ほぼ原寸大 “ゾウの額”ほどの庭に 玉ネギの苗を植えた

如月尽に近付いた昨日 多少あったかい日になって、ようやく

土仕事をする気になった

 

 よそ様の畑を参考にして、野菜を作ったりしているが

なにしろ狭いので連作が出来ない

どうするかというと、終った野菜のあとの土を堀り取って

ほかへ移す 

移した土は草花に使ったり、たい肥用の穴に放りこんだり

 

大雑把な作業であるが、スコップも鍬も存分に振り回せない

狭さのなかで毎度、難渋する

 

“晴耕雨読”ってのも 案外、楽ではないのだ

最近はそれも手抜き・端折ってしまうことが多くなって 

さらにアバウト化しつつある

 

まぁ、それでも荒地?に玉ネギの他、サニーレタスやエンドウ豆

も植え、ミニミニ菜園らしくなった、しかたなくいやいや始めた

力仕事だけど、終えたあとは気分もスッキリ!(笑)、 ホッとした  

 

 

 

***

今月に入り、死刑が執行された

死刑の是非論・・・これはとても難しい問題である

うかつに書けることではないのだが

 “死刑は犯罪の歯止めになり得る”と思っている

統計的には変わらないとされているが、長いスパンで展望すれば

“差”は出てくる(・・・と思う)

 

・・・それ程さように、死刑囚にとって、“その日”のくることは

怖れられているのだ

 昔ながらの "首縄式“での処刑方式である

 

 死刑廃止となって終身刑が最高刑となったら、いつかはシャバに

出られる可能性もある 処刑の酷さから自らの罪を思い知る、

という機会を逸してしまう・・・ということになりはしまいか・・・

 

 実に古い事件であるが、

「足音が近づく死刑囚」市川悦子著

 

S37年代のその頃の獄舎の規律は相当厳しいもので

あったらしく、外部との書簡も自由にはならないなかで

受刑者は書き続けた手記をどうにかして 支援者のひとりに

送りたいと考え続けた

 

手紙以外は点字書を使う以外になく (受刑者は独房の作業

として点字を訳していた) 訳文は検査されるため 製本の際の

外箱や表紙に貼付け・・・そんな苦労の末、

“秘密通信”として、書いたものが外部に出され残されたのである

 

 ――突然、廊下に大勢の靴音が鳴り響いてきたのである

お迎えだ! お迎えに違いない! 地獄の使者のような靴音!

瞬間、魂は震え上った 

――僕は息がつまった 首筋かえら背中にかけてゾッとするほど

冷たいものがへばりついていた 

胸の早鐘を聞きながら人心地もなく机にしがみついていた

粗末な机がガタガタ鳴った

 

 まだまだ 事細かな描写が書かれるのだが、これだけで

じゅうぶん 刑場へのお迎えを受ける心理が知れる

この時は別の受刑者執行で免れたのだが、

 強盗殺人事件の受刑者   これら詳細な手記を遺し

 昭和40年 死刑執行 享年46歳

 

それからさらに年数を経て、処刑に立ち会ったひとの著書

も読んだ  

刑場の図も載っていて、・・・まだ首縄式の処刑がおこなわれて

いることも知った

 

最近、今月上旬位だったか TV「報道特集」で 

刑場のなかが写しだされ 処刑方式も説明されていた 

これらが公開されるようになって 時代も感じたのであるが

処刑の方法はさほど変わってはいないことも認識された 

 

 

ほかに作家と死刑囚との書簡集も読んでいて、
死刑囚がいずれ
死刑台に・・・という究極に追い詰められた
状況になり、それで
じょじょに人間本来の、というか、ひとと
しての魂に目覚めて
いく――
逸材、それも若き罪人たちに見られることが多く
しかしその“稀なる材“は、罪をば犯し、死刑囚となって初めて
顕われてくる質なのだ   惜しむらく!!

 

死刑囚とならなければ ただのノーテンキなチンピラ!のまま
生を終えてしまっていたかもしれない・・・(とも思えたりする)  

   

 

  書簡集については またいずれの機会に!

 

 

 

 

 春眠 暁・・・にかぎらず 年がら年中、 朝は起き辛い

起きたくなくても 起きねばならぬ・・・

 

起きてそのまま階下へ降りようものなら 半分以上寝ボケ状態

ぼぉ~、手すりに掴まり ヨロヨロ・・・、

けど、朝起きたらまず何があろうと 家中の窓を開け放す

ざんざ降りの雨か雪でないかぎりは 開ける 

たとえ ぼぉ~、としていてもそれは譲れない日課?というか

癖?というか・・・、家族が在宅の時は極力自粛はするのだが 

おおむね かまわず開ける

 

なので家の中に居ながら つめたい風に吹かれ  

・・・アタマは花キャベツ 顔は干し柿・・・!!

 

 まだ昔 キャリアガール、近年はキャリアオバサンとして勤務

していた頃からそんなふうに朝がはじまっていた

 いつ頃からだろう 朝のストレッチをするようになったのは・・・

 

 

 低血圧でひ弱なわが身を何とかしなくては・・・ 

人生途上で一念発起したのだかしなかったのだか、  

いつしか 見よう見真似でおぼえた気功やヨガ、西式健康法、自橿術、

いろんなものごっちゃまぜ、いいとこ取りした我琉ストレッチ!!

を するようになっていた

 最初は仰向けから 横、うつ伏せ、座位、立ち居・・と順に進めて

いく、20~~30分くらいか・・・、そうそう、最近 テレビで

流行りだしたロングブレス! も取り入れている

 朝 ストレッチの後、階段もタッタッ・・・と降りられる

 

 仕事の無い朝には 庭に下りて 青菜やミントなど摘んで 

部屋もざっと片付けゴミ出しも済ませ ミント茶を飲む

 摘んだ朝採りの野菜と果物、コーヒー、数種類のパンをひとかけら

づつ焼いて・・・  極上のひととき(・・と思っている)

 

 

 

最近 読んだ「がんにならない生き方」 丁宗鐵氏

漢方治療の現場から  では 生クリームやバターなどの

乳製品は控えめに、は分かるとして、大豆製品も腸に負担

がかかるという

まぁ 何にしても摂り過ぎず、万事中庸にバランスよく・・・

ということになるのだろう

 

健康読本は頻繁に読んでいるわけではないが、情報が多様で

例えば野菜は生がいいんだ、とか いや火を入れたものを、とか

(この著書では野菜は茹でるか煮るかしてを勧めている)

玄米がいいというのはよく聞くのだが、この本ではお勧めではない

 ・・・というように

どっちがいいんだか 何が正しいんだか・・・素人には分からなく

なることもある

 

 私のケツロンとしては “じぶんの体に聞け!!”

食べたくなった物を食べる・・・、ふしぎなことに夏場は新鮮な

生野菜をバリバリ食べたくなり、寒くなってくると茹でた温野菜

が欲しくなる

 老いたひとにお肉は良くない、とか 老いたひとこそ食べるべき

と世論ではかまびしくとも、お肉が食べたくなった時には食べれば

よい、要らない時は野菜のみで・・・

 

 低血圧だし筋肉痛だったりで、よくダウンして寝込む・・・

相変わらず ひ弱な身ではあるが、ここ数年内科に行ったことがない

かかりつけ医が無いのだ

この先を考えれば それも困るんだけど・・・

 

 人生の履歴上、育児期をのぞき主婦専科という時代が殆ど無く

働きどおし?で来た    最近、いよいよトシ?のせいか

ちょっとくたびれてきた

 パート先には “臨時要員”にしてもらい 多少マイペースの

ゆったりした時間が過ごせるようになっている 

パソコンに向かったり、川辺や山や峠などを歩いたり・・・、

 

 こんな暮らし いつまでもつづけられるわけないのだけど~~

 

 

  

 

 

 

 図書センターのリクェストカードで 借り出してきて

最近読んだ本

 

 

  がんにならない生きかた  丁宗鐵 

  ホームレス歌人のいた冬  三山喬著

 

歌人 公田耕一さん 郷隼人さん いずれも最近ブログを始めて

から知ることとなった  朝日新聞は読んでいないし ネットも

あまり 見ることはなかったので

 

で 「ホームレス歌人のいた冬」 ・・・今頃  遅っ!!

 

公田さんの短歌も この著書についても すでにブログでずいぶん

書かれているようで重複になるが

新聞紙上から忽然と消えてしまった公田さんのその後を追って

横浜ドヤ街に入り込んだ著者の地を這うような探索・ルポ記

なのである  

が もう一人 獄中歌人 郷隼人さんのことにも触れている

 

ブログで 郷さんのファンが多いことに驚きつつ 彼の書く短歌

にも注目している私には 興味深い郷さんからの手紙の内容

 ファンに対して 実にクールに分析している

 

  ―― 怖いもの見たさの好奇心から 刑務所のしかも海の

向こうの遠い外国で服役中の男・・・絶対に接触することはおろか

対面の有り得ぬ安全性・安心感もきっとあると思う ――

 

終身受刑者として 自らの置かれた境遇と外部のファンとの

関係の果敢なさを 郷さんは切々とうったえている・・・

 

そして

・・・日常の安全地帯から 特殊な極限状況にある投稿歌人に

送る声援 そこには簡単に消え去ってしまうもろさが常につきまとい

そして その背後には「好奇心」という下心がどうしても見え隠れ

してしまうものなのだろうか・・・

と 著者 三山喬氏もまた クールに分析されている

 

読んでみて 郷隼人さんやその短歌のファンが多い理由が 

すこし分かった気がした

郷さんの率直な クールでナイーブな感性

正直なひとだと思える

 

 

***もう一冊 「がんにならない生き方」

これについては また後日・・・

 

 

 

 

 

 

 

***

「紅白」以来 ヨイトマケの唄が ブームになっている

 

今回の紅白にさかのぼること 何年前になるだろう

少なくとも2007年以前くらいの時に一度 丸山明宏さんが

テレビで歌っているのを見た

その折も 暗い背景に一点スポットがあたっているだけの

歌手・丸山さんの綿密なるこだわりのカメラワークではあった

 

閑かな それでいて底から地響きしてくるような迫力の声に

感銘を受け さらに歌詞の内容が胸に沁みた 

 

その唄を聞いて 思い出されたのが 

小学中学の同級だった男の子のことである

思い付いて当時すぐに 詩に書いた

 

その作品が 今使っているパソコンvistaに残っておらず

・・・ということは

その前の ウインドウズme に打ちこんだものである

今のは2007年から使用しているので おそらくその少し前に

聴いたのではなかったか・・・?? 

 

古い詩作はほとんど 処分してしまうので

この作品も手元になかったのを たまたま詩友が取って

おいてくれたかして 一枚だけかろうじて残ったものである

 

奇妙な題になっているが 詩の仲間うちでの朗読会用に作った

 

***以下 読んでくださる方がいたら できれば 

声を出して読んでみてください

最初は ちいさな声で ~~♪

 

 

 

   詩 ★

 

   歌の。即興の。

 



♪ ヨイトマケの~ ウタが~ きこえてくる~~

 

 トーチャンノタメナラ~  エンヤコーラ

 カーチャンノタメナラ~  エンヤコーーラ~

 

 

ハルオこと「ハージュ」は町一番のワルだ

幼いときに父親を亡くし オフクロが暮らしをささえている

屈強なおとこたちに交じって土方をするオフクロの

日灼けした顔は汗と泥にまみれ真っ黒 姉さ被りの手拭いも

煮しめたように汚れている

 

はじめからハージュが強いオトコだったわけじゃない

 ヤーイ オマエのカーチャン キタネェ ババァ

ガキのころはいじめられてすぐ泣き出す弱虫だった

泣いてバラック小屋のうちに帰っても誰もいやしない

飯場でオトコたちと太い棒を地に突いているオフクロの

汗みずくの額は皺だらけで汚くてババァみてぇだ

 

小学時分にはすでに子分したがえて遊びほうける 

いっぱしのワルガキになっていた 

中学では勉強は苦手でも黙って立つだけで貫録 

筋金いりの番長だ

売られた喧嘩は買うが弱い者イジメはしなかった 

泣いて帰った記憶が胸の奥に沁みこんでいる

中学を出るとすぐダンプの運転手になった オフクロは

数年か前にからだの無理がたたって死んだ

親孝行もできないまま いいことなしのオフクロだった

 

三十五に届かない前に ハージュは運転をあやまり衝突して

死んだ

 

 

 ♪ ヨイトマケ~ の~ ウタが~ きこえてくる~  

 

 トーチャンノタメナラ~  エンヤコーラ

 カーチャンノタメナラ~  エンヤコーーラ~

 

 

 



 ***有名になった唄の内容では 

大学を出てエンジニアになって・・・  成功譚になっている

理想ではある 

ミワさまには悪いが 現実にはそんな奇麗ごとにはいかない

ヨイトマケの母と子のバラック暮らしのなかで 大学なんて・・・

ハージュは 大学どころか 高校にも行かず中学出るとすぐ

トラックに乗って働きだしている・・・

 

この作品は いくらか私の想像も入っているが ほぼ実録である

ハージュがトラックの運転手になったのも知っている

オフクロなるお母さんも近所で見ている かっぽう着にもんぺ

履いて・・・ 姉さま被りを取り 額や眼尻の皺を取り 

日に焼けた顔を元に戻せば 髪を団子に結いあげ 

しもぶくれのなかなか 別嬪さんのお顔だったと思われる 

 

 

其の後のことは

三十五歳の時の同窓会で ハージュが亡くなったという噂を聞いた

真偽のほどは分からない

 

 

 


 

2013.02.01 林 住 期

 

***

最近 若い女の子たちが スイーツとか唐揚げとか 食べながら

あ  神~!! って言う   なんじゃ そりゃ・・!!

 

あまりの美味しさに 「神降臨!」したんだ という意味?だそうな

 

どんどん 表現は進化していて 

ギャル なんてのも もう 古い

何でも 欧風?ローマ字を使ったりする  

つらつら 考えるに この「つらつら」なんてのもカンペキ 死語!

若い子から  ナンデスカ  そのつらら? つらつら? って?!

と 言われそう

 

「神降臨」って われわれ世代が 何か不思議なことや

神秘な体験した時

「天の配剤」 だわ・・・って言うのと

似ている?  似ていない?

 

 

  詩 *  

 

林 住 期

 

ゆるやかに長く吐ききってしまえば

ことさら構えなくても

空気は身に入ってくる

しぜんなリズムで

無理のない歩幅で

じぶんのやりかたで

 

迷いつつ あれもこれも捨ててきた

置き去りにしたものもいくつか

猶予せまられ放りだしたこともある

それらのわりには

掬えたものは僅かだ

吐く長さからみれば

吸うのはほんの余剰のような

 

街路樹が少しづつ染まり

落葉も増えてきた

黄昏の季節は

いつともなく しかし

急に近づいてくる

ふと振り返れば

ゆれる芒の穂だ

 

染まりだした木々は空の碧さに似合う

安堵のいろにも見えるのは

透きとおる空気のせいか

朝には

まっさらな一日に戻して

踵から つま先へ

吐ききりながら

先へ

 

 

***先般 個人詩誌を送った方から その中の「林住期」という

詩のタイトル  造語ですか・・・というご返信を頂いたりした

 

 造語ではなく 

古代インドの思想で 人生を四つの住期に分ける

それを自然の四季に分けるなら

 

春  勉学や修行に励むーー学生期(がくしょうき)   

夏  職業に就き家庭を営むーー家住期(かじゅうき)

秋  務めを果たし自然に向き直って自分自身の人生をみつめる

ーー林住期(りんじゅうき)

冬  老いて家を捨て巡礼しながら死場所を求める放浪と祈りの余生

―ー遊行期(ゆぎょうき)