喪失



心身がどうあろうと 
  
日はまた昇り 

眩いばかりに暉す文月の光り

そして

夜が降り

くりかえし 朝が来る・・・



ぼぉ^^~ と しながら


梅雨が明け 土用に入る


梅や紫蘇を干し


洗練の三日月が顕れる夜


折々 夢に出てくる山や草の辺の


道で おおいに迷う
 
 
旧友に助けをもとめ 行き先を教えてもらい


さて 友が だれだったか・・・


おもいだせない









その夜 歩きに出て彷徨う
      7・15DSCF6528  






   
      14日収穫DSCF6535 スロースタータだった
                     野菜収穫 ラッシュ。。



      7サDSCF6533 7サDSCF6534

         10サDSCF6532






   ***

      葬儀の長い読経時、 泣くのをガマン?して ジィ~~、        
        と、ママの胸にへばりついていた坊や、         


        すべて 終わって 控え室で。



                          DSCF6524.jpg  

        ばぁばの 洗いざらしの帽子を見付けると、

        婆の普段の手順どおり、 汗よけの小さなハンカチを乗せ、、、

                     DSCF6525.jpg


        帽子をを被る。。。
          
                DSCF6526.jpg

        入園してからは 会う機会も減って、どうして 婆の手順を
      
        知ってるの?!! ?!!



         DSCF6527.jpg  はい ぽーず。。。
        







      題・ 生きとし生けるもの       
         

    10サ最後の絵DSCF6516 姉の柩に入れる筈だった絵、

   わたしが貰ってきた、、、
  



   たぶん これが 生前描いた 最後の 作品。

  
   





     亡くなる日前


  
     普段は出られない9階屋上テラスに出、
     車椅子で散歩する


     亡くなる二日前DSCF6514  

  
     眼下に海辺の街が広がり、遠く海原も見えるテラス、 
     
     母 娘 。。。


   雑木林ものがたり

     *

    風渡る道

わたしのいつものウォーキングコース、
山道を辿ってゆく。
両側には雑木林が繁っていて、歩いていると
森の匂いがする。

峠を越えると、やがて里山が広々と見渡せる。

大好きなコースである。

広がる里の周りがまた 山、山、山、・・・。



    *

かって、1960年代、

連なる山々や丘陵地を切り拓き、大規模団地が
建設されはじめた。


伊勢湾台風による甚大な被害のあった翌年の
ことである。

台風禍のない地へ・・・、
山や丘陵地のある高台に・・・、


”究極の高地移転“に挑んだ ”究極のプロジェクト“
とされた。



東大出身の建築家・当時 日本公団住宅のエース
だったTさんは、
そこへ 風の通り道になる雑木林を残し、
自然との共生を目指したニュータウンを計画。



しかし、理想と現実との相克、


高い山の土木工事は難渋したようである。



 
          初期DSCF5248 

             団地DSCF5247     
                         
               団地2DSCF5246
  
 



雑木林は伐り倒され 山は削られ・・・、

出来上がったのは 理想には程遠い巨大な
団地群であった。



          
             団地DSCF5243 
     

 




     *

     人生フルーツ



それから50年・・・、Tさんご夫妻はそこに
住み着き、雑木林を育てた。


 
           邸DSCF5249   
   
                   邸1DSCF5265



地域の人々に提唱し、後ろのはげ山にどんぐりを
植え、雑木山を育てよう・・・という試みにも
尽力された。
    
           

          
                 どんぐり2DSCF5269

  
              
                        
                              

通称 ”どんぐり山”は こんもり繁り

風に揺れる木々の梢

どんぐりの散らばる土に 木漏れ日さし

そこは今 市民の憩いの場にもなっている。


        のちの山DSCF5264 
 

                 どんぐり山DSCF5271 

        
                         どんぐりDSCF5272 
   




        

      *

Tさんご夫妻の暮らしを追った”ものがたり”
ドキュメンタリー・「人生フルーツ」


テレビ部門・グランプリ受賞し、このほど、
1月~~ 映画となって公開される。
*ナレーションは女優の樹木希林さん

   

     *

公開にさきがけ、24日・地域のホールで
”完成披露上映会”が催された。


わたしは抽選に幸運にも拾われ、鑑賞に行って
まいりました。



土を耕し

野菜を育て

木の実を成らせ

自然に沿って、素朴に、 紡ぎつむぎ・・・、
そんな暮らしをつづけていると、


このような、お顔になるのか、・・・と感嘆する
ご夫妻である。


スクリーンを通してであるが
日常のお二人を観ていると
”にほんの原風景の夫妻”のありよう・・というか、

なんだか 涙があふれてきそうな・・・
ふしぎな感慨であった・・・。





            夫人DSCF5232 編DSCF5279   

            夫DSCF5242 夫DSCF5240 

  
                      ご夫妻DSCF5274 


 
    

     *

Tさんは 現実の都市計画や建築には
距離を置くようになり、
師のアントニオ・レーモンドに倣って建てた
木の家に自由な風情で暮らしつつ・・・、


      シンボルDSCF5273 


           さくらんぼDSCF5239 


                庭DSCF5263                        


       小鳥DSCF5237 


 

先年90歳・
草むしりのあと、
昼寝したまま 起きてこられなかった。

            

         
               追悼の家DSCF5278 


            夫逝去DSCF5233 

           
                 



 
     *

かねて、お名は見聞きしながら、実際にお目に
かかる機会は逸してしまった、けれど、
ご夫人は今も ご達者で雑木山に囲まれた素朴
な家で過ごされている。
夫人の機敏な身ごなし、動く手の早さ、
おトシには見えない気丈さに見受けられる、


が、おひとりの身で広い敷地の木々や土地、
家を守っていく困難さはあると思われる。



         庭DSCF5252


   
 



     *

そこに初期の頃から暮らしている詩友たちから
よく聞かされた、


「住み始めたころはね、雨が降ると、道もどこも
泥んこで、長靴履いて歩いたわよ・・・」





独身時代、職場に 「ニュータウン」から通って
いるという同僚がいて、 
 わっ、なんて、田舎から?!・・・、
って思ったこともある。




まさか 数十年後にじぶんがその近くに棲む
ことになろう・・・とは 考えてもいなかった。


   


     *

桜の春

紅葉の秋

遠く遙かに見える山々・・・、 

樹々に囲まれたニュータウンへの広い道路を
走ってみると、しみじみ 想う。



なんと 美しい風景であることよ・・・、
しみじみ 豊かな幸福感を噛みしめるのである。





そのニュータウンも、今や空き家が増えはじめ、
中堅スーパ-が撤退し、お店も減り、学校が閉鎖・
合併されたり、衰退の傾向にある。


時代の波に押されてしまうのか・・・。



駅前付近は どんどん高層建築が成され、
住宅が立ち、発展しつつある?様相ではある。


街ぜんたいが丘陵地なので、散策には向いて
いるが、買い物には車がないと不自由な街
でもある。


でも わたしめ、日頃のブログにも記している
ごとく、”辺りを歩きに歩く・・人生”を送って
いる。




  
     *

映画を通して、知り得た二つのメッセージ。



 ~~家は暮らしの宝石箱でなくてはいけない~~

 ~~菜園のある暮らし~~





わたしが ”終の棲家”に移るとき、

すでに 老いつつ年齢であること、

大黒柱いない、跡継ぎいない、資金ない、

ないない尽くしで、周囲から猛反対もされ、

不安と艱難、それら、撥ね除けながらの
決行であった。




苦労のはてに移った 「家」

山と川に囲まれた ”ちいさなおうち”

 わが生涯の 宝物である。




それを守っていくことに、費される日々、
やりたいことも我慢して、家の保全作業に
掛かってるの? との疑問のときには、

こころの答えに添って動くことにしている。




山の落ち葉を集めてきては、狭い狭い畝に
撒く。落ち葉は野菜たちや花の寒冷よけ
になり、やがて 堆肥になる。


実寸大・ゾウのおでこ、通称”デコ園”を
毎朝、見回りながら、野菜や花たちに声掛けを
する、 そんな他愛のない至福のときには、
独り居の不自由さ、寂寞など、 どこかあっち
のほうに吹っ飛んでいる。


      


映画鑑賞のあと、印象に残った
ふたつのメッセージ、



はからずも 
じぶんは 知らず実践している・・・と
いうことに気付かされたのである。 
 



        12/30野菜DSCF5281


  


      ~~了~~


 **上記  掌編・創作のつもりで書きました・
 関係各者各位へ ご了承願います**



2013.12.17 悲しみの行方

悲しみの行方
      

         

 
                   *

ボラ・サークルの友

 

  市主催の手話講座を受講した後、主だった人の仕切りで

引き続き、勉強会をしようと発足したサークルでのことである。

 

 講師には、きちんとそれなりの受講料を支払うべき、と

主張するYさん、従って毎月の会費も増える。対して、

あくまで基本はボランティアなのだから、講師料は気持ち分で

いい・・・、とタキさん。

 

 Yさんは他で、手芸か何かの講師を務めている人でもある

らしかった。両者それぞれに共感する人がいて、それは共に

譲らず、激しいとも言える攻防戦が行き交った。

 このような講座にも議論の輪にも不馴れなわたしは、口の

出しようもなく、ただ両論を聞いて見ているしかなかった。

 

 

 そのうち、Yさんが舌戦の末、場違いな応戦を始めだした。

タキさんに向かって、

 だいたい、あなたは何ですか?正式な会員でもないのに、

のこのこ現れて・・・、勝手なことばっかり言って・・・!

 

 タキさんは介護福祉の仕事をしていて、不規則な勤務で、

決まった時間に参加したくても出来ない状況だった。後で

知ったのだが、隣市の手話サークルで活動中でもあり、

すでにベテランの域でもあったのだ。

 

 地元で新しく始まった講座が何かと気掛かりで、来られる日

にはやって来る・・・

 

 正式な申し込みもしていないのに、出て来てはいろんな

口出しをするタキさんに、Yさんとその周辺の人たちは内心

おもしろくなかったらしい。

 数人がタキさんめがけ、非難の言葉を浴びせる、それは

相当な礫で、見ていて身のすくむような思いだった。けれど

タキさんは全く怯むことなく、多数の礫に一人立ち向かい、

応戦した。

 

 

 

どうにか閉会になり、みなが帰り出した頃、新入りのわたしは

タキさんに声を掛けられた。あんなに数人から誹謗されても、

タキさんはなんの動揺もない涼しい顔をしていた。

 凄い人だ・・・、強い人なんだなぁ・・・。

 

 その日から今日まで数十年来、彼女はわたしの大切な友である。

 

 

 

           *

         仕事と子育てと

 

 タキさんの職場での仕事は、重度肢体不自由児の担当である。

自力では殆ど動けない子どもたちの生活全般を見る。学齢期の

大きな身体の子もいるし、かなりの重労働でもある。昨日元気

だったのに、今日あっけなく天国へ召されてしまう・・・そんな

ことも日常茶飯事であるという。

 

 タキさんには三人の娘がいて、一番下はうちの次女より一つ下

である。お互いに忙しい身で頻繁に会っているわけではないので、

どの子がどの子なのか、ちっとも覚えられないのだが、時々、

どの子だかが学校でいじめられている・・・ということを聞いた。

 うちの二人の娘たちもどちらかというと、いじめに遭うほうで、

でも、タキさんみたいな強くしっかりしたお母さんの子でも

いじめられるんだ、へぇ・・・、そのくらいの感触だった。

 

その頃には仕事にも復帰していて、サークルどころじゃない、

毎日毎日が吹っ飛ぶように過ぎていく・・・、そんな時期だった。

 

 

            *

        折れた翼 

 

幾年か過ぎ去って、小さかった娘たちもお互い、中学卒業か

高校生くらいになった頃、タキさんの一番下の娘さんが、学校に

行けなくなっていて、ひきこもりになっている・・・ということを

ちらっと耳にした。

 

 ひきこもりになるような子どもの親は、例えば、過干渉か

その逆か。漠然とそんなふうに独断偏見?のように思っていた

のだが、タキさんの家はどっちにもあてはまらない。

 

 お父さんも同じ福祉施設に勤める人である。久々にタキさんの

家を訪ねたら、一瞬、家が見当たらなくてあたりキョロキョロ

してしまったことがある。

家が薄グリーンの壁から突如、黄色に替っていた。家族総出で

ペンキと刷毛を持ち、外壁をぜんぶ塗り替えてしまったんだと。

ユニークな家族に見受けられた。両親とも不規則勤務で忙しそう

だったが、ある日はスキー靴が並んで干してあったり、ある日は

リュックや敷きシートがその辺に散らばっていたり。

 

 問題のある家族関係には見えなかった。もっとも、わたしは人に

深く立ち入るのも立ち入られるのも好まないので、すべてを知って

いるわけではなく本当のところは分からない。

 

 

    

    *

      実は回復期は“要注意”

 

その日訪ねた折りタキさんは不在で、そのひきこもりのお嬢さん

が出てきた。優しそうな、繊細で壊れそうな印象だった。

 

 

 

 それから程なくして、賀状欠礼の喪中挨拶が舞い込んできた。

突然だった。

 三女 **子 逝去により・・・。

 

 

 それなりの治療も受け、ひきこもりのうつ状態から少し抜け

だして、福祉の専門学校への願書を出しに行ったりもした。

外出もするようになった。その日も元気をだして、ミニバイクで

出掛けて走っている最中、パトカーの尋問に遭ったという。

 

 警官は職業柄、居丈高な態度だったかもしれない。帰宅すると

傷心してふさぎこんで、再び家にひきこもるようになったしまった。

 

 

そして数日後、誰もいない日、サンルームの鴨居に紐を掛け、

 ・・・自死した――。

 

 

 亡くなったあと、専門学校の案内書類の茶封筒が届いたそうだ。

 喪中葉書を受け取って、すぐ、タキさん宅に駆け付けると、

他にもそんな友人知人が来ていて、その一人がタキさんに向かって、

 泣きたかったら、泣けばいいんだよ。泣けばいいのに・・・。

 

 そう言ってる人も傍のわたしも泣いているのに、タキさんは

涙ひとつ見せなかった。

 

 

  

           *

         悲しみの果てに

 

 サンルームの鴨居から下がっている、変わり果てた末娘を

最初に見付けたのは、お父さんである。

 

 

 

お父さんはその後しばらくして、素人大工に凝りはじめた。

まずサンルームからリフォームしはじめた。サンルームでなく、

ちゃんとした一部屋にし、そこはもっぱらお父さんの独立した

居室として使う。煙草や灰皿が置かれ、時に一服しているらしい。

 

 タキさんが花や野菜を植えていた庭もつぶしてしまい、離れを

造ってそこに渡り廊下までくっつけて、塀囲いをこしらえ、

暇さえあれば大工仕事に精を出し、どんどん、どんどん、

タキさんの家は替わっていった。けれどそれは、どうひいき目に

見ても不細工な素人大工の造りであった。

 

タキさんは、ため息まじりに見守るしかなかった。

 

  

 

最近、タキさん宅を訪ねていない。その後、大工仕事は

どうなっただろう。聞きそびれたままだ。

 

 

完        

 

***上記作品はフィクションです。

 

 




       狠だって哀しい

 

 

 

 東北への長旅に出掛けた折り、慶子は片道だけ同行した。

 

 そのとき、慶子は<結婚>が決まっていた。

ケッコンしたくない、イヤダイヤダ・・・、呪文のように

唱えて悩んでいる最中に、わたしの東北旅行に行くという話を

聞いたものだから、たちまち、

行きたい、行く!

・・・、バタバタと同行することに決まってしまったのだ。

 

 婚約者が指折りかぞえて待っているのに、のんびり長旅を、

なんてわけにもいかないから、じゃ、片道だけ一緒に行って

途中で帰ってくる、という具合に折り合いをつけた。

 

 ここでは、東北長旅の道中記を書くのが本筋ではない。

なぜ、慶子がしたくもない結婚をすることになったのか、

それを書くのが目的である。

 

 

 

         ☆



 慶子はその頃、元同級生だった原田と時々つきあっていた。

 

原田某は、わたしの記憶にほとんど残っていないくらい、

おとなしい目立たない生徒だった。

学校の先生をしているという。

 

 慶子に言わせると、「恋人だなんてとんでもない、時々電話が

かかってくるから、会って話をしたり、音楽を聞きにいったり、

・・・」  

 そんな程度のつきあいだったらしい。

 

 

 その日も市の公会堂で音楽を聴いて、その余韻のまま、

ひと駅ふた駅ほど、歩いて帰ることになった。

 

 今では車がひっきりなしの明るい通りなのだが、当時のあの辺り

は夜ともなると暗い堀川運河が横たわっていて、車の往来も減り

人影も途絶えてしまう。

ふたりは、連れ立って暗い夜道を歩いた。

 

 

 

 

歩いているうちに、原田の様子が変になって、突然、慶子の

身に覆いかぶさってきた。

 

 真面目な男が思い詰めると怖ろしいいことになるのか。

 

これまで常に紳士だった元同級生がトツゼン、送り狠に豹変

したことが慶子にはすぐには信じられなかった。だが、目の前に

迫ってきた獣の狂気のような眼を見ると、恐怖で息が詰まった。

 とっさに身を翻して逃げた。

 

 原田は背が高い。小柄な彼女はたちまちにして追いつかれる。

かろうじて逃げ、追いつかれ、逃れして、とある民家の車庫に

逃げ込み、そこでついに追い詰められた。

 

 あわや、絶対絶命!というところで、慶子の悲鳴を聞きつけた

人が駆けてきた。

ベレー帽を被った中年の男性だ。だが、体型といい年齢といい、

ベレー帽と原田では結果は目に見えている。

 

制御心を失って、狂気と化したこの若い男は、助けに入った

相手にまで襲いかかった。

 

 

 

       

          ☆

 

ベレー帽の男性は傷を負い、病院に運ばれ、

事態は警察沙汰にまで発展していく。

 

 

 

原田は親思いの長男で、勤務先の学校でも真面目で教師間の
評判
はすこぶる良かった。

 

 事件のあと、原田の両親が慶子の家を訪れて、誠心誠意、詫びた。

そして地面に土下座して頼んだと言う。

 

 

 ――どうか告訴しないでほしい。おねがいです。

 

 

 両親と職場の学校側の尽力で、示談がなされ、告訴を取り下げる

ことにしたらしい。

おさまらないのは怪我を負わされたベレー帽氏である。

画家だそうで、怪我の補償もふくめて、告訴を辞さない構えだった

という。

 

 

 

 原田は教職を辞め、故郷を離れ、遠く地方へ流れていった。

 

一方、慶子は傷心癒えず、勤めも辞めた。

父親はすでになく、老いた母親に代わって、兄一家が家の中を

取り仕切っていた。とりわけ、気の強い義姉とそりが合わず、

事件後の慶子に安住の場はなかった。

 

 そんな折りも折り、地方出の青年が慶子にプロポーズしたのだった。

男はこりごり、結婚なんか、と思う裏から、現状から脱したい、

結婚すれば、気分も落ち着くかも・・・。

 ワラにでもなんにでも、縋りたいような弱気な慶子だった。

 

 

 先方の親が乗り気なうえ、厄介払いしたい兄一家にはもとより

異存はなく、とんとん拍子に話は進められていった。

 

 ・・・ケッコンもなにも、わたしはね、心から安らげる場所が

ほしかっただけなの・・・。

 

 

 

  

        ☆

 

 結婚が決まると、いくらか気分を取り直した慶子は、再び、

仕事を探し勤めに出る。なにしろ、義姉の君臨する家の中は

針のむしろ、なのだ。

車の販売会社の職場を得た彼女は、そこで、“運命の出会い”

に遭遇する。

皮肉にも、生まれてはじめて、本物の恋をしたのだ。

 

 慶子より、一、二歳、年下だが、実に落ち着いたしっかりした

人物で、「能」が趣味だという。能楽にも、能面にも一家言を持ち、

書にも親しんでいて、聞いたかぎりでもな並々ならぬ、

いかにも、慶子が好む相手に思えた。

 

 能の君も慶子を愛して、恋人としての交際がはじまるのだ。

地方出の朴訥な男が急に色褪せてくる。しきりに結婚が疎ましく

なる。白紙に戻したい、と頼んでもみた。が、所詮、通る事柄

ではなかった。

 

 ・・・父親のいないこっちは、てんで立場が弱いのよ、

兄貴は早くこの家を出ていけ、の一点張りだし、母はおろおろ

して、なんにも言えない・・・。

 

 

 

 そんな修羅場の最中に、何かを吹っ切るように、慶子はわたしの

旅行に同行を決めたのだった。

退社し、恋人とも涙の訣れを告げ、旅から帰ると、地方の分家

してもらった“新家ンちの花嫁”になった。

 

 

 

   

 

          ☆

 

 “石の上にも三年・・・”の目標を、ひそかにたてた慶子は、

とにかく、三年は辛抱しよう。子も作らないように用心して。

 

 つよい意思を通して、きっかり、三年後、身一つでその家を出た、

のであるが。・・・・

 

 

 

 新家んちの息子である人を、一度だけ見たことがある。

繁華街を歩いていて、ばったり、慶子夫妻と出会ったのだ。

 

 印象の薄い、けれど控え目な気の良さそうな人物に見えた。

考えればこの旦那さんも、慶子とはある意味、被害者のような

不幸な婚姻ではなかったか・・・と思われる。

 

 

 

     

          

 

 

その後、十数年も経て、同窓会に現われた慶子は、小さな女児を

連れていた。他の同級生の持つ子どもはそれぞれ中学か高校、と

いった年頃のなかで、わたしと慶子の子だけが揃って小さい、

という偶然に笑いあった。

 

「ともに家庭を持つまでの変転長き、だったわねぇ」

 

 けれど、再婚後の慶子のその頃の家庭も何か事情を抱かえて

いたようで、しばらくして出した賀状の返事に当時のご主人から、

 

「・・・慶子は子どもを連れてこの家を出ていきました」

と返事が来た。

 きちんとした筆跡で誠意は感じられた。

 

 

しかし再び、彼女の身上は<行方知れず>になってしまった。

 

半ば、自ら選んだ来し方とはいえ、この旧友の<運命>と

いったことに思いを馳せれば、しのびないものがある。

 

 

 

 

          

 

 ☆

 

 やはり級友で、涼子という友人がいる。

 涼子もまた変転のくちで、夫と別れた後、生家の近くに

アパートを借りて、娘たちと暮らしているのだが、涼子の生家

には、異父妹の千紗、という婚期のやや遅れているのがいた。

 

 過日、涼子と会うと、こんなことを話した。

 

「ちぃ、がね、結婚するの。その相手、ほら、覚えてる?

原田ナントカいったっけ、同級だった、目立たなくて

おとなしかった・・・、その原田くんの弟なの、ちぃの相手。」

 

 

 忘却の彼方へ消え去っていたはずの<名前>を、いきなり、

聞かされて、

 

ええっ~!   ひぇっ!! 

 

おもわず、心のなかで、悲鳴をあげた。

 

 

 

涼子が十数年前の<事件>など、知る由もない。

 

「その原田くんって、今、どこで何をしてるの?」

「うん、S市の近くのどこかの町でね、学校の先生、してる

らしいよ」

 

「・・・・、

ケッコン、してる?」

「ハハハ、そりゃ、してるでしょ、わたしたちと同い年

なんだからサ、」

 

 なんて妙なこと聞いてくるの?という顔で、映子は屈託なく

答えた。

 

 

 彼女に、それ以上の話題に触れることはしなかった。

 

 

 

 

          ☆

 

いつか、もし、慶子に会うようなことがあっても何も

話さないつもりだが、もはや、

居所不明の慶子とは終生会うこともなさそうである。

 

   

               ***上記作品はフイクションです

 

2013.11.15 居酒屋 佐希乃

       
    
         居酒屋・佐希乃

 

 

 表から脇へ一本入った通りに、小さな建物の並ぶ一角があった。

 そのうちの一軒、連子格子の戸を開けると、カラカラ・・と音がした。

 佐希乃 と、のれんに染め抜いてある。

 

 開口半間ほど。カウンターに椅子が六、七脚。数人入ればいっぱいに

なってしまう、こじんまりした店だ。

 

 素人出のママがひとりで切り盛りしている。目立たない店だから、

ふりの客は少ない。ママの昔馴染みか常連客か。見知らぬどうし、

カウンターで飲んでいていつのまにか言葉を交わしているようなことも

あった。

 

 店の常連に、タンちゃん、と呼ばれる二人の男客がいた。ひとりは

タンノ。長めの髪をバックに撫でつけて聡明な理論派タイプ。独身だが

デパート勤めのフィアンセがいる。

 もうひとりのタンちゃんは、タツミ。スポーツマンタイプでつい先まで

はスポーツ用品問屋に勤めていた。彼には元モデルの混血美人の
夫人と
男児がいる。こちらのタンちゃんは見掛けに寄らず繊細で
ナイーブで、
しかも短気。少々世間並みの規格からはみ出ていて、
職場がちょくちょく
変わるらしい。

 

 このふたりタンちゃんが、佐希乃の代表各的な客だ。


  この二人、気が合うらしく大体毎夜顔を出す。他に男客が一人、二人

集まると、ムツカシイ話になってくる。「・・・吉本隆明がこう言ってるんだ

・・・、しかし何だな、オレは・・・」

 こうなると、女たちはうかつに口をさし込むことは出来なくなる。

 隣席のクミコが分厚な札入れから券を数枚、取り出して見せる。

 

 「なに? それ、」

 「バケン、よ。このあいだ、ちょっと当たっちゃってね。シメシメ!なの」

 

 ・・・へぇ、クミコが競馬を始めたなんて、知らなかった!

 


 男たちがこっちを向いてきて、ムツカシイ評論からたちまち

競馬談義に変わる。ひとしきり、馬券の話。


 「・・・おもしろそうネ、わたしもいちど買ってみようかナ・・・」

 すぐ、タツミタンちゃんの声が飛んでくる。

 「ダメダメ!!  女の子が馬券なんか買っちゃ!

   ・・・・オトコを五人くらい買ってからにしな!」

 

 


   ・・・・ウン、じゃ、今から、オトコ、買ってくる・・・

 

 

 カタン、と椅子の音をさせて、そのまま外へ出てくる。

 ずんずん、歩いていく・・・。

 

 

 あわただしく追い掛けてくる影があって、大きな体ごとタンちゃんが

止めにきた。まじめにコワイ顔だ。

 

 

 その日から、タンちゃんの心がこっちに注がれてくるようになった。


 カウンターの隅に座っていると、無骨ながら何くれとなく気を配ってくる。

ブンガクの話、詩の話をした。


 帰る時は、広い通りまで送ってくる。

・・・じゃぁな、気をつけて帰れよ、まっすぐ帰るんだぞ。

電車にひかれるな。

 


 兄が妹を慈しむような間柄である。店以外で会うことはない。そんな二人

にママの厳しい目が注がれていることなど、まるで気が付いていなかった。

 

 

 しばらくタンちゃんの現れない日がつづいた。店での彼しか知らないから、

ママにたずねてみる。

 
 ・・・ママ、タンちゃんは?このごろ見ないのね、どうしたのかな・・・


 ママの返事は何故か歯切れが悪い。わざとタンノタンちゃんと取り違えたり

する。このごろのママは実にそっけないのだ。クミコや他の客には以前と

変わらないのに。

 

 

 


 数日後の昼下がり、街のなかでママとタンちゃんが連れ立って歩いて

いるのに偶然出会う。いつもは和服のママが華やかな洋服を着て、

結いあげない長い髪も初めて目にするものだ。
 あわてて、問いもしないのに
二人の口実を説明するママ。
 憮然と立ち尽くすタンちゃん・・・。

 

 その狼狽ぶりはかえって不審を募らせるものだった。

 

 

・・・ママは、タンちゃんのことを、・・・

 ・・・そう、そうだったの?・・・

 思い返せば、ママの態度はみな合点がいく。

 

 ・・・うかつ、だったと思う。


 タンちゃんを横取りするつもりなんて、ない。

つくづく うかつだった。

 

 

 

 

 

      *

 

 明日、嫁ぐという日、

店へ寄って、タンちゃんに告げた。

 

 一拍、息を呑む刻。沈んだ声で、外へ出よう、と言う。

「・・・用があるの。明日のことで忙しいし。・・・いろいろ、

ほんとに、ありがとう。 ・・・おげんきでね」

 

 タンちゃんは、手帳にペンを走らせると、ピリっと割いて、

手に握らせた。

 馬券買う話をした日のように、うしろから追い掛けてきて、肩を

抱くようにして、

 

  ・・・げんきでな。しあわせになってな。

 今度もやっぱり、コワイ顔をして、ふかい色の眼つきだった。

 

 

 手に渡された紙片には、こんな歌のようなものが書いてあった。

 

     探しなむ愛は何処と今此処に

         告げるすべなく明日は往く身か

     

 

         **上記 掌編作品はフィクションです。

 

    

            第四章

 

 

        再会

 

 世田谷からカズコが、木更津からシイが、同窓会会場へ

やってきた。三人が会うのは数十年ぶりである。

 

 会えば、たちまちあの頃に三人に戻って・・・、

他の同級生のどの顔も懐かしく・・・、

 料理を楽しんでる余裕もないくらいに、あちこちの顔を

確かめあい、喋り、笑い・・・、

 

 二次会にも繰りこんで、飲んで騒いで笑って話して・・・、

またたくまに、“ゆめのような一日”は終わってしまった。

 

 

 

翌日、三人の他に同窓会に欠席したリョウコも呼んで、

シイのお兄さんのマンションの一室を借り、集まった。

 

 前日の同窓会には、子守りは夫が引き受けてくれ、精一杯

お洒落して、奇麗な、まだパリパリッ!の独身みたいな

(・・・つもり)になって出席した。

 翌日、夫は仕事に出、  

五歳の長女の手を引き、生後半年の赤子をおんぶ帯で背負って

行った・・・元ヤンチャ女子のわたしの恰好を見て、他の三人の

元女子の、  笑うこと笑うこと、

アッハハハハ~、 キャ、ア~ハハハハ~~・・・!!

 

 ナニよ、 ナンやねん、  ハハオヤ やねん~!(怒)

 

 

     

 

 一冊の「詩集」

 

 一回目の同窓会に、かきつばたの女王ことT女史が出席

していたかどうかは 分からない。

中三時代、Tの居る一階のA組とわたしの居た二階のE組

の教室は遠く離れていた、

卒業して数十年後の同窓会のホテルフロアでも、組ごとに

分けられたテーブルの席は、遠かったのである。

 

 正直、その時も、Tは“過去の人”にすぎず、特に

思い出すこともなかった。

 

 

 

 同窓会では、最後の生徒会長だったコウ君とも再会できた。

 

あの学年のクラス分けって、ちょっとおかしくない?

AとBに優秀な生徒かき集めてさ、CからこっちFまでは

残ったのをテキトーに分けた、みたいに・・・になってない??

 事実、番長級の子も、手の焼ける不良っぽいのも、ほとんど、

C組以降の組の子である(・・・ようだった)

 

長年の疑問を、コウ君に言うと、、

 

ない、ない、   それはない・・!

 

 笑って、即座に答えた元生徒会長は  B組である。

 

 陸上部で気骨もあったコウ君は、周りの声援も多く
望んだわけではない生徒会長に推され、旧い校風に革新の

旋風を巻き起こした 型破りなヒーロー、だった。

 

重責ある会長役の活躍の裏で、ほんとうの自分との葛藤も

あったのではないだろうか・・、もともとはシャイでアウトロー

でもあったコウ君、

知人の詩集を、元文学少女に、持ってきてくれた。

 

北多浦 敏氏  「涙の切れた港から舟を出す」

その詩集は今も書棚に収まっている。

 

 

 

 

        リベンジ・・・

 

二回目の同窓会にも出席している。

 

  A組の集まるテーブルを通り、T女史の姿を見た。

  その時、自分でもおもいがけず、Tに近付き挨拶をした。

  

 

お久しぶり~、 

さりげない挨拶のあとで、Tに向かって、

 

同じクラスだった時にね、ちょっとツライ目に遭わされて・・、

 

と、つづける間もなく、横に居たオバサンが、強い口調で、

 

ちょっとぉ、そんな昔の話、持ちだされても・・・、

 

 

そこにもまだ“取り巻き”? が 居たのだ、

Tの表情も 険悪になっていた、 あの時とおんなじ顔・・・、 

 

 お酒の席でおとなげないことになっても・・・、

とりとめない話題に戻し、その場は退いてきた。

 

 

 

以降、同窓会に出席するのはやめてしまった。

仕事に復帰して、忙しかったりしたし。

 旧友たちからどんなに誘われても、出ることはなかった。

 

 元文学少女のナミが藤沢から来て、会いたい!というので、

二次会の場所へは行ったことがある、同窓会には初参加という

もうひとり、イッ君も居た。

 重い病気をして回復したのだというナミを、イッ君と一緒に

夜の新幹線の駅まで送っていった。

 

 また、数年後、木更津から同窓会に来たシイがわたしの家

に泊まる、というので、二次会だか三次会だかのバーで

酔っぱらっている彼女を迎えに行ったこともある。

 が、同窓会には出なかった。

 

 

 

 

          心の区切り

 

 それから、歳月は茫々 ただ過ぎ去っていった・・・。

 

 “アラ環”も過ぎ、長く勤めた銀行も卒業リタイアした、

 とりあえずは  自由の身上になった・・・、

 

 ぼちぼち、林住期から遊行期かなぁ~、

 

 

そんな時、 再び、同窓会案内が舞い込んできた。

ふと、出席する気分になった。

(その年は、子どもが生まれるまで勤めたコンピューター社の

OB会にも出席している。)

 

 

 数十年ぶりの中学校同窓会、だれもみな シワ、白髪、メタボ

(もいる)、相応に老いて、誰が誰なんだか分からなくなっている

顔もあった。

 

ホテル・フロアのバイキング形式の料理を取りに行った、

そこで、T女子に出遭った。

 

 いくらか老けて見え、でも 穏やかな印象に戻っていた。

 

 

 立ったまま、少し話をした、小学校時代のK子ちゃんの

その後のこととか、実家のこととか。 そして、淡々と席に

戻った。

 

 

 

 

数日後、わたしは、東京在のTに宛てて、手紙を書いた。

昔、あった投書事件のこと、真実のこと、その後のこと、

それらを 誠意をもって、綴った。

 

 ・・・この手紙を書くことで、自身の心の区切りをつける旨も

書き添えた。

 

 

 

 

返事 は   ない。

 

 

 

 

 

         終 章

 

        

 

忘却の行方

 

それから二年後、再び、早めの同窓会案内が来た。

 

○○中学物語りを書き始めた矢先の案内で、そのタイミングに

驚いた・・・ことは序章で書いた。

 前回の出席で最後にしよう・・と決めていたのに、

今回の会場の、地元では名の知れた老舗料亭の「GG園」名前を見て、

また迷いだしている 笑。

(結局、欠席の返事を出した)

 

 

 かって、友から傷つけられた・・・ことは、 

自分では忘れた、記憶にない、  

イジメを受けたとか、そんな意識もなく、

それほど、深刻なダメージは知らず過ごしてこられた

人生だった、

  

 事実、活溌に動きまわっていた時代には、思い出すことも

なかった、

・・・そうであった筈なのに、それが、年を取ってきて、

過去のあれこれが、ふっと、蘇ってくるような瞬間がある、

というか、そんなフラッシュバックの瞬間が増えてきた。

それが年取った・・・という現象なのか、

 

 たまたま 自由な境遇?であることも関係しているかも

しれない、重篤な問題をかかえていたり、身近に介護の要る

ひとが居たら、そんな昔のこと 思い出してる暇もないで

あろう・・・。 

 

 

 

ダメージは忘れた・・・、のではなく、実は 心の深い底に

沈んでいただけ、あるいは無意識に封印していた・・・、

のかもしれない。

 

 

 しかし、傷つけたほうは忘れている・・・、

忘れている場合が多いのではないか・・・、 

T女子も、かっての事件のことなど、忘れていたかもしれない。

 

 

 

 ここで唐突だが、少し前の映画(2008?) 「青い鳥」

 学校内のいじめに真正面に取り組んだ秀作と言われている、

中西健二監督、阿部寛主演、

 

 吃音の教師が 言う。

いじめで自殺を図った生徒の教室で。

 

 

 「 忘れる なんて、 ひきょうだな 」 

 

 

                 ― 完 ―

 

  ***上記作品は フイクションです***

 

   

      
         第三章

 

   ヤンチャな女親分になる

 

 学年が変わり、気が付いたら、わたしは活発なヤンチャな女の子

になっていた。いじめられて小さくなっている子を助けたり、男の子

とやりあったり、先生にひどく反抗したり、

 

授業が始まっても、教室に入らず、廊下に尻餅ついて座り込んで

いたり、  ちょっと世話のやける不良っぽい娘・・・でもあった。

 

 そのころには、かきつばたの女王・・・のことなんか、

眼中になかった、 というより、教室が離れていて、会うことも

なかったし、  毎日がじぶんの関心事に夢中で、わたし自身の

なかで、投書事件の影もなかった。

思い出すこともなかった。

 

 

 後年、卒業後、バス停に立っているTを見掛けたとき、

わたしの胸の底のあたりで、  ズン!  なにか 疼いた

瞬間があった。  が、それだけ、である。

 

 

 

 

        忙しい中三

       

仲間外れにされて、しょんぼりしていたカズコを救い、

隣の組で小学以来の仲良し、体のデカイ迫力のあるシイちゃんと

三人、大抵いつも一緒に居た。

 

 クラスのどっちかというと、ハミダシ系のヤンチャな男子とも

よく気が合って、男子の輪の中に女子ひとりまじって騒いだりしていた。

女子より男子の友だちのほうが多く、その傾向はずっと続き、

今でも賀状などは男性のほうが多い。笑 

 

同じ組のイッ君とは家も近かったので、時々一緒に出歩いた。

ヤクザ組長のオジサンのいるイッ君と、商店街の縄張り内の

パチンコ屋にも出入りした。通りを歩いていると、まわりの若いモンが、
イッ君を見ると
散らばって消えていったり。 本人はそれらを嫌がっては
いる
ようだったが。

 

 

 

一方、遊び回っていても、本を読み、詩や文を書く文学少女で

あることは変わらなかった。もう一人の文学少女ナミとはブンガク

やジンセイのことなど語り合ったりした。

 

わたしの友だちには、マジメな群と不良っぽい群、 両極端があり、

丁度その真ん中に居た・・・という感じだったろうか、

 徒党は組まなかった。マジメも不良ッぽいのも、どっちがどっち、

というのではなく、常に “自由に、自分は自分のまま” でいた・・・。

 

そうして遊びまわっているうちに、シイとカズコの二人が急速に

グレていった。

当時テレビ塔下に集まっていた“カミナリ族” 今でいう暴走族の

仲間に引き入れられ、本物の不良になってしまい、学校に出なくなり、

家出を繰り返したりした。

 

 帰ってこないカズコを街まで捜しに行ったり、

合間にイッ君たちとも遊びに出掛けたり、

学校で、文学少女ナミの、S先生とのことの悩みを聞いたり、

 

まこと、わたしの中三時代は慌ただしいばかりで、勉強するヒマも

ない、成績は下がる一方であった。

 

 

  

    そして 卒業 

 

卒業して、数十年後、同窓会の案内が来た。

 

グレてしまって以後、波乱万丈の人生を辿り、それでも無事

ケッコンして遠くで暮らしているシイもカズコもやってくるという、

 

 数十年ぶりに懐かしい友に会える・・・。

 

 

      

 

 

 ***ここまで書いて、少し記憶違いの箇所もあるかもしれない、

と気が付いた。 二章 *軍隊か・・の項、 始業前に強いられた

動けない姿勢、 ・・・あれは小学校でのことだったかも・・・

小学後半と中学前半と 記憶がごっちゃになってるかもしれない、

 

 

中三の時の 

・・・ 始業時間が始まっても、廊下に座りこんで、動かなかった・・・

 との、落差がありすぎる?!

 

 

***この作品は

遥か遠く 過ぎたことを題材の “創作エッセイ” であること。

フイクションとして 読んで頂くよう、  あらためてお願いです。

 

  

***さらに この章の 追記

 

 

暴走族との出遭い

これも書かねば。

 

 テレビ塔下には 少女三人で出掛けたのだ。 

オートバイの傍らにヘルメットを持った少年がいて、声を掛けてきた。

 

 見た目、少しもヤサグレた印象はなく、少年の面ざしの残る

笑顔で、ごく普通に、とりとめないことを喋りあった。

 

 帰り際、  また来いよ、  オレたちも来るから、

 

 わたしは 本気にせず、気にもせず、

けど、 シイとカズコ二人は翌週、テレビ塔下に出掛けたのだった、

 

 当初の少年だけでなく、もっと先輩やら凄いのやら、たくさん、

集まってきた、らしい。

 ボスみたいなのも居て、二人の少女がその仲間になってしまうのに、

さほど時間はかからなかった。

 

 

 カズコのお母さんが、シイのことを恨んだ。

温順だった娘、カズコをわるい仲間に引っ張ったのは、シイだ、

シイのせいで、カズコは札付きの不良になってしまった・・・


  シイには、ほかに不良っぽい友だちも多数いて、わたしとカズコは
その仲間たちとも出会いはじめていたのだ。

 お父さんが肺結核を患い入院したきり、仲居をしながら女手

一つでカズコらこどもたちを育てていたおばさん、

 

 すっかりグレてしまったカズコが家出をするたび、必死で

捜しまわり、嘆き怒った、おばさん、

 

カズコは帰ってもひとりの留守番ばかりで、寂しかったんだ

と思う。グレてからは、キビシイばかりのお母さんを憎んだりも

していた・・・。

 

でも おばさん、  わるいのは シイちゃんだけじゃない、

きっかけ は  わたし かもしれない、  

 

 もう亡くなってしまわれたけれど

おばさん   ゴメンナサイ!!

 

 

     続く

 

    

      秋雲

 

 日中の日差しはまだ暑いが 雲が 秋の形 になってきた

 

 雨の降ったあと 涼しい というより寒い・・くらいの朝

渡りの雁が 川の上を飛んでいった 

Vのかたちになって  次から次へ  飛んできては 去っていく

  

 秋空の下を Vになって 雁が飛んでいく さまは うつくしい

 

 映画の ラストシーン  を  見ているようで

 

飛ぶ雁たちが  いとおしく おもえる

 

ぶじ  飛んでいくんだよ~~

  

 

 

 

憶えていますか?

 

        第二章

 

 

        かきつばたの女王

 

 美人で頭が良くて、クラス女子みんなの憬れであったT、

そんな彼女への、誹謗中傷の投書があり、教室内は騒然と

した空気になった。

 

 投書されたTの、取り巻き以外には わたししかいない・・

のだから、投書のヌシとしてとうぜん、疑われる、ことは思った、 

・・・けど、Tを信じていた。

 

他の18人に疑われたとしても、Tひとりが信じていてくれる

ならそれでいい、  そう 思って過ごしていた。

 

 わたしは徒党を組むことをよしとしない。群れることがきらい、

集団、軍団がきらい・・・。

その時すでに 本を読み、詩や文を書く“コドクな文学少女”  

であったのだ。

 

Tの取り巻き軍団に入ってなくても、彼女を決して敬遠していた

わけではない。それどころか“かきつばた”以来、尊敬に値する

ひとと認めていた。

 

 

小6 以来の“ともだち”だから、Tはわたしのことを

知っていてくれる、  

 

わたしが悪口の投書人だなんて、思ってるわけない・・・!

 

 

 

 

         スケープゴート

 

数日かが過ぎて、わたし自身の中では投書事件は過去のことに

なりつつあった、そんな時、  

 

Tが凄い形相でやってきた、

  

―あんなこと書いたの、あんたでしょ、ヒドイ、

覚えてなさいよっ!!―

 

 それだけ一気に言うと、スカートひるがえして、去っていった。 

 

 

 

 

わたしの顔はたぶん、呆気に取られ、ぼんやり、していたと

さえ思う。

 

 Tの荒げた声を聞いたのも、怒りに満ちた凄い形相を見たのも

初めてだった。

 

 わたしの知るTではなかった。

 

彼女は変わってしまった・・・

 

取り巻き連中に囲まれ、中心の頂点に立たされているあいだに、

いつのまにか、君臨が身に付き慢心してしまったのだろうか、

それに、Tは小学以来の旧友のわたしのことなど忘れてしまって

いる・・・、

 

 それが何より、痛手だった、ショックだった、哀しかった、

 

 

 

さぁ、それから 以降、クラスの教室の中でのわたしの居場所は

なくなった。周囲の女子からの攻撃、嫌がらせ、こまかな出来事は

忘れてしまったが、

相手にされない、孤立感、  それは学年が終わるまでつづいた。

 

 

自ら選んだ“ひとり” と 他から絶対の差別をふくむ“ひとり”

とは次元が異なってくる。

 

 

 後のわたしなら きっぱり反動したはず。投書の筆跡とわたしの

字を見てもらえば、あきらかに違いははっきり判明して、

犯人でないことを証明することも出来たはず。

 

 だけど、当時の気弱なわたしに、出来ることはなかった、

悔しくても泣き寝入りするしか方法がなかった。

 

 

    


         そこは“軍隊”か?!

 

 これだけ記憶があって、ふしぎなことに、魔女狩りのような

投書事件のあったのが、一年の時だったのか二年の時だったのか、

はっきりしない、

 当時のクラスでは投書箱だけでなく、他にも悪しき慣習があった。

 

 授業開始のチャイムが鳴ると、全員、席に付き、姿勢を正し、

黒板のある前方を向く、先生が入ってくるまでその正しい姿勢を

続けねばならない、少しでも喋ったり横を向いたりしようものなら

学級委員のチョークで 黒番の右下に 名前を書かれる。  

 

 窮屈な姿勢で、いつまでこんな動けないの、早く先生、来てぇ~、

つい戸口を見ると、  ハイ、そこ! 前に立つ監視兵の学級委員に  

名前を書かれる・・・。  

教室に入ってきた教師はそれら、名前を眺める。

 

 

今思えば、なんと、アホくさ!

 

 いつの時代か?・・・、れっきと戦後世代ですぅ、 

投書箱にしても並列姿勢?にしても、前時代のこの悪しき慣習、

考え付いたの   ダレなんや、  ホンマ、 シバくぜ!!

 

 悪口を書いて、投書箱に入れた あなた、

名も明かさず、ただ非難するだけじゃ、真意はなにも伝わらない、

ふたりの同級生女子の心を傷つけた   あなた、

  

  ・・・ その後の 人生は  どうなの??

 

  

 

わたしの一、二年のあいだに遭った出来事である。

 ちなみに 一年の担任は H・ラージ先生 二年はW・青タン先生

 

 

       第三章に続く



             序章
   

        同
窓会の案内状

 

 昔、旧友をモデルにした掌編を書いた。

それをブログに リニューアルして書き直すつもりになっていた

・・・ちょうどそんな時にトツゼン、同窓会の案内が舞いこんできた。

 

 

 第一回目以降、5年ごとに開催ということだった。

 その後、数回、欠席することのほうが多かったが、三年前の

折に、久々に出席した。

 

今回、五年後の予定より早めの開催であるようだ。

案内には、

“一年のサイクルが年をとるごとに短く感じる今日この頃です”

と書いてある。

 

 

 創作・掌編は、==フイクションです、該当者は有りません

詮索無用に!==

と銘うったところで、また滅茶古い時代の内容であるにせよ、

同級の誰かの目に入れば、好奇心から詮索、割りだしたりされる

かもしれない、   それは 作者として本意ではない。

 

 

 

中学の同級生に向けての“ものがたり”の構想をはじめた矢先、

同窓会案内が届く・・・って、 ナニ、 この  タイミング!!

ちょっと驚いている。

 


   

         第一章   

     

     憶えてますか? 同級生たちへ

 

 

        投書箱の怪

 

 旧友の創作は延期することにして、別に思い出されたことがある。

これまで、数十年封印されていた、記憶の底の底に埋もれていた、

こんな事柄。

 

 

 当時のクラスの教室には投書箱が、設置された。

イッタイ ダレが発案したのか、他のクラスにもそれはあったのか、

担任は知っていたのか、

 

 その辺のことは不明である。

 

 無記名での投書を、郵便箱みたいな箱に入れるのである、

まだ たかだか中学に入って間もない年ごろで、建設的な意見

など出ようもなく、無記名であるからして、それはほとんど、

個人名指しの誹謗・中傷の内容が占めていた・・・ようだ。

 

 わたし自身は幼い意識ながら、無記名でひとの悪口書くなんて、

卑怯だ、気になることがあるなら本人に直接言えばいい・・・と

いう考えで、投書箱とは無縁に、内心苦々しくさえ感じていた、

・・・、のではあるが、いかんせん、ひとりの弱者の意見など

通る状況でもなく、立場でもなく。

 

 

  

 

知ってますか? 投書の行方を

          ひとりの女の子の その後の悲哀を

 

 わたしは小学・中学途中までは とてもおとなしい、人見知りの

つよい、か弱い女の子だった、

 と言うと、中学後半からしか知らない友人たちは、

へっ!  だれが か弱いって?!   ワツハハハ・・・

カラカラ、笑うであろう。 

 小学から中学一、二年の半ばまでしか知らない同級生たちは

うんうん、・・・って頷くかもしれない。

 

 

 当時のクラスには 頭が良くて、美人で、背が高くて、何を

取ってもずば抜けたTが居た、まわりの女子の憧れでもある。

T自身はどちらかといえば、控え目なタイプで進んで女王気取り

するようなひとではなかったと思う。

 

 でも、まわりの女子たちは、Tに群がり、いっせいに一緒に

くっついて行動するようになっていた、女子が20名居たとすると

18名がTの傘下、いや子分衆であった。

 18人以外の1名は T当人、残りの1名は わたし。

 

 Tのことはキライではなかった。小学6年の時も同級で、

Kちゃん、T、わたし、三人で一緒に帰ったりしたし、

Kちゃんとふたりで、Tの家に遊びに行ったりもしている。

 

 家へ呼びに行って、  

 

なに してた?  と聞くと、

  

― かきつばた の 花の 観察をしてた ―  

と 言う。

 

Kちゃんとわたしが遊びほうけてるあいだにも、

・・・花のこと調べてるんだ、アタマのいい人って違うなぁ!・・・、

子どもながら 感嘆したのだった。

 

 

 

ある日の投書箱の中に  Tへの誹謗の意味の投書が入っていた。

   威張っている、とか いい気になってる、とか

そんな内容ではなかったか。 とにかくその辺はよく覚えていない。

 

投書が読まれた時、クラスの誰もがみんな固まった印象で、

Tは下を向いたままだった・・・。

 

 イッタイだれが書いたの?・・・ 女子の誰もが考えただろう、

なにせ、18人が取り巻き連中なのである。

 

 それでも わたしはノー天気に その後、じぶんの身に襲ってくる

恐ろしい疑惑を被る不安も心配もしていなかった。

 

               第二章へ  続く