不安定な大気

昨日も梅雨どきみたいな、、、


晴れてないぶん、多少 楽なので、 久々に車に
乗り、ガソリンの補給。  

満タン、 約2500円。


前回、二月以来である、その時も 2500円位だった。


いかに 車に乗っていないか・・・、



ハンドルを手にして、じき、 大通りに出て、

信号が青になって斜め前方から 車が ワ~~ッツ 
突進して(・・来るような錯覚)が 起きて ちょっと 
怯んだりする。



ヤバイですな。
たまには
乗らないと  鈍って、ボケますね。




ドコモショップに寄って、じぶんのガラケーの

契約内容の再確認したかったのだが、 店の前に

着くと、シャッターが。。

火曜休み  ですと。  

あちゃ~~、 滅多に行くことないですもん、  
知らなかった、、、



丘を登った先の 大手ショッピングセンターに寄ろう、
と 車線変更しないまま 走ってたら  雨が降ってきた、

  辞めよう、  おうちへ帰ろう。。。

車線 変えられないまま 大回りして 帰った。



やれやれ、  この先 いつまで運転できるだろうか、、、




    今朝の収穫

  DSCF65667/26収穫 虫喰いだらけ。。
  キュウリも大きくなりすぎ、、、?!

  


木の枝葉もはらう。

草抜きは省略、しゃがむと 虫たちに刺されて
跡が大変、、、なので。 

衣類の上からでも刺されます、香取線香焚いて、
虫除けスプレー 撒いて、、、


ちょっと、庭に出る、のも 覚悟がいります。


 


   朝食の支度しながら

今朝採った野菜を洗って、冷蔵庫にしまって、
前日採れたのと 交換し、

冷やしたキュウリやミニトマトを  頬張る。

オイシ~~イ。 生きたここち。  大袈裟だけど。




   古扇風機

今年 7月半ば、とうとう ビクとも動かなくなった。

月に1度の資源収集日に出すことにする。



それを仕舞っていた段ボールも不要になるとて、

倉庫から それを引っ張り出す。

ボロボロになり果てた段ボール、 最新の細身と
違って、 かなり 大きめである。

毎シーズン毎に  出し入れして、扇風機を
きちんと収めてきた。



  ふと 段ボールの横を見ると、

  DSCF6567.jpg   
 
  夫の 達筆ではない 大きな字である。


長年 出し入れしてきて 気が付かなかった??

なにしろ  大きな箱なので、 重いし、

横なんぞ、見てる余裕がなかった??



   
   よくぞ 24年間?!。。。

それにしてもよく 持ったものだ、  最近のなんて、
たった4年しか 持たなかった、、、


  
 
   長持ち 扇風機 

    毎年 分解して綺麗に拭いてきた
 
  さよなら扇風機DSCF6561  古扇風機H6/7/16買うDSCF6563

      スイッチも 超シンプル
     シンプルボタンDSCF6562



    さよなら 古扇風機

たかが電化製品だけど  亡き夫はじめ、娘たち、

ほんとうによく馴染んで 役に立ってくれた。

処分するに、異例の 思い入れがある。 

  扇風機。 さよなら そして  おつかれさま。



  ある捨て犬の生涯

**過去に書いた記事は 
               
  ↓↓
  こちら
 (草の墓標・浮島
)  








  
 ***数年経っても、この犬のことは、

忘れ得ず、

折りにふれ思い出され、 

その想いが募り、じぶんも  その 


  浮島・浮洲に 降り立ってみたい・・・



過日 果敢にも ひとり 川際の険しい道のりを歩いて   

浮洲に 立ってみて、

(実際に   棲み着いた浮洲ではない、
今はそこまでは 水で断絶されて 辿り着けない、、、 
乾期なら ジャブジャブ水の中を行けば 行けなくも
ないかもしれないが・・・)
 
 
 

   孤独、 不安、 寂寥、、、


それらが  真に迫って 身に沁みた。



 ・・・ ナンで こんな困難な、不安定な、

はかない浮洲なんかに 行き着いたのだろう・・・?

もう少し 上流か下流か どちらでももっと川辺を

進んでゆけば雨露しのげる橋下もあり、 畑もあり、

すぐ 土手に辿りつける場処もあるのに・・・、


  

***あの日、引き取りにきた動物保護センターの

スタッフが言うには、

 
 ・・・傷痕があるし、おそらく引き取り手はないでしょう・・・


怯えきって ブルブル震えるばかりの テンを見て、   

首を振った。




ネットで調べもしたが、
当事、引き取り手のない動物は  殺処分される・・・
ようだった、

現在のセンターでは 処分を減らす取り組みがなされては
いるようだが、、、  




  テン、、、、 痩せこけてちいさな からだの テン、

  雌の成犬であった。



   五月尽

残り一日で五月尽 水無月に入ります

五月~~ いくらか 自分の時間が持てるよう
になり、PCに向かう時間も増えたと思える。


五月の記事数  ブログはじめて以来 最多です!




    Fくんのこと

娘たち 2人とも  フェイスブック とやらに
入ってる・・と聞いた、  
 へっ?!  へぇっ~~!! 


4/6 「朝の目覚めのゆーつ」記事にも 少し触れて
いるが、


 ・・・旧友で こんなひとがいるの、  
  ブログを見付けたんだけど なぜか コメントが
  送信できない・・・、


多分 思うに フェイスブック会員でないと 送信不可?!
の設定?になってるのではないか・・・ 


その後 わたしがそう推測してることなど 娘に話した
ところ、


さっそく  そのFacebook画面から  そのひとを
捜しだし、


 ・・・えぇ~~! おかぁさん、 こんな有名なひとと
    知り合いなの??!!

 ・・・知り合いって、  むかぁし の ことだよ、、、


  
娘たち 言うには、 

・・・フェイスブックから 連絡してみようか???

いやぁ~、  そこまでして、、、

それに ”有名になってるから 連絡を、、、”  と
誤解? されても  困るし、、、



  Fくん(昔の呼び名で)、

今は 半ひきこもりの  元文学少女 H。

もし、 連絡いった・・・としても 新幹線に乗って
出掛けたりなんて いたしません、 

どうぞ ご安心くださいませ。


  ***以下の リンク貼り 過去記事クリックして
    読み終わったらば 右上の ×で閉じずに、
    左上の    戻る をクリックして頂くと 
    元の現在画面に戻れます。。。
    ↓   ↓  
    *
   朝の目覚めのゆーつ
  
  
   


 *昨夕 西の空に 
まっ赤っか 大きなまん丸の陽が  ゆるゆる
落ちてゆくのを見た。 手持ちの デジカメで 
撮りたかったけど、

山や丘に囲まれた わが町、 唯一駅のある西方面
には架線線路やら林立ビル群が 邪魔になって
撮れなかった。。。 


   背負子(しょいこ)?!
 

・・・幼子を背負子にひとり もうひとり腰紐で
結わえ 熊野古道を走破した・・・、

という話しを聴いたとき

 

 いったい いつの時代の おっちゃんやねん、、、


ついで 前と後ろに子をしょって、森閑の古道を歩く
父子の映像が
ぶぁ~~~、 と 浮かんできた。



・・・リヤカーに乗せて遍路した・・・、
話しのときは

 小説が書けそう・・・ って思ったけど、


背負い子と腰紐・・・のときは 

 映画が作れるぅ・・・って思った。  



わたしゃ 仮想作家かプロデューサーか??






   熊野古道の旅

かって、わたしも歩きました、長女と一緒に。

長女同行の旅も 宿泊だけ決めて 他はほぼ 
”行きあたりばっ旅”




民家の横、ごくフツーの細い坂道を登って行って、

そこから 杉木立に分け入り 石畳を登り、
途中 苔むした大石や地蔵?なんかがあって、



以前は
旅に出ても 殆ど 写真を撮ったことがない、



心象に刻まれた思い出だけが頼りである、


かなりきつい古道を登った先に 峠の東屋が
あって一休み、涼しい風が吹いてきて、眼下に
広がる海を眺めた。


そこから 下って、海岸に沿った岩場を歩いた、 


白い波飛沫(しぶき)を浴びながら ごつごつ奇岩
の上を伝っていった。
結構 長い距離だったと思う。



やがて  那智の滝 着。

災害前の  迫力ある 壮大な瀑布だった。

赤い三重(だったけ?)の塔の回廊をぐる~と
周りながら、
あちこち 場処を替えながら、 
白い瀑布の大滝と塔の光景を 胸の記憶に残した。


写真も記録メモも無いけど、”詩”が残っている。


 **以前に発表済みの作品ですが・・・
        ↓
        詩


      鬼のゐぬ間に


     古道を登りつめると
     紺青の海が見えた
     鏡になって陽の光りをあつめた水は
     万遍なく
     きらきら しゅくしゅく
     ただ 眩しく
     遙か以前
     生きものたち万物が ここから
     生まれ出でてきたことを確信する

     峠を下り
     鬼ヶ城の険しい崖道を伝いあるく
     鬼の頭(かしら)は征伐されて不在だが
     「見張り場」がある「千畳敷」がある
     「洗濯場」で
     使い古した いのちを
     ざぶんざぶん 洗う
     動物たちさえ逡巡したか「犬戻り」「猿戻り」
     小春日和のこの日でさえ
     荒波が砕け散る険しい岩場だ

     長い長い歳月にさらされ 侵食され
     物言わぬ石や岩は奇形になって
     現代人の
     原初への旅の背景になるのか
     癒しという再生への舞台になるのか
     漂泊の海は そこにある
     
     そこに 光る海がある
  


 十兵衛せんせいのこと

実家の近くに

その隣りに母校の中学校がある。

じゅうべえ”・・と呼ばれる国語担当の先生がいた。

苗字は  柳生 と言う。

だから、十兵衛、って仇名がついたんだ・・・、単純にそう思っていた。

何年もして新聞記事で知った。



   

「柳生道場 指南、・・・柳生新陰流・・・」、とあり、

国語教師だったじゅうべえせんせい、見覚えのあるその人の写真が

載っていて、


 仰天した。

ほんものの  柳生流の子孫だったんだ・・・!!

 

後で知ったのであるが、上級生や卒業生のあいだでは、子孫だ・・

そういう噂もあるにはあったらしい。

が、戦後生まれの我々が生徒だったころには、柳生十兵衛、だなんて

歴史上の人物か、時代劇映画の主役・剣豪?!  というくらいの認識

しかなく、もし、噂を聞いたとしても、だれも信じなかったと思う。

 

新聞で知ってから、また長い歳月が過ぎている。

柳生延春 先生、  今もご息災かな・・・、

ネットで調べてみたら、数年前に亡くなられていた、88歳病没と

いうことだった。

 

 

 

 

   

     北の湖師匠の功徳

 

 北の湖さんの石碑が立つ山門をくぐれば、由緒あるお寺の森閑と

した境内である。そこの山のような崖のような登りになっている

杜が「御陵」なのである。

 寺と杜との関連はよくは知らない、そんなこと関係なく、考えも

及ばず、その杜の山や崖に登って遊びほうけていたのだから。

 **残念なことに、その後の伊勢湾台風禍や手入れやらで、昔の

うっそうと繁った「杜」の面影はなくなっている。

 

   

 

   なつばあちゃんの流儀

 

母は、信心深い人だった。(娘のわたしはその点、DNAは受け継が

なかったようで) 

元気なあいだは無論、“脊柱管狭窄症”からキセキ的に立ち直った

後も、そして施設に入る直前まで、お寺に参って手を合わせ、そのあと、

境内や御陵のまわり、中学の通学道など、落ち葉やごみを掃いていた。

 

 家の中は奇麗にしなくなっても、外の掃除には励んでいたのだ。

境内や、中学生たちが歩く道の落ち葉掃きはきっと、母の何よりの

気晴らしになっていたのだろう。

 中学校の教頭せんせいや中学生たちが母の家にお礼に伺って見えた。

 

お寺さんの当主も感謝して、地代を安くし、なつさんが住んでいる

あいだは 土地の撤収も待つてくれた・・・と聞いている。

 

 寺の当主の弟なる人は、うちの次女が通った大学の、仏教の教授でも

あった、現在はわからないが。

 

母の家、つまりわたしの生家跡は 今は寺所有の駐車場になっている。

まわり、どんどん そのような駐車場が広がっている。時節の都度、

熱田神宮参拝の車で 満車になる。 寺の経営はまず安泰ということ

のようであろうか。

 

 

 

 

  シンプルライフの裏には

 

 施設の母の持ち物の少なさは、長姉の尽力によるものである。

 

 呑んだくれで頑固で人間嫌いで役に立たない父、に代わって、

上の姉は“総領”として、母親と力合わせて家族の生活をささえて

きた。

 

 

現在、母の年金も貯金もすべて総領・姉が一存で仕切っている。

生家の取り壊しの際も、妹ふたりは何も聞かされておらず、

・・・壊して、もう無いから。 母には知らせないように・・。

と 後で言い渡されたのだった。

 

 

 つれあいと母親と、両方の世話をしながら、姉は長年突っ走って

きたのだ。

二人の妹は住居も少し遠方だし、仕事を持っていたり、絵を描いて

いたり、それぞれの事で手一杯だったし。

異議、モノ申す、・・・資格はない、と言えようか。

 

 

    

夏休み!

 

  長女んちの6歳、3歳のチビたちがやってくるようになると、

普段はいたって閑静な我が家は騒乱・錯乱状況と化す、いつも書いてる

けど・・

 パソコンも 6歳に占有される。

 

 なので、ここしばらくは  ブログ更新も変則式になります・・・

 

 

  

恥ずかしながら・パソコン歴何々年?!

 

 今年1月、どーにかこーにか、ブログを始めて、写真も無く詩と文

だけでつづけてきた。

旅に出た記事の時、風景や なつばあちゃんの姿とか、

あぁ~写真にして出せたらいいのになぁ・・・って、思うこともある。

 

 ずいぶん、昔からテレックスなど、キーは打ってきた。二度めに

勤めた職場は 外資系のコンピューター社でもある。

 ショールームや機械室には6畳くらいある大きなコンピューターが

数台も並んでいた。

 

 ワードで詩誌も作成した。パソコンになってフロッピー使用の頃

までは何とかこなしてきた。ビスタに買い替え、数年経って、わたし

もトシ取って・・・、技術の進化は  ザ・ストップ!

 

 デジカメ、買えないわけではない、マニュアル冊子 開いて、

写真の頁になると、目が点になり、アタマがぐるぐるまわり・・・、

 

 “にほんブログ村”をネットでみつけ、何とか入会(失敗を繰り返し)
までこぎ着けた、 村長さまから 何々・・次第・・、の指示を受け、

目こらしてみると、 ・・*+P‘<@@##:/.,○×・・

 またして アタマがくらくらっ めまいがしてきて、何がなんやら・・

わかりませぬ、できませぬ、

 

 これでまぁ、入会できなかったら  しゃーない!!

 

 

という、わたくし・PC・なさけない歴史の披露であります。

    

 

     ただいま、凹み中!!

 

 パソコンに関しては すべて独学でここまできた、身近に教えて

もらう人がいない、習えば?? って、何々年、キーを打ってきて、

今更・・・

 

 と、思ってきた。 最近、ぶろぐ村シニア世代 を見学するように

なって、  

・・・71才でパソコン習い、73才でブログをはじめました。

 という方の、写真入り素敵な記事をみつけるに到った。

 

  

わたしの腕前といったら・・、なにしてるんでしょう・・・?!

泣き!!

 

 

 

白鳥さんと呼ばれる御陵がある。