで聞いて、 

わたしの足が崩れ折れそうになった。

全身が震えた。

血の気が引いた。   



電話で問い合わせる少し前の出来事だったようだ。


間に合わず。


大切なモノが いっぱい詰まった思い入れのある
貴重品、



   もう 戻らない。

その女性店員さん、 ぼぉ~、と立っているばかり、

 店長呼んでください 
 警察にも知らせてください

わたしが頼んだのだ、  


同行してくれた次女と、
慌てて、上着も着せず坊やを背中に負ぶい紐で
せおって出て来たまま、、、


店先で長いこと待たされ、

その後も 警察の調書など ずいぶん時間も掛かった、  



警察は  「初です  めずらしいケースです」
と言われた。




     三つの不運

*当人の注意力散漫・落ち度
*案内放送が 詳細過ぎたこと・ スタッフの不手際?!
たまたま? 悪意ある人物が居合わせたこと


落とした当人の落ち度ありき・・・の前提であるも、

それにしても
店舗スタッフの対応は 普通、あり得ないでは
ないか??


ちゃんと 通常(常識でもある?)の対処が守られて
いれば  ゼッタイ 防げた事例だと思う。


取りにきた男性とやら、おそらく イチかバチか、・・・
で 動いたと思う、  普通なら あり得ない0,000・・・%てんじ
の確率の賭けではなかったか、、、



フツー でゆけば
悪意の行動は未遂、未然に防げ得て、
その男性も悪事を 起こさずに済んだ?出来事では
なかったか、、、



     タラレバ・・・
 
 もし  別の店舗であったら
 もし 名前や 落とし物の詳細を伏せてくれたら
 もし その女店員さんが別のひとであったら
 その場に 悪意あるひとが居なかったら
 もっと あの時気をつけてれば
 すぐ 気付けていたらば

タラレバ     ムナシイ   タラレバ   タラレバ・・・

タラレバ  ・・・、



   
    心底 疲れ果てた
 
夕飯の時間もとっくに過ぎている、 
お腹が空いただろうに、、、 背中の子は
泣きもせず、、、


すっかり時間が経って遅くなって、 やっと
家に帰りついて、


お腹も空いただろう、
長いこと背中で窮屈だったことだろう、、、
 
・・・ゴメンね、ゴメンね、

 背中から降ろすと、

坊やは すぐそこにあったオモチャで遊びだした。

無心な顔して。



この日この時、 ふぅ っ~~、  涙が滲んだ。


   
   

   *** 上記 記事は   

当記事 1/14日  「トラブル続き」 
      15日  「注意力散漫」

合わせて二編を 
前編として、  その 後編 にあたります



    その後のこと

店舗側の本部や責任者は 誠意をもって謝罪の意を
尽くされたと・・・と思う。



当人の落ち度が発端でもあり、迷惑を掛けたことへの
悔い・反省もしている。
(××を落としたのは 初体験です)



が、わたしにとっては、いろんな面で かなり 
衝撃的な出来事であった。

無くしたものの跡始末、手続き・・・、
不安と恐怖に苛まれながら 奔走し 苦労した、

  
トラウマで 店舗にも行けなくなってしまった、、、


こころに受けた傷は深い。



そんな時期を経、ようやく  ここに 

こころの区切りをしたく 記事にしたものです。


店舗側へ非難の意をするものではない・・・ことを
付記して

  ~~~了~~~

と します。

   
   カテゴリーの設定で

悲嘆からの出発・・・を入れようと思い、
ふと そのタイトルで 検索してみたら

自分の過去の記事 が  ヒットした

悲嘆からの出発
   数年に1度の
     スーパームーン

昨夜は 雨☂(;_;)で見られず

今夜 ☀晴れてくれれば・・・




   数日前の七五三

   帯DSCF4861 ai姫 7歳


   11/12七五三DSCF4859 編DSCF4860 


  

小春日和にて 

   キューピー坊や お庭デビュー
   1DSCF4837 - コピーお庭デビュー  
  
   2DSCF4840 - コピーままごとデビュー



   公園のブランコデビューも。。

   1DSCF4842 - コピー

  2DSCF4844 DSCF4843.jpg



   
   坊やを抱っこして

・・・の散歩は 重くて、、、 

40㌔のババが、活発に動く8㌔を抱いて歩くのだ、 
ふらふら よれよれ、、、です、


そんな時、通り掛かった道の端で、 
若い奥さんとリュックを背負い、杖をついた年配の方が
ナニか 話してる様子で、


若い方が 助け?を求めるごとく わたしに訊ねて
来られた、


杖の年配者が 古墳?! を探しておられるらしい・・、


  あぁ、それなら  この辺りにありますよ、

  どの通りだったかしら、 あっち?こっち?!

  たぶん、 この道を まっすぐ 3~400㍍も
  歩かれれば ある・・・とおもいます。。。



丁寧にお辞儀をされて歩いていかれる姿を 見送り
ながら、、、

 この道で良かったかしら・・・、

一抹の 不安はあり、、、


しかし
抱いてる子の重さで、 従いていくのは断念した。 


   


   数日後、ウオーキングついでに

先般の古墳の(・・あるハズの)道・・・を進んでいき、
一本 間違えてた・・・ことに気付いた。

もう一本 南側の道だったのだ、

それは 住宅街にあって、行き止まりにもなって、
分かりづらい通りなのだ、


   はぁ~~、

杖をつかれた年配の方に 間違った道をお教えする、
なんて、  ナンテコッタ、、、

 なんで、あのとき、
  ・・・もしそこに古墳が無かったら、もう一本
  辺の道を行ってください・・・

って 言わなかったんだろう・・、

じぶんの ドジ、ドジ加減、  ドジリスト・・に
愛想がつき、

申し訳なさで 数日  落ち込んでしまった。

  

実は杖をついたご婦人、地域では少しく知られた
お方で写真家?の Iさん。(・・・と思われる)


しばらく お見掛けしてなくて、背の曲がられた姿で 
杖ついて、、、 すぐには分からなかった、

が、間近でお顔を拝見して、たぶん その方だと思う。


ネットで調べ、 

2015.1・14 「米寿のカメラ女子2人の写真展」
というのをされた・・・までは分かった。

かねてお名は見知っていても ご住所までは
存じ上げないし、
ネットでは無論 分からない、、、


詫びようもない、、、


後日、 若いご婦人のほうに出合い、その折、
あとを追いかけて、確認して 一本逸れた通りで
古墳を見付けられた・・・

という話しを聞いた。  



ホッ! いくらか 安堵したのだった。

 
  古墳1

 
   2DSCF4873 


  4DSCF4869 
  

   5  6DSCF4846


 
  *** 今日 これから月に逢いにゆきます
  
  では また。 


   サンデー版のコラムに

 「見舞いの作法」という文が載ってました。


内容は  
大地震のあと、すぐに、親しい友人に後先考えずに
電話したこと、
それを 筆者は
 ・・・相手の状況を無視した自己満足・・・でなかったか、
 ・・・「心配しているよ」という気持を相手に押しつけている
   のではないか、と 猛省した。。。

というものです。


そして何に限らず 「見舞い」 は難しい。
病気見舞いに関しても、 すぐに役立つ見舞金に
添えて、心を込めた手紙を贈れば、直接会うより
お互いにで楽はなかろうか、、、

と 締め繰られています。



   その通り・・・

わたしも  知人などの 見舞いには気遣います、

知人同士 互いに話し合って まとまって行くとき
以外は、 自らは 積極的には行きません。



   病人抱かえて

かって、夫倒れ 
看病と仕事、こどもたちの世話、、、
日々、七転八倒、疲労困憊している状況のなか、

病人も 衰弱した姿で 会いたくない・・という
意思も確かめて、  断っても断っても それでも、  
 「行きます」 と  強引にやってきた縁者のひと
いました。。。
  

” 会いたい、見たい・知りたい”、、、 の気持ちは
分からないでもない、
けど  それって 病人側の事情を慮る・・を越えて、 
自分側の気持優先じゃない?? 


来て会って確認?して、それで 見舞った側の気分は
一応済む・・・


極端な表現かもしれないが、自己中の一種じゃない?
(・・・と当時は思った)


   
  
    旧友と疎遠に

夫・最初の入院時、 長女は高校受験勉強中、
次女はまだ 小学生、

わたしは 銀行に再就職して、間もない、


夫の病変を知った旧友(男性です)から
電話が入った。

「どうした?   今からそっち行くよ」


わたしは 簡単に事情を話し、 辞退した。



その旧友は わたしの独身時代、引っ越しなど
手伝ってくれたり、
仲間同士でスキーに行ったりもした 古くからの友だち。


わたしの結婚後、明朗な夫ともすぐ親しくなって、
頻繁ではないが、家族ぐるみの交際だった。

   

「いいから、 ちょっと・・・、 すぐ帰るから・・・」

事情は話した。 夫の病変のことも。 


娘たちが居間のやぐら炬燵で、勉強してて、
他の部屋は凍えるほど冷えている、

わたしも 仕事を終えて、夫の病院の用事、
明日の支度、 片付け・・・、
やらねばならないことが溜まってる、


困る!   正直 そのときの来訪は迷惑だった、
 

が、相手は  何思ったか 訪問の意思を曲げない、
何度か  不毛とも思える押し問答がつづいた。


  (・・・なんでよ、 なんで分かってくれないの?!)

たぶん、旧友は  明朗快活な夫の安否が
単に心配だったんだ・・・と、(今なら 思う)  


どうにか 断り通したが、 いいようのない後味を
残した。

   
     
    後日

夫が退院し自宅療養している最中、
その友人は 
 「近くまで来たから・・・」
といって、 いきなり直接 家にやってきた、


自営業の大きなトラックに乗って、、、


夫は 病後とはいえ、本来の明るさで 
見舞い客と話しに興じ、 結構な時間が経った、


ふと 気になって  外へ出てみると、
トラックは、、エンジンが掛かったまま、
我が家ではなく、隣家の真ん前に停め置かれていた・・・、


慌てて 移動してもらったが、 日ごろから気難しめの
隣家に冷や汗をかいた。



すぐ 暇(いとま)するつもりが 
つい、話しが延びてしまった、
夫思えばこその  見舞い・訪問・・・だったのだ、


が 当時のわたしは たぶん、夫の介護やらなんやら
で 神経過敏にもなって、余裕も無くしていたんだと、、、

と思える。 



   その時以後

賀状の返事を出さなかった、 
双方の移転も重なって、  以来 
疎遠になってしまった、、、

  
いくらか トシの功?!を経た今にして、
今更ではあるが 自分の至らなさ・短絡さ、
に身を縮めている。。。



 
   ひと それぞれ

療養の内容や事情によって、一概には括れない
とは思う、 


ことほどさように ”見舞い作法” の難しさよ、、、



ただ わたしは 今後 療養するとしたら、
家族以外の見舞いは 辞退したい。   


色々気遣って疲れるし、 やつれた・・・程度なら
ともかく、
見た目 見間違うほど ひどい容姿・様子をさらす・・
のは辛いし いやです。 

 繁華街へ
 

  その前に母の居るホームへ行った折、コンビニの駐車場に
こんな可愛い??に出遭いました、パチリ!
 
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テレビ塔・健在?!です


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繁華街に出るのは今月二度目。

本日は姉の所属する「主体展」50周年記念
を見に、芸文センター・県美術館へ。

懐かしいテレビ塔。

昔 テレビ塔横の興和薬品部に勤めていた頃は
お昼休みに、この辺りのベンチに座って、
アイスクリームなど舐めたりしたもんです。

ほんとはもっと街に出掛けたいんですけど、
交通費が掛かりすぎる、、、 
 JRって高いんです(怒)

名古屋市内のひとは”敬老パス券”-今は名称が変わってるかもー
があって、年齢・いくつからだっけ?? 65歳位かな??
があって、地下鉄やバスが無料であちこち出掛けられます、

が、郊外のわたしたちには、そんなもん、ありゃしまへん、
何処へ行くにも高い切符代払ってJRに乗らないといけない。。
他にはバスしかないし、これも高い!"(-""-)"


世の中、ちょっと不公平じゃありません??




    

    街のど真ん中に

先回、繁華街へは、やはり姉の絵の展示もあったギャラリーへ。

ギャラリーのあるビルのすぐ横、街のど真ん中に観覧車があります。

149観覧車1

149観覧車2DSCF0434 


規模は小さいですが。
乗ったことはありません、、、


 
 


    ん、、、、カバヤキ??!

149蒲焼1 149蒲焼2DSCF0438






          姉の小品・「灯り」
DSCF0444.jpg 



       狠だって哀しい

 

 

 

 東北への長旅に出掛けた折り、慶子は片道だけ同行した。

 

 そのとき、慶子は<結婚>が決まっていた。

ケッコンしたくない、イヤダイヤダ・・・、呪文のように

唱えて悩んでいる最中に、わたしの東北旅行に行くという話を

聞いたものだから、たちまち、

行きたい、行く!

・・・、バタバタと同行することに決まってしまったのだ。

 

 婚約者が指折りかぞえて待っているのに、のんびり長旅を、

なんてわけにもいかないから、じゃ、片道だけ一緒に行って

途中で帰ってくる、という具合に折り合いをつけた。

 

 ここでは、東北長旅の道中記を書くのが本筋ではない。

なぜ、慶子がしたくもない結婚をすることになったのか、

それを書くのが目的である。

 

 

 

         ☆



 慶子はその頃、元同級生だった原田と時々つきあっていた。

 

原田某は、わたしの記憶にほとんど残っていないくらい、

おとなしい目立たない生徒だった。

学校の先生をしているという。

 

 慶子に言わせると、「恋人だなんてとんでもない、時々電話が

かかってくるから、会って話をしたり、音楽を聞きにいったり、

・・・」  

 そんな程度のつきあいだったらしい。

 

 

 その日も市の公会堂で音楽を聴いて、その余韻のまま、

ひと駅ふた駅ほど、歩いて帰ることになった。

 

 今では車がひっきりなしの明るい通りなのだが、当時のあの辺り

は夜ともなると暗い堀川運河が横たわっていて、車の往来も減り

人影も途絶えてしまう。

ふたりは、連れ立って暗い夜道を歩いた。

 

 

 

 

歩いているうちに、原田の様子が変になって、突然、慶子の

身に覆いかぶさってきた。

 

 真面目な男が思い詰めると怖ろしいいことになるのか。

 

これまで常に紳士だった元同級生がトツゼン、送り狠に豹変

したことが慶子にはすぐには信じられなかった。だが、目の前に

迫ってきた獣の狂気のような眼を見ると、恐怖で息が詰まった。

 とっさに身を翻して逃げた。

 

 原田は背が高い。小柄な彼女はたちまちにして追いつかれる。

かろうじて逃げ、追いつかれ、逃れして、とある民家の車庫に

逃げ込み、そこでついに追い詰められた。

 

 あわや、絶対絶命!というところで、慶子の悲鳴を聞きつけた

人が駆けてきた。

ベレー帽を被った中年の男性だ。だが、体型といい年齢といい、

ベレー帽と原田では結果は目に見えている。

 

制御心を失って、狂気と化したこの若い男は、助けに入った

相手にまで襲いかかった。

 

 

 

       

          ☆

 

ベレー帽の男性は傷を負い、病院に運ばれ、

事態は警察沙汰にまで発展していく。

 

 

 

原田は親思いの長男で、勤務先の学校でも真面目で教師間の
評判
はすこぶる良かった。

 

 事件のあと、原田の両親が慶子の家を訪れて、誠心誠意、詫びた。

そして地面に土下座して頼んだと言う。

 

 

 ――どうか告訴しないでほしい。おねがいです。

 

 

 両親と職場の学校側の尽力で、示談がなされ、告訴を取り下げる

ことにしたらしい。

おさまらないのは怪我を負わされたベレー帽氏である。

画家だそうで、怪我の補償もふくめて、告訴を辞さない構えだった

という。

 

 

 

 原田は教職を辞め、故郷を離れ、遠く地方へ流れていった。

 

一方、慶子は傷心癒えず、勤めも辞めた。

父親はすでになく、老いた母親に代わって、兄一家が家の中を

取り仕切っていた。とりわけ、気の強い義姉とそりが合わず、

事件後の慶子に安住の場はなかった。

 

 そんな折りも折り、地方出の青年が慶子にプロポーズしたのだった。

男はこりごり、結婚なんか、と思う裏から、現状から脱したい、

結婚すれば、気分も落ち着くかも・・・。

 ワラにでもなんにでも、縋りたいような弱気な慶子だった。

 

 

 先方の親が乗り気なうえ、厄介払いしたい兄一家にはもとより

異存はなく、とんとん拍子に話は進められていった。

 

 ・・・ケッコンもなにも、わたしはね、心から安らげる場所が

ほしかっただけなの・・・。

 

 

 

  

        ☆

 

 結婚が決まると、いくらか気分を取り直した慶子は、再び、

仕事を探し勤めに出る。なにしろ、義姉の君臨する家の中は

針のむしろ、なのだ。

車の販売会社の職場を得た彼女は、そこで、“運命の出会い”

に遭遇する。

皮肉にも、生まれてはじめて、本物の恋をしたのだ。

 

 慶子より、一、二歳、年下だが、実に落ち着いたしっかりした

人物で、「能」が趣味だという。能楽にも、能面にも一家言を持ち、

書にも親しんでいて、聞いたかぎりでもな並々ならぬ、

いかにも、慶子が好む相手に思えた。

 

 能の君も慶子を愛して、恋人としての交際がはじまるのだ。

地方出の朴訥な男が急に色褪せてくる。しきりに結婚が疎ましく

なる。白紙に戻したい、と頼んでもみた。が、所詮、通る事柄

ではなかった。

 

 ・・・父親のいないこっちは、てんで立場が弱いのよ、

兄貴は早くこの家を出ていけ、の一点張りだし、母はおろおろ

して、なんにも言えない・・・。

 

 

 

 そんな修羅場の最中に、何かを吹っ切るように、慶子はわたしの

旅行に同行を決めたのだった。

退社し、恋人とも涙の訣れを告げ、旅から帰ると、地方の分家

してもらった“新家ンちの花嫁”になった。

 

 

 

   

 

          ☆

 

 “石の上にも三年・・・”の目標を、ひそかにたてた慶子は、

とにかく、三年は辛抱しよう。子も作らないように用心して。

 

 つよい意思を通して、きっかり、三年後、身一つでその家を出た、

のであるが。・・・・

 

 

 

 新家んちの息子である人を、一度だけ見たことがある。

繁華街を歩いていて、ばったり、慶子夫妻と出会ったのだ。

 

 印象の薄い、けれど控え目な気の良さそうな人物に見えた。

考えればこの旦那さんも、慶子とはある意味、被害者のような

不幸な婚姻ではなかったか・・・と思われる。

 

 

 

     

          

 

 

その後、十数年も経て、同窓会に現われた慶子は、小さな女児を

連れていた。他の同級生の持つ子どもはそれぞれ中学か高校、と

いった年頃のなかで、わたしと慶子の子だけが揃って小さい、

という偶然に笑いあった。

 

「ともに家庭を持つまでの変転長き、だったわねぇ」

 

 けれど、再婚後の慶子のその頃の家庭も何か事情を抱かえて

いたようで、しばらくして出した賀状の返事に当時のご主人から、

 

「・・・慶子は子どもを連れてこの家を出ていきました」

と返事が来た。

 きちんとした筆跡で誠意は感じられた。

 

 

しかし再び、彼女の身上は<行方知れず>になってしまった。

 

半ば、自ら選んだ来し方とはいえ、この旧友の<運命>と

いったことに思いを馳せれば、しのびないものがある。

 

 

 

 

          

 

 ☆

 

 やはり級友で、涼子という友人がいる。

 涼子もまた変転のくちで、夫と別れた後、生家の近くに

アパートを借りて、娘たちと暮らしているのだが、涼子の生家

には、異父妹の千紗、という婚期のやや遅れているのがいた。

 

 過日、涼子と会うと、こんなことを話した。

 

「ちぃ、がね、結婚するの。その相手、ほら、覚えてる?

原田ナントカいったっけ、同級だった、目立たなくて

おとなしかった・・・、その原田くんの弟なの、ちぃの相手。」

 

 

 忘却の彼方へ消え去っていたはずの<名前>を、いきなり、

聞かされて、

 

ええっ~!   ひぇっ!! 

 

おもわず、心のなかで、悲鳴をあげた。

 

 

 

涼子が十数年前の<事件>など、知る由もない。

 

「その原田くんって、今、どこで何をしてるの?」

「うん、S市の近くのどこかの町でね、学校の先生、してる

らしいよ」

 

「・・・・、

ケッコン、してる?」

「ハハハ、そりゃ、してるでしょ、わたしたちと同い年

なんだからサ、」

 

 なんて妙なこと聞いてくるの?という顔で、映子は屈託なく

答えた。

 

 

 彼女に、それ以上の話題に触れることはしなかった。

 

 

 

 

          ☆

 

いつか、もし、慶子に会うようなことがあっても何も

話さないつもりだが、もはや、

居所不明の慶子とは終生会うこともなさそうである。

 

   

               ***上記作品はフイクションです

 

 

      九月―彼岸花の咲く家

 

 

山の道 峠の道

なんど くりかえし 辿ったことだろう

 

小高い山の上から下った途中の林の

茂みに隠れるように

青いとんがり帽子の屋根を乗せた

その家が あった

 

茂みをかき分け、細い草の小道を辿ると、

茶色の犬が小屋のなかから 迎えてくれ

庭の手入れに余念のない おじいさんの皺の手

が ゆったり動くのが見える

 

小さかった二人の娘の送り迎え

に その小道を通った

ときには 犬も道連れに

娘たちが 習字のお稽古しているあいだ

あっちの犬 こっちの犬

頭を撫でて 遊んで

 

そうして お稽古の済んだこどもたちの

にぎやかな声がすると

犬たちは いっせいに尻尾をふる

庭の脇にある井戸のお水を 拝借

犬に水を飲ませ

また 山道 峠道 

を くだる

 

藪や草の原のかげに 季節の花が

遠慮がちに咲いていたりした

秋になると 

庭への曲がり角に突然 赤い花が ぽっ ぽっ
燃え出てきた

 

「ヒガンバナ だよ」

こどもたちといっしょに

群生する真っ赤な少し寂しげな花を 少しばかり

摘ませてもらった

 

それから 何年か

おじいさんがいなくなり 

また 何年か 

お習字を教えてくださった 凛としたたたずまいの

女先生が消え

その家はがらんどうになった

青いとんがり帽子の屋根は

空に  高く高く 姿を見せていたが

 

やがて家は 藪や木々に埋もれ

小道も見えなくなり

 

その後も 秋が来ると

峠の途中の 脇の茂みのそこ  ほら

燃える寂しい赤い花が   ぽっ ぽっ

見えてくるのだった

 

 


2013.09.18 水を泳ぐひと

 

           タイピングの速さ

 

 昨夜のTV 中居くんMCの  「“ミ”になる図書館

タイピングの速さ№1決定戦!・・・」の番組を見た。

 

 タイピング最速・タイトル級の講師のレクチャーも交え、

自信のある芸人とかが出演し、速さを競う・・・というもの。

 

 元議員・東国原氏や劇団ひとり氏などの出演者一同が、その

競技に盛り上がった。・・・けれど、意外にタイピングの難しさや

落とし穴もあり、次々陥落?し、最終クリアには誰も至らず。

 

 本も書いている劇団ひとりさんが、キーを見ないで、画面上で

打ち続け、かなり健闘されたのだが。

 

 

 そこで、自分を顧みれば、落とし穴だらけ、不完全だらけ・・・

であることに今更ながら、気付く。

 

 昔、職場で担当していたテレックスのキーでは、ひらがなの

全位置を頭で覚え、指で覚え、かなり早打ちしていた・・・と思う。

 直接キーを打ちながら先方へ送る方法もあったが、なにしろ原稿が

多いゆえ、キー打ちしてテープに孔を開け、先方先きにダイヤルして、

そのテープを流す・・・、という 現代のひとには  ん、んん、?!

ナニ ソレ?? という送信方法でもあった。  

 

 

 その後、ワープロに移り、キーの並びがテレックスとはまるで 

違っていて、已むを得ず、ローマ字方式に替えた。

ローマ字キーも指の定位置がテレックスとは左右一字ずつずれていて、

それが、以後の “わたくしタイピング”の “不幸の始まり”?!

であったと思われる。
 

 昔の定位置   左人指し・D  右人指し・H

の 四本指が、旧位置と現位置とごっちゃになり、曖昧なまま

左右にぶれながら、余計な動きが増え、ロスとなり、つい、いつのまにか
下のキーと画面と上下見ながら打つ習慣となってしまっていた・・・

 

のである。 はぁ~、  前置き 長がッ!!

 

 

 ボケ防止兼ねて、今頃! 遅まきながら、正しい位置で

キーボードを見ないタイピングをレッスンしよう!  そう 思い立った。

上記下記、レッスン中なり!    ぐしゃっぐしゃ画面になり・・・、
はっ!  手間掛かるぅ、 めんどクサッ!!笑

 

 

 

   

   


          水を泳ぐ人

 

いきていくにはたくさんの儀式をこえていかなければなりません

 

行き詰まっていた

退屈な日々というものも結構くるしいものである

簡素に暮らしていても税金の督促は来る

からだの節々が痛んで階段を這って降りる

なにか形のないものに

そう 追いつめられていたのはたしかだ

 

      *

 
 思い余って水に飛び込んだ迷いはあったがそうするしかなかった

 澱んだ水を泳ぐと泥の底に触れた

 泳いでも泳いでも泥の底 これでは埒があかない

 はやまったことをしたのかもしれない

 悔いがさざなみになって後方へながれていく

 と 高波のうねりに攫われいっしゅん気を失ったような気がする

 深みに入ったようだ 手足を搔き顔を浮かせる

 沖に流されていく

 このまま泳いでいてはいずれ力尽きてしまう

 からだを回転し背泳ぎになる ゆらゆら水にまかせ

 これで案外楽に逝けるかもしれない

 いや助かりたい気持ちもあるだれか見つけてくれるだろうか

 老いた母のことがふと頭をかすめた

      *


それにしても 溺死寸前の体験は鮮烈すぎて

その日一日中 ぼんやり過ごしてしまった

娘たちがかわりに家事をしていてくれている そのかたわら

先年亡くなったひとが用事をしているまったく普通にだ

あれぇ 元気になったんだ よかったよかったねぇ

しかし うしろ姿しか見えない

 

散らばるちぎれ雲

懸念のひとつひとつ吟味してころがして

そうして頭上には千の風も百の風も吹きわたって鳥たちも

く く くっ  くるーくるーー

飛び交っている

今朝は清々と晴れわたっている

 

                  個人詩誌18号より

 

 

 

2013.08.14 蜻蛉 舞ふ
     トンボの群れ


 毎年 盆の頃から 川の上をトンボが飛び始める。

 今夏は八月に入ってすぐ、数は少ないが、飛び始めているのに 
気が付いた。


 川辺に暮らしはじめて、

 お盆過ぎる頃から、蜻蛉は 山の上から下りてくるのだ  ・・・
そう思っていた。

  お盆過ぎだよ~~    もうじき、  秋だよ~~~

 そういう目安にしていた。  自分勝手に。

 今年の夏は  暑すぎて、  トンボの生態も 変わったかなあ、

 調べてみて、水の中で育ったヤゴが、孵って、川の上を飛び始めるのだ ・・・
 

 と 知って、  自分のうかつさ  を 知った。笑




       ぶろぐ村の内訳?!

  久々にパソコンを開いたら、 ぶろぐ村の 村長さまからのメールが入っていた。

 いわく、  アンケート  実施 とのこと。

 どうしよう・・・、

 わたしゃ、 入会の折りの 村長さまからの いくつかの ”宿題” すら
ろくさま、まだ こなしていない、  どーにか、入会は出来た?模様・・では
あるが、まだ  実態も分かっていない、 まこと、ハンパな状態のまま、
である。



     ぶろぐ村の記事

 たまに ぶろぐ村の新着記事とか、覗いて見ると、

 このシニアの世代、 内実が分かる、というか、分かり易い。

 豆台風が来て 被害被るとかどーとか、  チビに パソコン占有されるとか
どーとか、   タイフーン去って、 ほっとするとか、   
ナニ?、ナンなんだ?!、この寂莫!!・・・     とか。

 我が家の  6歳のチビも これまで トーマスだの マリオだの、
ユーチューブとかの動画を見ていたが、 ここに来て、

 ただ 見てるだけじゃ  つまらな~い、  ゲーム やりた~い、

 と ゴネだした。 我が家のヌシは 不器っちょの見本・標本ノヨウナモノで

 パソコンゲーム?   ナンジャ、ソリャ・・・     

 だれも  出来やせぬ、

 チビは  最近 友だちの家を訪ねても、 女の子のうちで  ゲームも
無い・・となると     つまんな~い、  帰る!!

と のたまう とか。  ママは  青くなって  慌てる。

ゲームの出来る家にしか  遊びに行きたがらない、
1年生にして、 この様子。  
 
 この先、この子が ゲーム依存になりませぬよう・・・、ぶきっちょバーバは
祈ります。



  
      心で聴くララバイ

 子守歌 で検索してみると、歌詞の由来とか、訳とか  いろんなことが
出てくる。


   子守歌    調べが  心にひびき、  声が 胸に沁みこみ・・・
それで いい、     

 注釈とか 由来とか    そんなん  どーでもええねん、

 文献的に 必要ではあるかも知らんが、  わたしゃ的、には
どーってことないねん、

 哀切な調べで  澄み切った声で 心にひびく   子守歌が 好き。




 十兵衛せんせいのこと

 

 

白鳥山(はくちょうさん)こと・白鳥御陵の横の道をはさんで、

中学校がある。

 

 “じゅうべえ”・・と呼ばれる国語担当の先生がいた。

苗字は  柳生 と言う。

だから、十兵衛、って仇名がついたんだ・・・、単純にそう思っていた。

 

 

 卒業して数十年も経って、新聞の囲み記事に、

「柳生道場 指南、・・・柳生新陰流・・・」、とあり、

国語教師だったじゅうべえせんせい、見覚えのあるその人の写真が

載っていて、

 

 仰天した。

 

ほんものの  柳生流の子孫だったんだ・・・!!

 

 

 後で知ったのであるが、上級生や卒業生のあいだでは、子孫だ・・

そういう噂もあるにはあったらしい。

が、戦後生まれの我々が生徒だったころには、柳生十兵衛、だなんて

歴史上の人物か、時代劇映画の主役・剣豪?!  というくらいの認識

しかなく、もし、噂を聞いたとしても、だれも信じなかったと思う。

 

 

 新聞で知ってから、また長い歳月が過ぎている。

柳生延春 先生、  今もご息災かな・・・、

ネットで調べてみたら、数年前に亡くなられていた、88歳病没と

いうことだった。

 

 

   

     北の湖師匠の功徳

 

 北の湖さんの石碑が立つ山門をくぐれば、由緒あるお寺の森閑と

した境内である。そこの山のような崖のような登りになっている

杜が「御陵」なのである。

 寺と杜との関連はよくは知らない、そんなこと関係なく、考えも

及ばず、その杜の山や崖に登って遊びほうけていたのだから。

 **残念なことに、その後の伊勢湾台風禍や手入れやらで、昔の

うっそうと繁った「杜」の面影はなくなっている。

 

   

 

   なつばあちゃんの流儀

 

母は、信心深い人だった。(娘のわたしはその点、DNAは受け継が

なかったようで) 

元気なあいだは無論、“脊柱管狭窄症”からキセキ的に立ち直った

後も、そして施設に入る直前まで、お寺に参って手を合わせ、そのあと、

境内や御陵のまわり、中学の通学道など、落ち葉やごみを掃いていた。

 

 家の中は奇麗にしなくなっても、外の掃除には励んでいたのだ。

境内や、中学生たちが歩く道の落ち葉掃きはきっと、母の何よりの

気晴らしになっていたのだろう。

 中学校の教頭せんせいや中学生たちが母の家にお礼に伺って見えた。

 

お寺さんの当主も感謝して、地代を安くし、なつさんが住んでいる

あいだは 土地の撤収も待つてくれた・・・と聞いている。

 

 寺の当主の弟なる人は、うちの次女が通った大学の、仏教の教授でも

あった、現在はわからないが。

 

母の家、つまりわたしの生家跡は 今は寺所有の駐車場になっている。

まわり、どんどん そのような駐車場が広がっている。時節の都度、

熱田神宮参拝の車で 満車になる。 寺の経営はまず安泰ということ

のようであろうか。

 

 

 

 

  シンプルライフの裏には

 

 施設の母の持ち物の少なさは、長姉の尽力によるものである。

 

 呑んだくれで頑固で人間嫌いで役に立たない父、に代わって、

上の姉は“総領”として、母親と力合わせて家族の生活をささえて

きた。

 

 

現在、母の年金も貯金もすべて総領・姉が一存で仕切っている。

生家の取り壊しの際も、妹ふたりは何も聞かされておらず、

・・・壊して、もう無いから。 母には知らせないように・・。

と 後で言い渡されたのだった。

 

 

 つれあいと母親と、両方の世話をしながら、姉は長年突っ走って

きたのだ。

二人の妹は住居も少し遠方だし、仕事を持っていたり、絵を描いて

いたり、それぞれの事で手一杯だったし。

異議、モノ申す、・・・資格はない、と言えようか。

 

 

    

夏休み!

 

  長女んちの6歳、3歳のチビたちがやってくるようになると、

普段はいたって閑静な我が家は騒乱・錯乱状況と化す、いつも書いてる

けど・・

 パソコンも 6歳に占有される。

 

 なので、ここしばらくは  ブログ更新も変則式になります・・・

 

 

  

恥ずかしながら・パソコン歴何々年?!

 

 今年1月、どーにかこーにか、ブログを始めて、写真も無く詩と文

だけでつづけてきた。

旅に出た記事の時、風景や なつばあちゃんの姿とか、

あぁ~写真にして出せたらいいのになぁ・・・って、思うこともある。

 

 ずいぶん、昔からテレックスなど、キーは打ってきた。二度めに

勤めた職場は 外資系のコンピューター社でもある。

 ショールームや機械室には6畳くらいある大きなコンピューターが

数台も並んでいた。

 

 ワードで詩誌も作成した。パソコンになってフロッピー使用の頃

までは何とかこなしてきた。ビスタに買い替え、数年経って、わたし

もトシ取って・・・、技術の進化は  ザ・ストップ!

 

 デジカメ、買えないわけではない、マニュアル冊子 開いて、

写真の頁になると、目が点になり、アタマがぐるぐるまわり・・・、

 

 “にほんブログ村”をネットでみつけ、何とか入会(失敗を繰り返し)
までこぎ着けた、 村長さまから 何々・・次第・・、の指示を受け、

目こらしてみると、 ・・*+P‘<@@##:/.,○×・・

 またして アタマがくらくらっ めまいがしてきて、何がなんやら・・

わかりませぬ、できませぬ、

 

 これでまぁ、入会できなかったら  しゃーない!!

 

 

という、わたくし・PC・なさけない歴史の披露であります。

    

 

     ただいま、凹み中!!

 

 パソコンに関しては すべて独学でここまできた、身近に教えて

もらう人がいない、習えば?? って、何々年、キーを打ってきて、

今更・・・

 

 と、思ってきた。 最近、ぶろぐ村シニア世代 を見学するように

なって、  

・・・71才でパソコン習い、73才でブログをはじめました。

 という方の、写真入り素敵な記事をみつけるに到った。

 

  

わたしの腕前といったら・・、なにしてるんでしょう・・・?!

泣き!!

 

 

 

2013.08.07 母の生き方
     母は元気!


 昨日、なつさんの仕事・記事をブログに書いたあと、重い腰をあげて、母に会いに
出掛けた。

 
 ディルームで椅子に座ってテレビを見るでもなく、何するでもなく・・・・、 わたしの顔を
見るとニッコリ 
 
 

 
 いつ見ても、ちゃんと膝を揃えて、ちんまり座ってるなつさん、35、6キロ位
しかない小柄なカワイイおばあちゃん・・・である。
 スタッフさんにもよくお世話して頂いてて、感謝している。

 
 母の小さな手をにぎり、(施設に入るまでは、節くれだったごつごつの仕事の
手だった)
 
   じゃ、また来るね!
 

   おおきに、気をつけて帰るんだよ・・・
 


 暑いなか、片道1時間余掛かって、交通費も掛かって、 またすぐ折り返し帰る・・
だけの、さして用事もない訪問、だけど、  変わらず元気で、やさしい笑顔が見られ、  
ほっ! 安堵して嬉しくて、 帰るときの わたしの足取りは軽い。笑


     
    
     ひとり暮らす


 母は、父亡きあと、90歳過ぎるまで、独りで古家を守り、暮らした。
仲良しのご近所さんたちが、 「ねぇさまぁ、いりゃ~すか~?」  と、よく家に
訪ねてきた。
 土仕事が好きで、植え込みに花が絶えず、またあちこち、お寺参りや神社へ
出掛けたり。
 ひとりでも 日々それなりに楽しんで暮らしているようだった。 


 じょじょに、まわりの仲間が一人減り、二人減りして、次第に、だれも訪ねてこなく
なり、母の身辺が淋しくなっていく・・・
 草花が枯れ、部屋のそこかしこ、うっすら埃がたまり、冷蔵庫には同じ食材が
ぎっしり詰まっている・・・ その頃、すでに80歳後半になっていただろうか・・・。

 仕事を勤めながら病身の連れ合いの介護もしていた長女が、母の家から車で
十数分の所に住んでいて、時々、母の様子を見に寄っていた。

 
     ついに母倒る

 
 その姉が定年過ぎて、長く勤めていた仕事を辞めると、母のからだは急速に
弱って、どっと寝込むようになってしまった。 長姉を頼りにしていたから、安心
して気が緩んだのだ、と思う。
 脊柱管狭窄症、というややこしい重い関節痛の病名を受け、入院ともなり、 
揚句、もう年齢的にも完治はありません、とドクターから匙を投げられもし、
家に戻って寝たきり、になってしまった。
 
  


 

      再生
    
 来る日も来る日も寝込んだままで、わたしたち姉妹三人、可能なかぎり交代で、
実家に泊まりこみ、看病したのだった。  覚悟もした。

 
 
 しかし、 母は奇跡的に 蘇った。 起こして、車椅子で散歩に連れ出し、次は
杖で歩くようになり、そのうち、杖も嫌がり、支え無しで、じぶんで歩くようになった。

 
 
 けど、さすがにひとり暮らしは無理になった。91歳を越えていた。
母も交えて、話し合い、最初は  家がいい、どこも行きたくない・・
と言っていた母が、最終的には  すんなり  施設に入居してくれ、今に至って
いる。
 ひとり暮らしはもうできない、娘たちに迷惑もかけまい、・・・との、老いたひとの
観念の意思であったと思う。  
 実家に近い、下町の雰囲気の似た場所に新設の”老人ホーム”である。



      シンプルに生きる


 母の家には、娘三人が里帰りした時、持たせようと いろんな物を買い込み、
引出しや棚のなかは物が溢れかえっていた、衣類も布団類も 捨てられない
世代で、溜めて溜めて、 離れもあり、家ぜんたいがモノで溢れ、ふくらんでいた。

 それらすべてを置いて、 母は殆ど、身ひとつで施設に移っていった。


 他の入居者の部屋に比べても、母の持ち物は極端に少ない。
 
 買い換えた小さな仏壇と、数枚の衣類、着替え・・だけ。

 最近、長姉が 小さな仏壇も引き取っていって、今は父の位牌があるのみ。
花の水も替えなくなった・・ と、 姉からは 生花も持ってこないように・・
禁じられている。
衣類も何も持ちこんでこないように・・・とも。
 
 
 (上の姉は、母が残していった荷物や家具などの始末を、一存で単独で
片付けたのだ。
 妹たちはほとんど役に立っていない、  大変だったと思う。)


 

 シンプルなまっすぐな暮らし。
 母らしい、お仕舞いに向かっての、生き方。



     深秋や 生家壊され 消へゆけり

 一昨年の秋、母の家は無くなった。母には知らせていない。




 
     寺の持ち物って??

 ”白鳥山” はくちょうさん  とわたしたちの呼ぶ 古墳の敷地内だか横だか
に寺がある。

 その寺には 中学のわたしの一、二年、後輩が当代住職になっている。
先代の頃には 傾きかけ破れ寺であった、 が、  北の湖の所属する相撲部屋
が 巡業のあいだの宿先に 寺を借りるようになった頃から 持ち直して羽振りが
良くなりだした。

 あちこちの土地を撤収?し、駐車場に替えていった。
 我が家の生家も   寺の当主に   もともと寺のモノだから・・・と引き取られる
ことなったのだ。近隣には、 先代の傾きかけた時代に請われて、寺から土地を
買い取った家もあった。 うちの父にはその力が無く、 買えるようになった時に
は当代に代わっていて、取得を 頑強に拒否されて叶わなかった。

 
 かくて、建っている我が家の下の  土地は撤収となったのだった。


 お寺さん、  仏教って、 なにものも持たず・・・ではなかったですか?

 もともと お寺のもん・・・って、あちこち 住んでる者もいる家の土地を
サラにして、駐車場にする・・・いかにも  やりて坊さん やすな。

 寺の継続も困難な時代になり、大変なのは想像できるが、
町内の回覧で 檀家でもない家から寄付を募ってる・・・と困ってるひとの
投稿文も新聞に載っていた。

 大手メーカーも、バンクでさえ、潰れ、合併されたりする時代です、
こんな現世に  昔ながらの慣習とやらで、寄付で募って、お寺を維持して
いく・・・それも税金・免税措置の法に守られて・・・でもって。
時代オクレ    と言っては   罰あたり  なんですかね!!

 
 
 
 
2013.08.06 老いても働く

 

    なつさんの“仕事”

 

 

 目覚めて、床のなかから柱時計を見あげると、丁度

四時だった。

 

 いつもはそれより十数分前に起きて、四時には出掛ける

日課だ。今朝は少し寝過してしまった。あわてて起きて

身支度する。

 

 

外は まだ暗い。 星が点々と 冴えている。

 

 

 佐藤なつの自宅から歩いて、 十数分のところに、

そのビルはある。

 七十歳半ばのなつは、毎朝、ビルの掃除の仕事に通っている。

つれあいは以前に病没し、こどもたちは家庭をなして家を出て

いった。家族がいた長い間、着物の仕立てをして家計を助け、

近所の人たちから、“馬車ぐるまみたい・・・”と言われる位

クルクル働いてきた。

 

 

残された古家でひとり、年金暮らしの身である。働かない

でも、つつましく暮らしていけないことはないが、まだ

どうにか達者な躰である。

綺麗好きでこまめな なつに、世話をしてくれる人がいて、

数年前から、小さな会社の清掃係として働くようになった。

 

 

始業前の一、二時間ほど、ビルの内外を掃いて雑巾掛け

をし、ごみや灰皿の中の始末をするのが仕事である。

 

なにも朝の暗いうちから 起きて出掛けることもないのだが、

なつは、近隣の目を気にするのである。周囲に、こんな年で

働きに出ている人はいない。年は取っても、見栄というものが

ある。

誰にも気付かれない早朝のうちに勤めあげてしまおう・・・

 

 ・・・それに、朝早く起きて体を動かすのは、気持ちがいい。

 

 という、なつなりの 考えである。

 

 

 

 暗いが、通い慣れた道を歩いていく。

大通りにある役所の建物が見えてくると、もうすぐだ。

その先の角を曲がった裏通りにビルはある。

 

 と、不意に、耳をつんざく爆音、ヘッドライトが疾風の

ように迫ったきた。オートバイだ。それも一台や二台ではない、

後から後から、狂ったように連なってくる。暴走族だ。

 

 

 国道一号線の走るこの辺りは、暴走族の深夜の恰好の

遊び場なのだ。

 先頭を切ったバイクは、人けのない道に、なつの姿を

見止めると、からかうように遊ぶようにすぐ脇をすり抜けて

いく。なつは恐怖が足がすくみ、その場にへなへなと

しゃがみこんでしまった。

 

 老婆のまわりをグルグル回るバイクの群れ、

ひとしきり騒ぐと、リーダーらしい少年の合図で国道へと

走り去っていった。どの子もまだ童顔であるようだった。

 

 

 

 

無事に過ぎた。

 

 ふぅ~~、 なつは息を吐くと、気を取り直し、

先のビルに急いだ。

 

 三階から順に階下へ掃除を済ませ、事務所で雑巾をしごき
ながら、ふと、壁の時計を見ると、午前一時半をさしている。

 

   
   ・・・・・あれ?!

家で目覚めた時、長短の針を逆に見間違えたのである。

 

 しばらく事態が呑み込めず、ぼんやりする なつ。

 

 

 ・・・・・ まだ、真夜中だったんだねぇ、

 

 

道理で、朝方のこれまで、オートバイの群れなんかと出遭う

ことなんかなかったもの・・・

 

 いつものように、仕事をひと通り仕終えると、

曲りかけた腰を、後ろ手でたたきたたき、家路に着く。

 

 

 ・・・・・やれやれ、 まだ ボケたくはないねぇ。

なつは、寝間着に着替えると、もう一度布団に潜りこんだ。

 

 

 そとは まだ   暗い。

 

いちめん の  星。

 

 

 

 

 

   この夏・猛暑と洪水と

 

 

 異常に蒸し暑かったり、降りに降って洪水寸前だったり、

ほんにまぁ、老いたもんには耐へがたき夏ではある。はぁ~、

 

 

 少なくとも週に一回は、母の居る施設にいくことにしている、

いや、いた、  ・・・・と、今夏にかぎり、過去形になって

しまっている。  射すような光の中を外出する勇気がない。

 

 

 昨年までは、仕事も忙しいなか、どんなに暑かろうと、

午後を大分まわってからにする日も多かったにせよ・・・、

 週に一度は 母の顔を見に出掛けた。

 

 電車と地下鉄を乗り継いで、歩く時間も入れたら、往復

三時間余はかかる 道のりである。

 

 夏の盛りのころは、 午後であってもまだ、日はさんさんと

射し、そのなかを よろよろ・・と歩をすすめ、なにぶん暑さに

超・弱い体質である、 冬生まれっす。寒さには強い、いや、

強かった・・・これも たぶんに過去形になりつつある

老いるということは こういうことなのだ、これまで

出来たこと平気だったことが、じょじょに出来なくなる、  

という、 ま いっか、  

それは だれしもそうなんだから、

ぐちぐち 言ったとこで しょうもあらへん!!

 

 で、 地下鉄を降りてから、母のお世話になっている

施設へは 歩いて10~15分は掛かる。わたしの家から

最寄り駅までも 10~15分は掛かる。暑い季節なら歩く

のは何の苦もない、15分どころか、気が向くとあちこち

寄り道や回り道したりするくらいで。

 

 

それが夏場となると、駅から百m先の農協にすら歩くのが

ツライ、   で、 余談ですが、買い物もロクにせず、  

庭の虫くい野菜か、冷蔵庫に買いだめの豆腐か・・・の

メニューばっか、になる。

 

 話、戻して、

 ・・・ふらふら、母の居室に入るやいなや、

バッタリ! ドタン!!  倒れる。

 

 熱中症・予備軍、ぎりぎり状態なんでしょうね、

 

 倒れこんだ中年過ぎの娘(・・わたしのことです)

を 96歳の(今年の春 97になりました)母が 団扇で

あおいだりして看病する。

 

  

 そんな慣例を ことしはサボッてしまっている。

おそらく、今夏は予備軍ではなくて、本格・熱中症に掛かって

しまうだろう、   わたしも、はや、中年過ぎ、

老年になりかけている身である。

 

 施設で倒れて、救急車のお世話になったり、母や

スタッフさんに迷惑かけてしまうのも困る。

 

 

 これ、なかば、言い訳がましい・・・、笑

はぁ~~、今日も 暑い!

 

 
***上記の 「なつさんの仕事」は かっての 母の実話
 にもとづいた掌編をさらにまとめ直した。

2013.08.01 夏の寓話

 

  夏の寓話 

虫と暮らす

 

 

八月に入って 

洪水警報が出たり

雷が光ったり

雨が降りつづいたり


むしむし むし

蒸し暑くて

買い物に出る気力もなく

 

冷蔵庫には 肉 魚のストックなく

庭でちぎった葉っぱ

ばかり 食べている

虫くいの穴だらけの葉っぱ

 

虫との共存暮らしと しゃれこむ

虫くい野菜

特にうまいという味ではない

それでどうやら

お腹のなかに虫が棲みついてしまったようで

好き嫌いのおおい虫で

お腹に落ちてくるものを

善し悪し選別し

あっさり くだしてしまう

薬も要らぬ

 

じょじょに痩せてはいくが

わるいことばかりではない

おかげで か弱い身体でも重い病気にもならず

虫は おりおり ちりちり、ちり、 ちりん、

リズムよく 鳴いて

ひとり言の多かった暮らしを和ませてくれる


にんげん界のことには少々鈍く

むしされることも
虫ずがはしることも減り

自然のことでは ちゃんと虫の知らせを

とどけてくれる

 

テレビを見ながら

 ホラ、見て、  あんな・・・ ワハハハ

笑い声すら増えて

虫とのリズム 秋の夜半にそなえての

レッスンに余念がない

 

周囲では

 あぁ~ ついに・・・

 まだ そんなトシでもないのに

 お気の毒なことで・・・

 

という声も ほら、  ちらほら