2013.04.30 魂の旋律
 
 

    闇のなかの小さな光


 「魂の旋律~ 音を失った作曲家」 佐村河内 守氏
 三月末に放送されたNHKスペシャル 

 身を削り命を削り 作曲に挑む映像を見た。 
 
 
 また、同じくらいの日に見たドラマー題名は忘れてしまったー
 八千草薫さんが病に伏す老母役で、仲村トオルさん、
玉田鉄二さん 兄弟が、母をレンタカーに乗せて旅路に出る
という、

 最近の刑事もの、サスペンスものにはない、丁寧で細やかな
作りのドラマで、 しっかり者の兄、ちょっとヤサぐれた
どうしようもない弟 、二人とも好きな俳優さんだし、老母役の
八千草薫さんもぴったりの役柄だったし、このドラマの顛末と、

 佐村河内さんの鬼気迫る日々、の映像とあいまって、
二つ見終わった後 わたしの胸のなかは  

しばらく滂沱の雨・・が降りつのった。


 

 そして ふたたび、 中居正広さん司会の「キンスマ」
  
 異例の大ヒット! 今夜あなたは奇跡の交響曲に涙する・・・
聴力を失った作曲家  佐村河内守
 
 バラエティ番組である。

 いつもなら、出演者は司会の中居正広さんの隣に座る。 
が、やはり、照明が身体に障る、という事情でご本人の登場は
なかった。

 
 NHKスペシャルでは、本人映像中心のドキュメント風だったが、
キンスマでは、よりリアルに、再現ドラマなんぞがあったりして、
分かり易い。

 「HIROSHIMA」 交響曲も オーケストラ生出演で 
演奏された。



 その後またもや、胸のなかは ぼーだの雨嵐・・である。
今の時季は ちょっとしたことでも 凹み易い、    
始末わる~!




  

    中高年の☆ ー生き方ー

 テレビ話題がつづく

 NHK 「団塊スタイル」  
 瞳みのるさん、  タイガースの一員だった

 引退後、猛勉強して大学に入り、中国語の教師になる
40年ぶりに 復活公演へ   の 模様とインタビュー、

 とっても、いいお顔、 時の面影の、そのまま 年を重ねた・・
という容姿である。

 グループサウンズ・全盛期  ど真ん中の世代といっていいが、
特に ファンだったこともない、 若いころはテレビそのものを
あまり見ていない、

 けど、時おり、耳に入ってくるサウンズのなかで、ことに 
印象に残る好きだった歌はある。 
 
 加橋かつみさんの  「花の首飾り」
 
 堺マサアキさんの なんていうんだっけ、♪~夕~焼~~け~

っていうの。 まちゃあきさんこと 堺さんの音域の広い
伸びやかな声でうたう曲は どれも素晴らしかった。
 加橋さんも、 透き通るような美しい高音だった。


 一世風靡した 沢田ジュリーさんの最近の姿は、ちょっと
ザンネン・・!
あんまり 昔のイメージを 壊してほしくないんだけど・・・ 
ま、しかたない??
特にファンだったわけじゃないし。


 
 日を経て、またバラエテイです、
結構、よく見てるんですねぇ~笑

 仲雅美さん、   昔 ちらっと見たことのある お顔だ
出演のドラマは 一度も見たことないけど、そういえば、途中から
ほとんど、 テレビで見なくなっている・・

 タレント引退後、事業に専念して、倒産、闘病、
三億の借金を負い、家族離散、   道路工事員になり
会社の狭い寮で、質素で孤独な暮らし、残りの借金二億を返済中、
 
 典型 落魄人生・・のようでありますね

 
 でも 仲雅美さん、道路工事要員??いでたちで ありながら、   
昔のダンディだったお顔を ほうふつとさせる・・   
いいお顔であると思った、  
男性って、歳取って、スゴく顔形?が変わってしまう人と
そんなに変わらず、昔の面影のまま、年月を重ねた容姿のままの
人があるんですねぇ・・
 
 ま、 独断と偏見によりますが・・。

 残る二億の負債を負い、起死回生をはかる仲さん、
ガンバッテほしいです。


 
  超・セレブ!!、 ” 秒速で億のお金を動かします・・・”
って、 テレビでスラスラ!?と宣言して見せる・・ような、 
ふくよかな体型の若い男子。  
 部下に持って来させたトランクの積んだ札束から、
無造作に数個、取り出して、買い物をする・・・、

 ナンなんでしょうね、  

 それ相応の 能力あっての 札束!、であることは分かっても
なんだか、なんだかなぁ~、 

 日々、食べるにも困る困窮者があって、札束を湯水のように
扱う者があって、こんな世相、有り??
 これはこれで尋常とは思えぬ、 なんだか  オソロシイような!!



   うつ期であっても


 体重はじわじわ・・・増えはじめてる??

 ”お気に入り体重” 42~42,5Kを少し 越して43Kに
近付いている・・・、   やばっ!

 多少 縮んだ身長から適正体重値は 48~9Kなので、まだ 大分
余裕はあるーーー この前、テレビの健康番組で、わたしの身長での
適正体重は 51~2K・・・って、  ドクターが言っていた
 
 人生、 50K超えたのは お産どきだけ   
さすがに、それって   多過ぎじゃない??

 
 人から   痩せすぎ、 骨のガラだよ・・・
と 言われようと、良い加減の適正値は42~42,5Kなのだ

 軽いし、上から下まで すら~、じゃなくて、  出るところも出ず
すっきり、すとん、と  細いのがいいのだーーつぅの!!笑


 一日に食べる量は知れている、  モンダイは 甘い物!
それにパンも好きだし!

 若い頃は、甘い物が全く 食べられなかった
子育て中、子どもたちがお誕生会に出て、  ケーキが食べられず
残してきた・・・と 聞くにおよんで
  
 あぁ~、  勿体ない   持ち帰ってくればよかったのにぃ・・・

とか、言いながら、  あれ?
わたし  いつのまに、甘いもん 好きになったのかなぁ~
 という感じだった 笑
 

 
 季節の変わる頃は、家の内外 掃除・整頓etc・・・ 
メチャ忙しくなる、  やることがいっぱい!!
凹んでばかりでは はかどらない   身も心も家周りも メンテナンス!





 
    期間限定・了
   

 --受刑者関連の記述は 中断のまま、なのでいずれ書かなくては・・・
   といささか重いペンを、いや キーを打つ
 

 ”塀”の中から、トツゼン封書が届いて、
なんで、自分のところにそれが来たのか、理由も目的も判然とせず、
悩みに悩んで、 
 なおも逡巡しながら、少しく書簡がつづいた。


 といっても、もっぱら、受け取る側の役で、  送られてくる作品を
じぶんのブログに交えて、紹介する、という・・・、

 やつぎばやに 送られてくる  便せんびっしりの作品を前に
途方に暮れながら、    数通め、いや  二、三通目くらいから、
ふつふつと 違和感、疑問がふくらんできた。

 たとえば、同じく異国での終身刑の郷隼人さん、かってのホームレス歌人
公田耕一さんなど、  朝日歌壇に応募し、著名な選者に選ばれ、
新聞に掲載され、それを読者のどなたかがブログで紹介するーー
という過程を経ている。

 この受刑者の場合、
びっしり書かれた作品の中から、全く ど素人のわたしが、選んで
ブログに載せる・・・ ーーはたして 読まれてるのやらどうやら微少なブログ
であるにしてもーー そんなことわたしに出来るんであろうか・・・


 先方には、自ら新聞や雑誌などに応募してみることを勧めてみた。
それに対しては
 --是非書いてください、小説も書いてください、何でも聞いてください、
お答えします・・・
 という調子の内容がつづく。

 わたしがもし、書けるとしたら、それは強いていえば、心理学の面での
犯罪心理、書簡を通して、僅かでもそんなことの一端でも視えてくれば
書けるかも知れない・・と
 
 そんな思いも ただ虚しく、塀の中からは
依然、著名人の知り合いの名ーー管直人元総理(幼少の頃の)
も 出てきたーーを書いてきたり、朝日新聞との確執の説明などが続いたり
で、事件の概要については触れてくる気配はない。  
 
 亡き妻や母恋し・・・の作品や文面はあっても、被害者への贖罪をふくむ
言はまず感じられない・・・。
 
 犯罪、過去の罪に関しては、
もともと 縁もゆかりもない相手ゆえ 言及は出来ないのも無理はないの
かもしれないが。


 
 わたしの逡巡は深まるばかりで、心のうえで作品紹介も出来なくなってきた。

 小説を書く才もない、意志もない。
もし 書くとしても、何より、犯罪そのものや受刑者への関心が無ければ
書けない。
 
 で、 同人誌や知人など、小説に書いてくれそうな先を いくつか打診もしたし、
わたしなりに不慣れな奔走もしてみた。
 
 いずれも 反応は得られなかった。 何しろ 古い事件だし、最近では次々
惨い犯罪も起きていて、古い事件は淘汰? されていく世相になっていると
思われるし。
 
 さして縁もない受刑者のために、   何してるんんだろう、 ワタシ・・・
後になって、考えてみれば、   後のマツリ・・・ではある。  
 
 事件にまだ解明し残されているものが、もしあるならば、
贖罪の意味でも、本人自身が、書くべきではなかろうか・・・
 
  
 
 そんなふうに思う頃、 何通目だったか、

 ーー3年後の刑期に向けて、 身元引受人になって頂けるなら仮釈放の
可能性がありーー 云々と  書かれてきた。

 
 
 ついに 本音・目的?! を 言ってきたのだ・・・と思えた。

 こちらからの返信はずっと滞ったままだったが、
その手紙については、一晩過ぎた早朝、出勤の前だったが、早めに起きて
すぐ 返事を書き送った。

 ブログにも記したように、
●支援者にはなれない
●人の命を奪った罪の深さは擁護できるものではない

 この二点のスタンスは揺るがず在ることを 書いた。
 
 そして、小説は書けない旨 重ねて返答した、
ーー出来るのは作品を少しずつ 紹介していくことくらいです
ご了解くださいーーと書き添えた。

 折り返し 来た。  
支援不可・・に対しては  ーー ごもっともなことです、
 しかし、小説は書いてください、貴方なら書けます
 作品 また送ります、ブログにてよろしくお願いしますーー


 

 そして それ以後     書簡は途絶えた。

 
 推測だが、三年後の仮釈放に向けて、考慮・模索しているのだ・・・
と思う、 埒の明かない相手に関わっている時間は 無いのだ・・・と。



 当初から悩み悩み、迷い迷いの ”書簡集”は  未完 で、
たよりない わたしの役目は終了とします。

 以後は・・というか、以後も引き続き、 自分流のブログでまいります。


 
2013.04.18 花の影踏み
 

     おぼろ夜に


父の忌に 数珠わすれし 花日和

花冷えや 晩学のノート ひろげをり

山々の つぶやき聴かむ おぼろ夜は

おぼろ夜に 身すぎ世すぎを 書き継ぎぬ

花冷えの 花の影踏み 父忌日


花吹雪 ふたたび逢わざる ひとありて






 

    少年 土手を走る

 
 早くに父母を亡くした四郎少年の親代わりは、すぐ上の兄、千代松。

他の二人の兄は、揃っての無頼、家に居ないことの方が多い。
 食べる物もろくにない殺風景な男所帯である。

 川から川へ材木を運ぶ筏師の千代松兄は、組んだ筏に乗ると
数日は帰って来ない。  千代松が堀川を下っていくと、土手の上から
筏を追って、末っ子のまだ幼い四郎が走る。
 
 おぉーい、 おぉーーい!   ちよまつあにぃーー!!

 
 川の流れは速まり、見る見る土手の上との距離を離してゆく。
それでも 四郎は 走る、 走る、


 おぉーい、   おぉーーい!     あにぃーー!!
 
 


 

 
 父、四郎は食べたい盛りの少年、青年期を孤独に過ごしている。
下宿先を転々とし、食事はほとんど外で済ませていたらしい。

 その頃に、好きな物しか食べない、という習慣がついてしまったのだろう、
根っから、”団欒の味” を知らない人間なのである。

 所帯を持ち、家族ができても、偏食癖は抜けきれず、
野菜は食べない、薄味は駄目、極め付きは ひとの箸が少しでも
触れた物は絶対に口にしない、家族の箸でも、容赦しない。

 

 湯気の立つ鍋を囲んで・・・なんていう光景は、我が家には無かった。
どうしても食べたければ、大小二つの鍋を用意する。大きいのを父、
小さいのを母と私たちこどもで、別々に囲むのだった。

 

 たまたま訪ねた友人の家で夕飯をよばれ、みんなでわあーっと大鍋を囲み
ふうふう言いながら食べたりすると、ふいに泣けてきたりした。

 若い頃、私が食べ残したケーキを、ひょい、と口に入れたボーイフレンドが
いて、おもわず胸を熱くさせたこともある。




 父は勤め先の宴会などでも、大皿や鍋物には一切、手を付けなかったらしい。
外でも内でも、生涯、変わり者、頑固者で通した人だ。
 血縁薄く、家族からも背かれて、孤独な晩年を送っている。


 自らの命を縮めるような過度の酒と、不摂生がたたって、あっけなく
あちらの国へ旅立っていってしまった。

 


 花の四月は 喪の月でもある


 あのひとも   あのひとも・・・


 




  山 笑ふ


 みどりが濃くなってきた

 山は見渡すかぎり 濃淡のみどり

 ところどころ 薄いピンクが 見えるのは

 残りの山桜か


 
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2013.04.10 吉野山千本桜
    
     桜 散る

 
 
 川並の桜は大方終わり、 家の前の古大木の桜が今、しきりに
散っている。
 
 花びらが 家の周りやベランダに、雪のように降りしきる様は、
壮観でもある。
 窓を開けていると部屋のなかにも花びらが降ってくる。

 山のしだれ桜はまだ開花中で、駅から山へつづく橋上の花見客の
群れは つづいている。

 桜の多い町である
 
 


 花咲く里は 花降る里でもある 




    
 

   吉野山千本桜ハイキング

 
 
 母娘でバス旅に出かけてきた。



 昨年は ”高遠の桜” をバス旅で見に行った。
四月の半ばだったが、桜はまったく咲いておらず、全体、枯れ木だった。

 寒くておまけに雨のしのつく空模様で、傘をさしつつ、上を見上げるのも
ままならない、
 桜は蕾ですらなく、たまに一本の枝の先っぽに蕾がぽっ! と見えていると、
ひとが群がって、デジカメで撮っている・・・という風景だった。 笑





 今年、吉野山の ”さくらだより”予報では、咲きはじめ、というのを
確認して、

 よし、リベンジ!!

 と、張り切っていたものの、当日はなんと、  ”暴風雨警報”
行きのバスでは、何とかもちこたえたが、着いた頃には、雨脚が
ポツ ポツ・・・、

 あぁ~、 ダレ??   雨女!!


 

 

 娘の持ってきたお茶のボトルを見て、

私:   ア     イ ウ エ    モン・・・!

娘:   爆笑
     違うよ、  伊右衛門 イエモン   だよ!  

私:   へっ!   そうなの?    知らなかったぁ・・!
     ボトルのお茶なんて  買ったことないもん

 お茶はじぶんで淹れる、 
お茶を買う、という発想がないんである。
 
 

 
 吉野ハイキング・スタートは如意輪寺・駐車場から、
五郎兵衛茶屋に向かうはずだったが、いっかな、辿りつかない・・・、

 二人とも、 方向音痴・地図の読めない女の 典型である。

 

 昨年の秋の、 バス旅   ”明日香ウオーキング” でも、時間は
たっぷりあったはずが、  迷い、放浪?・・・の挙句、バスに乗り遅れそうになり、
最後は、    母娘二人 走った、走った!!


 
 
 吉野山の地図はあっても、実際にはあちこち、細かな分岐道があって、
その都度、迷い、 立ち往生、

 傘さして、吹き飛ばされそうになりながら、地図を見るのも至難である、
地図は途中から 濡れてぐっしょり、ぐしゃぐしゃ・・・。

 峠や山道の端の桜はもう はらはら散りかけている、
満開と同時に、この暴風雨で、散りはじめになってるんだろうか・・・、

 

 
 山側の桜は満開!

 見渡すかぎり 山々、 薄いピンクが霞になって拡がる、
 スケールがハンパではない!!
  


 以前、テレビの  ”ほこ たて”  とかいう番組で、高遠桜と吉野桜の
見所を競う、というのがあった。

 吉野のほうに、軍配が上がったのだったが、
背景、遠景が違うからして、比較する・・というのも なんだかなぁ~
である。
 
 



 山の桜・・という点で、 吉野はまさに、大自然の織りなす日本の美
である、 と思う。 
 
 雨に打たれ、風に吹かれ、して    なお
山桜の遠景に 言葉もなく  立ちくしたのであった。

 
 しかし、この山の旅は、疲れた!
道が分からず、迷ってロスも多く、雨のせいもあり、山道を滑りそうになったり、
歩き疲れ、登り疲れ、   
限界!!

 結局、水分神社のあたりで、時間があぶなくなった、 
 
 あと、金峰神社、奥千本に入りそして、西行庵に着く予定だった、
が、もうエネルギーがない、
 疲労がピークに達してるのか、二人とも顔がのぼせたような真っ赤、
まるで ”赤福” みたいな。笑

 
 これ以上は無理!  先へ登るのは断念、   ザンネン!
 
 詩を書くものにとって、  ”西行庵”は 目的地でもあった、
ホント、クヤシイ・・・、 ナミダをのんで、引き返してきた・・・。


 帰り道も長く、  観光用のお店がずらりずらりと並び、人もやたら
多く増えて、 傘も邪魔、
 
 吉野朝宮跡、蔵王堂も、もう、横目で・・・、 

 
 もし 時間が足りなくなって、バスに乗り遅れる…状況であっても
明日香の時のように、走る気力は 無かった、

 ゴールの吉野山観光 駐車場に辿り着けたのも、キセキ?
というくらいな。



  

 私は一度 行った処には また行きたい・・・ということはあまりないの
だけど 吉野山には 魅かれる。

 機会があったら、また リベンジしたい!
・・けど もう無理かな~


 



    桜・満開

 今年の春は 早めの桜の お披露目、

各地の 桜便りが届いてくる。

街中の桜は、 はや散りかけてるかもしれない。




 少し前には、 橋向こうの川土手に、蕗の薹を見つけて、採ってきた。

天ぷらにする程でもないので、ゆがいて細かく刻み、味噌であえ、

「ふきみそ」 に してみた。

最初の 一口、    ウワッ、  苦っ!  不味っ!!

でも  ハマッて しまいそうな ふしぎな 春のほろにが味!!



つぎは 土筆を採ってきた。

多少、時期が遅すぎたか、 とうのたちかけたのも”混じり”だし、

ふきのとうも、遅めだったし・・・、  

気が付くのが遅かった、

せっかちな癖に 何でもスロースターターなのである。 はぁ~、




卵とじなどは 家族には あまり売れないので、

炊き込みごはんに。

焦げ目もできて、上出来!   美味しかった~ とっても。




 
   



   「ぼっち」 で ええねん


 最近の若い人、今どきの大学生など   「独りぼっち」  が

怖れられているそうである。





 かって、育児期間を経て、銀行に再就職した当時、

大手銀の、やたら規則の多い分割デスクワークに、なかなか馴染めず、

しかも同期に入った同僚数人が じき辞めてしまった後は、 

仲間外れに遭った。 
   



 独身の頃は、大手の商社でも、自由な気風の薬品部のテレックス担当

だったし、そこを辞めて、北海道・放浪の旅(・・・これで一層、筋金いり

の自由人に拍車がかかった・・と思われる)を経て、

二度目は外資系のコンピューター社で、ここも自由な私服での、

マイペースに近い勤務だったと思う。


 子育てのあいだは、時間の融通のきくお店でのレジだったり、

広告代理店の孫請けのようなゴーストライターのような仕事をもらって、

原稿を書いたりして、暮らしをつないでいた。





 
 そんな長めのブランクのあとの、デスクワーク。

銀行業務フロアには、すでに 小錦オバサン、クレオパトラ姐さん、

その他・・などの仕切るグループがそれぞれ、現存しており、

そのどれにも所属しなかった私は、”ハミダシモノ”扱いだったのである。




 トイレも一緒、ランチも一緒、帰るのも一緒、  ・・・まるで幼稚園だナ!
   

そう、  幼稚園、小、中、高校・・・はモチロンのこと、

大人になっても、変わらず イジメ・シカト・・・の世界なんである。
 
現実は大人になっても何も変わらへんねん!!




 広い食堂は 5,6人の丸テーブルがずら~と壮観に並び、 

グループに属してない人は、私以外には居ない、話も弾まないモノ

は敬遠され、テーブル席の人数的に、どうかするとハズれること

もあった。     

大勢の中の、ランチ時の

”ひとり”     ”ぼっち”

の 悲哀は たしかにツラい。   私にも結構 試練の時はあった。



 最終的には、”昼休み・フロァー同士”を 離れ、自由に過ごすように

なって、事なきをえた。 

後になって思えば、最初から自由にすればよかった・・・ 

と、後悔しているくらいである。

 
   


   
  

     「ピアノ・ソロの幸福」


自分自身の  ”歌” を 持つ人は、孤独の幸福を味わえる



 村上益子・著作  より   抜粋  
 ( 北大 文・哲学科   ロマンロラン ヘーゲル研究)


――人間の幸福には、合唱やオーケストラのような集団で得られる幸福と

ピアノ・ソロで得られるような孤独な幸福と、二つの種類がある、

集団で得られる幸福は誰でも   ――つくられるタイプの人でも、みずから

つくるタイプの人でも――容易に得られることができる。



 しかし、ピアノ・ソロで得られるタイプの幸福は、誰でもというわけにはいかない。

自分一人だけで自足できる感情が、自分の中に形成されていること。

つまり、自分自身の ”歌”を持っている人にしか向かない。


 
 これは、才能の大小は問わず、天才である必要もない、


小さなモーツァルトで十分、自分で自分の感情を動かし、形成していく力

があればよい。  あらゆる人に   ピアノ・ソロは可能なのである。


  
 ショゥペンハゥアーは、ソロに適した人間の条件に

「精神の豊かな人」   「ひとりだけで小世界を形成している人」

を あげている。