昨日21日 夏至

この地は風雨で 大荒れ、

川の浮洲は 沈んでしまった、、、





  その前日20日 


翌日が雨の予想で、


 今 しかない、、、

意を決し・・笑  川床探訪?に向かった。


折々、土手側から見える浮洲に 人の姿を見、、、



リュックを背負った若い男性?だったり、女性の
二人連れや、中学生くらいの男児数人だったり、



先の日曜には 親子連れだったり・・、


・・・を 見るたび、近くに住むわたしが 

降りたことが ない・・・なんて、、、




その前に ウォーキングついでに 川の下へ降りられる
箇所を1㌔ほど 捜したが、降りられても 途中で川の
流れに阻まれて 上流までは歩けそうにない、





そこで ハタ、と 気が付いた箇所、 


竹藪を縫って、細い道を川に下っていく道、

が、唯一 ある。


下りていくと 石ころだらけの砂場が少しあって、
ひところは 若い人たちが集まって、バーベキュー
などしていた、


かなり以前になるが、小五の孫が乳児のころ
そこを下りて川水のほとりで遊ばせたりした、


一歳過ぎたころの子は ヒタヒタ、水がたゆたう
砂場が いたく気にいったようで、水辺ににペタン、
と座って、飽きもせず、小さな石ころを 水に

ポチャン、ポチャン、投げた、


夏場とて、乳児はオムツして水に浸かってるので
コトなきを得たが、


子守りのわたしは 足元やお尻をヤブ蚊に
刺されまくって、皮膚炎をおこし、治るまで
数ヶ月を要した、





もっと以前、 引っ越して知人もないころ、

二歳の長女を連れて 川に下りて、娘は岩場に
登って、石コロを ポチャン、ポチャン、、、


ご近所の男性が釣りをされていて、

 なにが釣れますか

 ハゼです


網の底で跳ねてるちいさな魚を見せてくださった、






  そんな場処である


  川石12サDSCF6363
 
  むかしは 石ころまじりだが砂場が もっと広く 
  入り口の竹ヤブの繁りも今ほどでなく 下りやすかった
  ・・と思う。


  川石DSCF6370




  それに そこから 川浜?づたいに 上流に向かって
  歩く・・・なんてこともなかった、

  上流への道DSCF6371


  上流に向かってDSCF6365


   対岸

   対岸13サDSCF6361


    急流1DSCF6367 急流です





  展望17サDSCF6372 


  更に向こうへ行くには ゴロゴロ石を伝っていくか、 

  灌木、草茫茫、を 掻き分け掻き分け、、、

  かなり キツい行程です 子連れでなんか 大変!!
 
  ただ 見てるのと 実行するのとで 大違い、




何度も何度も 行き惑い、尖った石に躓いて転びそうに
なったり 藪に阻まれたり 難航した・・・笑



  こんなとこ、、行きたい、、なんて、
  わたし、ナント 物好きな・・?! 酔狂なヘンジン?!





  やっと ナントカ 浮洲へ辿り着いた はぁ~~、

  17サDSCF6376
  

    12サ川下DSCF6357 



  
  浮島15サDSCF6359
  
  此処が 浮島であり浮き洲であり、、、






 
  ここから登れば近道なんですが 叢&垂直の擁壁です

   登れない2DSCF6383


   垂直の壁DSCF6384


   登れないDSCF6381 
 

  放浪癖のあった わたしめ、 むかしなら間違いなく

  登ってます、  けど 筋力も落ちた今は・・・、

  もし コンクリ掴み損ねて 落ちて叢に沈んで 

  動けなくなったら ダレにも気付かれない、、、 

  しばし 悩んだ末、来た道を戻ることにした 汗、汗、、ヒヤ汗、、


 




***
捨てられた犬のテン、(・・・と名付けて 上の土手から
見守る・・・しかなかった・・けど)



 パンをかざし、 おいで~~、戻っておいで~~ 
 
 こっちへ渡っておいで~~~!!


何度も 呼びかけたりしたが、 この 擁壁では 
痩せこけて小さな犬では 登れなかったろう。。。


推測であるが おそらく虐待され捨てられたテン、 

人に怯えて、逃げて逃げて、、、

水管サイフォンから渡ってきたんではなくて、



川辺の土手をさまよい、

細い竹藪を下り、わたしがこの日、歩いた、
灌木や草や、石ころまじりの道なき道を、すすみ、


浮洲に辿り着き、棲み着いたのであろう、、、

   12サDSCF6353

 発見当時は この浮洲には灌木が生い繁り、橋下の
 コンクリまでつづいていた、、、






   戻り口が・・、

再び、キツい道を戻り、、しかも、竹藪が繁るばかりの
土手側、戻り口が分からなくなって、かなり彷徨った。





  無事 戻りました

二度とは行きたくない・・けど ばばちゃん、


かっての放浪グセ 思い出しつつ 苦労したぶん

満足感も有り、、、であった。


しかし、 この日、夜、 捨て犬・テンへのの想いに

苛まれて 睡れない夜を過ごしたのでありました。。。




 **テンの関連 過去の記事は またの折りに。。

 長いブログ記事 いつもですが、、スミマセン!


 
いろいろあって記事が
      遅れております

 ** リンク(過去記事を挿入) 上手く出来ず 
前後ぐしゃぐしゃな更新になってしまってます??  
ご容赦ください





  地元新聞・夕刊

文化欄・コラムに 現在

「離れ小島のよもやま話」 写真家 加藤庸二氏
が 連載されている。


5月25日  36 の回に

「再び、礼文島」
    鰊番屋の宿


 宿・桃岩荘 のことが書いてあった。



桃岩荘 ・・・それはわたしが 若かりし頃の

放浪の旅で 泊まった宿である。

 その時の思い出の文が以下

   ***リンク貼り・挿入 不完全です
 以下の題名で 前記事に UPしました

 下の リンク貼り クイックすると 後の文が
 ちょん切れて 見られません。。 下のリンクは 
 飛ばし・スルー無視して 下に 読み進めてください 
 すいません。
。。
 
   ↓   ↓
   北の大地 放浪編②


** リンク 成功かどうか??・・自信ありません。。。
 最初のほうは 余計な文・・で 下にスクロールして

  礼文 が出てきます ***



***上手く出来ない?? 

月別アーカイブ  2016・10・9 にある記事です
        2017.5.26に移行
 
 
  ・・・と いう思い出の宿なんです

 その時から スタッフ総出で 船を見送り、 歌いながら
見送る・・・という 習慣??が 続いてるんであろうか、



 わたしが 見送られて デッキから手を振ったの、
・・・少なくとも 40数年前の ことです。。。



***その頃 桃岩荘には  
旅の途上で 礼文の島に居着いて、そのまま
スタッフとして 働いている・・・というような
若い青年たちも居た、 



わたしが乗った時の船には、
親の訃報の知らせを受けて、帰る、という そんな
ひとりの若者も乗船したのだった。  





  **コメント欄 戻しました、 ・・が、
ブログヌシによる 深慮・・コメントは個人×個人の
往来?という考え?により、一定の期間を経、消去
させて頂くこと 何とぞ ご承知ねがいます



  礼文島 桃岩荘
     前回のつづきです

新聞連載 「離れ小島のよもやま話」
   写真家 加藤庸二氏の  ”再び、礼文島”

の話しから~


 ・・・思い切って今まで敬遠してきた宿にした、
 
 それはとても   不安で、かつ決心が必要だった
 ・・・。

 ・・・二の足踏むような宿にしたわけは?

 
前年 港で目にした船出の光景、 


桟橋を離れていくフェリーに向かって、桃岩荘の
客やスタッフ、若い男女、中年もお年寄りも、 
十五、六人が、大声がなりたてて 歌ったり踊ったり
して、一足先に帰る客を見送る・・・、

乗船客がそれを見ようと 甲板を埋め尽くして
押すな押すなの状態、

・・・という港名物になっているらしい、



   写真家 加藤氏は 

 ・・・なんとしてもこの桃岩荘に泊まらねば
礼文島は語れない、そう思うようになり、
しかし、かなりの覚悟を要した、

 ・・・恥ずかしい、人前で大声出して片足上げて
踊ったりも出来ぬ、、、否 それでも1度は泊まって
体験しないと生涯悔いが残りそうだ、悩んだあげく、
心の葛藤を封じ込めて、桃岩荘の玄関を開けた、

・・・のだそうだ。


そして 宿で食後 いっしょに歌いだし、楽しく
なって、その後、 たがが外れた酒だる・・・の
ようになって次々に歌いまくった・・・

という。




   鰊番屋の宿

・・・と 連載で知って、 

数十年も昔に 泊まった記憶が蘇ってきた、

宿は たしかに年代物のがっしりした造りで
ぜんたいに薄暗く、結構 広かった。


夜、  宿でうろうろ。。。していたわたしは、
突然 全灯りが消えて、うろたえた。

真っ暗、  暗黒の闇である、

たしか  消灯は 9時だったと思う、


うかつに 部屋を出てて、さぁ、一歩も歩けない、


・・・その後、どうやって部屋に戻れたか、
しっかり思い出せない、、、笑



 放浪の旅中、 この暗黒 真っ暗闇を、
 大沼公園 駅でも  体験している。
 *北海道 放浪編③ で書いてます
    カテゴリー 旅・放浪・・に移行しました
   



   その頃は

客も若い人に限られていた? と思う、

いくらか 寂(さび)れた 旅の宿。

何しろ 海以外に なにもない、

店らしい店も 見当たらなかった、


 
  船が出る時、
    女子学生が歌ってくれた、


  ~~♪ 泣か~ないで 泣か~ないで~♫
  ま~た   会~う  その日~~まで♪ ♪
  さ~よ~な~~ら~~♫ ♪  

うろ覚えの歌詞と旋律が 懐かしく思い出されて
くる。 


歌いながら見送るその習慣が 今も 

多少 形を替えながらも つづいている??!!
 

   

   若いころの放浪の旅、

ひとりでも まったく寂しくなかった、

不安もなかった、

帰りたくなくて 
いつまでも 旅をつづけていたかった・・・、

 
  ひとりで選択し
  ひとりで決行し
  ひとりで終決する

 ひとり放浪の旅をしてこそ、得た わたしの人生訓?!


 
 すっかり 老いてしまって  よれよれ・・・に
 なってしまったけど  
  その 人生訓  いまも生かせてるかなぁ~~??

   
    放浪編②

長めの旅に出る時は、 
ユースの会員になって行ったので、宿は
ユース、国民宿舎、他に民宿も。

ユースでは、おおむねセルフになっている、
食事もじぶんでご飯をよそって、片付け、洗って
戻す、


まだバックパッカーという語もない時代、
ユースには 若い人や学生たちが多くいた、
 

キビキビ準備や片付けをこなしていく男子も
いて、見ていて気持がよかった、


一方で、あるユースで見た学生らしいペア、
女子だけがかいがいしく準備や世話をし、男子の
ほうは一切何もせず椅子にのけぞっている・・・、


男子は回りに、 やぁ、おはよう! と愛想よく
声掛けもし、まぁ、二枚目、、、いかにもモテそうな
今風にいえば、イケメン男子である、



それにしても よく尽くす女子だこと、、、

感心したのだけど、



また 別のユースで その男子、かいがいしく世話
をされ、椅子にのけぞっている・・、見れば 前とは
違う女子である、


あれぇ~~、


ユースのある場処は 結構限られているので、
同じ人と どこかでまた同宿になることもある、


その後、前々回のかいがいしい女子を見掛けたので、
訊いてみると、”じぶんで動かない”男子とは
彼女でもなんでもない、その宿でたまたま出合った
だけ・・・、って笑っていた、  

はぁ~~、



どこに居ても、そのように都合のつく女子を見付けて、
そのように仕向けてしまう、、、という稀代な才能?を
持つ・・・男性がこの世に居るんだ・・・、


まだじゅうぶん若いその頃のわたしは 男子に世話に
なることの方が多かったので・・・そんなことを
思い知ったのも、 ”放浪の旅”でのことだった。



    礼文へ

島は広くはなく、顔を上げれば 海 海 海・・・、

そこのユースでも同世代の若いひとたちに混じって
過ごした。
たまたま旅の途中で、島に居着いてしまった男子も
居た。

時化て船が出ず、わたしもしばらく 島に逗留し、
詩を書いたり、スケッチをしたりした。


島から船が出るときは、スタッフ総出で埠頭での見送り、、

女子大生が、
透き通るような美しい声で、歌いながら見送ってくれた、
 

    さよ~な~ら~~

  ~♪ 泣か~ない~で  泣か~ない~で
  ~ま~た 逢~う  その日~まで
  ♬ さよ~~な~ら~ ♪♪ 


船の舳先で 手を振りながら・・・、

泣きそうだった。




   ひとり旅は順調に

進み、 北の地は はや冬に向かいつつあった。




   礼文の島で

   最果ての孤島トド島DSCF4451  最果て・トド島
               
     猫岩DSCF4459 猫岩
    
       礼文地蔵岩DSCF4452 地蔵岩
  
           礼文スコトン岬DSCF4456 スコトン岬



  
2016.10.28 旅の終わり④
  半袖の軽装で
      出発した旅

北の地では  はやくも冷たい風が吹き、
冬の兆しが出、
放浪のひとり旅は 終章をむかえていた。


函館・五稜郭に昇り、 闇と光りの百万ドルの夜景を
眺め、、、


**そのとき断念した釧路・倉庫群など・・はのちに行った

帰りたくなくて 北海道から去るときは  涙、涙、涙・・・

さよなら さよなら  おもいでの大地!



    帰ったあと 

すぐ 就職活動に入り、 12月ぎりぎり、
新しい職場  コンピューター社に入った。

忙しく立ち働く日々のなか、 どの位 経った頃だろう・・・、

東京の消印で、見覚えのない名の手紙が舞い込んできた、


開けてみると、 あの コタン村の ”鶴”の青年からだった。

青年との出合いも、住所を教えたことなども、すっかり
忘れていた・・・。


手紙には
 ・・あれから帰京したこと、
   ・・・略
 ついては そちらに行きます 会いたいです・・・

と いうような内容だった。


周章(あわ)てた。  

北海道での数々は 思い出として、、、
日々 忙殺されるなかでは  すでに 過去の出来事。


会う理由もない、  困った、、、

なんで 住所教えたんだろう・・・、 
疑問も後悔もすでにアトのマツリ、、、


   ・・・困惑・思案のすえ、

返事をした、

  ・・・略  すみません、  近く ケッコンすることに
  なりました   お会いできません・・・


 **鶴クン、  その節は  ウソの手紙を出して、
  ほんとに ゴメンナサイ!!


     ***
  北海道・放浪編  了

    ** 放浪 途上編

放浪中 積極的にではなかったが なにしろ広大な地で
交通網も少なく、やむを得ず、 ヒッチハイクもした。


トラックのオジサンも  バンの中年ご夫婦も いずれも
親切で、 事故にも事件にも遭わず、
ぎりぎり 野宿もせず・・・、


こまかな失敗・ドジはいくつかありました。 


旅メモを逸失してしまい、心の記憶だけが頼りに
書く放浪編だが、
思い出を 辿ってみると 実に様々な地を巡っている、



岬からはじまった旅は、知床 羅臼 納沙布 宗谷 
襟裳  利尻・・・、
ひたすら海を見て歩く旅。  



なかでも  積丹半島は印象深い、

海沿いに並ぶ家々、それは 重し代わり?の多数の石を
乗せたトタン葺きの、 小屋のような家が並び、 

綻び繕った色褪せたシャツが風にはためいていた・・・、


海辺の暮らしは  厳しい環境にある・・・ように
思えた、
でも 出合う子どもたちは 元気にハツラツと
走り回っていて、心和んだこと、、、

そんな素朴な風景・・・。



見渡すかぎり広大な湿地の沼も 歩いた、
オンネトーや阿寒湖、然別の湖なども見た。


真っ暗・漆黒の大沼公園駅で、途方に暮れた時は、
富山の薬営業?のバンのオジサンに助けてもらった。


   大沼駒ヶ岳 大沼駒ヶ岳
  

松尾鉱山跡にも寄った、
このとき、 疲れていたのか、座って待つうち、
ふと 周りを見ると、 だーれも居なくなっていて、、

後ろの線路に私鉄の電車が泊まったのに気付かず、
えんえんと ひとり 本数のまばらなJR線の電車を
待ったことも 失敗のうち。
 

     

   札幌にも・・

辺地ばかりを歩く旅中、 札幌にも寄った。

公園広場で 屋台の焼きとうもろこしも味わったし、
時計台も見学、 

この時、藻岩にも寄り  ジンギスカンも
味わった? ・・・ような記憶もあり。。。


     編集札幌


   そして アイヌの里へ

コタンの地で 地面に直接 アクセサリーとか何かを
並べている場処を 通ったとき、


売り場の向こうに座る青年に声をかけられた。

同年代の、 当時 ヒッピーと呼ばれていたような、、
今でいう バックパッカーの若者たち、
そんな手合いが その地で 暫時 居着いて暮らす、、、

そんなような若者、  長髪を うしろで束ねて、、、

売り場に座って、彼はスケッチ帳に、
ツル、 ”鶴” の 絵 ばかりを描いていた、

わたしもスケッチ帳を抱かえて 歩いていたので
声を掛けられたのかもしれない、、、

最初 一言二言会話を交わしたのは覚えているの
だが、それから、どういういきさつになったのか、、、

住所を交換?したらしい・・・、 


それまで ”一期一会” の旅 

住所をついぞ 訊いたり教えたりすることはなかった、

失礼ながら 好みのタイプでもなかった、

**蛇足だけど、わたしめは イケメンがタイプです
今でいうなら 佐藤健さん 岡田将生さん おディーン様・・
正統派のイケメン好み・・笑

なのに、なんで 住所交換することになったのか? 

今でも謎? ふしぎ??!!!

  旅空で出あったひとたち
     ~~北海道・放浪編①~~

女子ひとり放浪の旅をはじめてまもなく 
宿で出あった青年に言われた。


 きみは 詩や文を書いて、スケッチもして、
 ・・・なんで、カメラなんか 持ってんの??

(*小さなハーフカメラを持参していた・・)
そのせいかどうか、 わたしのこれまでの旅の
写真は極端に少ない、というか、殆ど 無い。 
旅先での宿や場処の印象など、メモしたはずだが、
それも処分したか、今は一切現存してない、


古スケッチ帳のみ かろうじて今も残されていて、 
それ以外 旅の思い出は心の中にあるのみ・・・、


くだんの青年の、名も住所も聞くことはなかったが、
顔は 数十年経ってもうっすら憶えている、



その後、 出あったひとたち、すべからく、
名も連絡先も聞いていない、  

旅の空では 一期一会。


   *

根室で船を下り岬から岬へ、終日 海を見ながら
歩きに歩いた。

納沙布 知床・・・当時は 「北方領土返還」
のビラがそこかしこに貼られ 風に揺れていた、
海の向こうに かすかに島影が見えた。


出あう海辺の人たちの日焼けした顔には深い皺が
刻まれ、厳しい海の暮らしぶりが窺えるようだった。


 ・・まぁ、そんな若い子が、ひとり旅、とは! 
 親御さんが心配するから 早くお帰り!!
 (髪をおさげにして童顔だったわたしは子ども!に見られた)
納沙布の岬で昆布採りをしていたオバサンに心配
かけたりもした。



  *

広い北の地では 鉄道のみ利用し、それ以外の
乗り物は乗った記憶がない、
ゴトゴトゴト、ゴットン・・・ただ線路を揺られて
行くか、リュックしょって ひがなテクテクテク
歩くか・・・、

疲れたら 休んで、、、  夕暮れには宿に入る。


老いた今、遍路の旅が出来なかったことを悔いたり
するのだけど、かって歩き通した旅、
今でいう まさに 「ロングトレイル」ではなかろうか、

遍路との違いは  寺参りが無い、だけだ。

無宗教のわたしには むしろ  若いころの放浪こそ 
理想の歩き旅ではなかったか・・・。 

 

  2DSCF4460

    摩周湖DSCF4454

      摩周湖DSCF4453