「死刑でいいです」 

―孤立が生んだ二つの殺人―    池谷幸司編著

 

 山地悠紀夫 1983年 山口市生まれ

2000年7月、16歳の時、金属バットで母親を殴り殺し、

少年院を出て二年後に2005・11月、大阪で姉妹をナイフで

刺し殺害。

 2009・7月 25歳で死刑執行された。

 

このころ、少年による特異な重大事件が頻発しており、その

少年らには「広汎性発達障害のアスペルガー症候群」との診断が

出ている・・そうだ。

 

 ―発達障害は脳の機能障害が原因とされ、最近知られるように

なった。発達障害を事件と結びつけることに慎重さを求める意見

は根強い― とされている。

 

 著者いわく、-私たちの見方を示すと、傷害は孤立につながる

要因だと考えている-

 

 

 

 山地悠紀夫の  逮捕され送検されるときの写真は、

やや怜悧ではあるが、鼻筋のとおった端正な顔立ちである。

その前の「ゴト師」の仕事をする顔立ちや姿は、いまどきの若者、

キャンパスやコンビニなどで見掛けるごくふつうの印象でもある。

 

町の交番や公民館などに貼ってある「指名手配犯人」の人相の

ような癖のある印象はない。

 

 

  「暴れる父  母の愛にも恵まれず」

 

 酒を飲んでは大暴れする、ガラスを割りドアや襖をこわす、

その父が肝臓で倒れ、四十四歳で亡くなった。

悠紀夫が小五の時である。

 

 父の大暴れする現実を目に前にしながら、理想化されていく父、

 

 酒を飲んで暴れるのは小心の片面でもあるから、しらふ、

あるいは日常のすき間にふと優しかったり、遊んでもらったり

したかもしれない。

その頃にふいに亡くなってしまったことで、父への想いが

ふくらんでいき、そのぶん、借金を重ね困窮のなか、

ネグレストのつめたい母親への憎悪が増殖していった・・・

 

 

 母親殺害後、「広汎性発達障害」と診断されたが、

悲惨な成育歴もあり、十分に対応できる時代ではなかった。

 少年時代、新聞配達などして暮らしを支えた面も

ありながら、そのまま、

法的なサポートもなく、支えるひともなく。

 

 「絶望への旅路 二度めの殺人」

 

 悲惨な絶望への崖に  

真っ逆さま

落ちていく

 

 「私の考えは、変わりがありません。上告・告訴は取り下げます。

この意思は変える事がありません。判決が決定されて、あと何ケ月、

何年生きるのか私は知りませんが、私が今思う事はただ一つ、

「私は生まれてくるべきではなかった」ということです。

今回、前回の事件を起こす起こさないではなく「生」そのものが、

あるべきではなかった、と思っております。いろいろとご迷惑を

お掛けして申し訳ございません。さようなら」

 

 

 

 ***

この事件は被害者加害者 すべてが 悲惨で悲嘆で

読んでいるあいだもずっと、心はひしがれたままだった。

 

 著者・池谷孝司氏 真下周氏はともに、共同通信社記者と

して、-少年事件の再犯を防止するためのヒントを見つけよう

―と、関係者に当たりまとめた新聞の連載記事に加筆し、本に

された。

 くじけそうになる険しい道であった―とされる。

 

 

 

  ***

 数年前のこと、

アルコール依存症の家族に困っている知人がいて、

 

 「・・・わたしは、まだそんな言葉もなかった時代の

“アダルトチルドレンのはしり”の子です・・・」

と、手紙に書いたことがある。

 

 
 実はわたしの父もお酒が入ると荒れる人だった。

 

 母親や子どもたちへの直接の暴力はなかったと思うが、

お膳をひっくり返したり、物を投げつけたりした、

 昔の家の、薄暗い土間のたたきに コロ、コロコロ・・・、

ころがっていく茶碗や湯飲み・・・

 

 小さいころの そのへんの記憶は部分的にぼやけていたり

するのだが、暴力を受けなかっただけマシかな・・・

 

 そんなふうに思っていた。

 

 

 この著書のなかで、識者へのインタビュー


 カウンセラー 信田さよ子氏によるこんな箇所が目についた。

 

 
 - 殴るけるだけでなく、物を破壊するのもDVで、

家族を恐怖に陥れます。DVやアルコール依存症の親が

いる家族は本当に大変です ―

 

 

 ・・・ まさに   ハッ ! と した。
 

 ・・・ 今頃 !!

 


 この著書のことは ブログに書くのも気が重かった

 別に 書かないでも済むことだ・・・

 

 が、  ―― 書かないと 次に進めないよ ・・・

 

 わたしのうち深くから そんな声がしたような気がして。


 どうにか 書けた。

 

 

2013.05.21 ひとり歩けば


  最近読んだ本

 五月、衣替えの準備や布団などの入れ替え、忙しい時季に
寸暇を惜しんで、立てつづけに三冊の本を読んだ

 ***実は このブログ 今日、さっきまで 書いて終わろう・・・という
ところで、消えてしまった、下書きに設定して、  最後の行のところで
何が何だかわからない・・  どっかのキーに触れたのか、つ、と消えて
その後、 再度画面を出しても、押しても引いても 二度と出てくれない・・

 かなり  落ち込んでしまった、  結構 長めの文で、他にメモ書きもせず
いきなり  打ち込んでいくという方式?なので、 再び打ち直すの??!!
と思うと、ただ 梢然・・・、
 ちなみに 失敗すること二度目である、ワードで打って、ブログに移す方法も
試みたが・・ 今はまた いきなり 打ち込む方式で・・、    はぁ~、
 ちゃんと思い出して 再現できるだろうか??!!

 * 気を取り直して 以下



   「ひとり歩けば 辻まことアンソロジー」    辻まこと著
 

 先の 「山靴の画文ヤ 辻まことのこと」 駒村吉重氏著作  を読んで
その流れで選んだ書である

  辻まことは  自在に
自然世界に分け入り、山に登り、河を渡り、峠を歩く、  山靴をはいて。
 飄々と  時に いきいきと躍動し、 
一人で、あるいは仲間と一緒に、探検をこころみたり、小屋で過ごしたりする。

 そんな辻まことを  辻まことが 淡々と  折りにシンラツ、エスプリを利かせ
描いていく・・・、

 ーたいていはボンヤリと、あるときはセカセカと、もちろんキョロついている
ときもあるが、そんなさまざまなときでも、心の底にある一つの安定感のような
ものがあって、それが私の心をゆるやかにする。それは生命のバランスがいい
素直な状態とでも説明するよりほかない。ー
 -孤独な人間が孤独の純粋によって世界に結びついているようなもので
あろう。- 


 ***
 目下、瀬戸内寂聴氏の  革命家大杉栄や伊藤野枝らの足跡をたどる
「美は乱調にあり」展が、 徳島県立文学書道館・徳島市で開かれている由。

 展覧会では、伊藤と辻潤の間に生まれ、今年、生誕百年を迎える芸術家・
辻まことや、その娘竹久野生さんの美術作品も展示している。
 *ーのぶさんは 竹久夢二の次男、竹久不二彦氏の家で育っているー
  展示は六月九日まで    (新聞掲載で知ったので、参考に) 




   「君は隅田川に消えたのか -藤牧義夫と版画の虚実」   駒村吉重著

 
 こちらも先の流れから 読みだした本である。
 
 数十年も前、夭折した藤牧義夫の版画作品をめぐる、入りくんだ話である。

 
 まず、最初の頁にある  「赤陽」の 作品を見て、  わっ!!  声をあげる、
 切っさきの立つ 何本かのするどい線、  向こうに ぽっ!  燃えるような 赤、

 
 昭和のはじめ~、長くみてもせいぜい五年ほどしかない、
ー人生そのものが草葉の露のようであったー 短い作家生命
  わずか二十四歳にして、東京は浅草の界隈から、忽然と消えてしまった、
以後の消息は知れない。
 

 昭和五十三年、銀座の裏どおりのビルの一室にある 画廊「かんらん舎」
にて、当初殆ど無名に近かった画家の遺作展が開催される。
 それを機に、じょじょに名が知られることとなる    が、
のちに、遺された版画作品の 多数が贋作と 判明されてくる。
 
 平成二十年、元画廊「かんらん舎」のあるじ、大谷芳久氏は、
藤牧義夫遺作版画展のはじまりから、おわりまで記録にまとめている。
 遺作品を丹念に調べ、検証し、記録していく。

 それらをさらに、著者が追い、書いていく・・・、
関連者の配慮もあり、こうした、ルポ記やフイクションを書き継いでいくのは
まことに、エネルギーの要る仕事と思える。
 場合によっては、創作(小説)を書くより 骨が折れるのではなかろうか・・。

  
 この書のなかで、画家・佐藤哲三の名をみつけた。 
 藤牧義夫の作品「赤陽」が発表されたときに、それを高く評価したのが、
佐藤哲三であったという。

 私事であるが、数年前、画家の姉に、
若くして亡くなった画家のことを教えてもらった。 
その「一枚の絵」を見て、わたしは「みぞれ」の詩を書いている。
     * 当ブログ  1・18記  「受刑者の背の闇に」文中にあり
  


 
  ***
 版画作品の多数載る 本を読んだ日の夕方、
買い物ついでに 川べりをあるきながら、見回していると、 ふっと、 
版画の構図が浮かんできた・・・、

 らせん状に広がる雲
 夕日の川向こう 町のビルや家々の屋根のシルエット
 橋桁の稜線

 刃を立てて、スッーーと刻んでいく、 明白な白と黒のコントラスト・・・

 ろくに版画も出来ないのに。
 
 

 その作品に ひと目触れれば、胸のうち深く刻印される、
謎の夭折画家  藤牧版画の ”技の力” というのであろうか・・・


   ***
 本日はここまで。
三冊目は ちょっと厄介な内容で、 後日に記すことにする。


  休日明け

 家の中は散乱の極み、 チビたちが暴れまくって、
テーブルの上、棚の中や引出しの中の物、紙類や本、小物、タオルなど
ぜ~んぶ 水平に放り投げ出される。

 つい先日、空き巣の再現シミュレーションのテレビ番組があって、
タンスの引き出し、押入れ、片っ端しひっくり返されて、室内が散乱する
 ・・・ のを見て、
あ、おんなじだわ・・・  と思った 笑

 チビたちが引き揚げて行ったあとは、ただボー然!!となる。



 週明けは、どーにか気分のスイッチを切り替え、片付け・掃除に明け暮れる。
元通りにして、布団類も干しまくって取り込んで、 ほとんど、一日掛かり。

 
 干し物をしていると、 ーわたしはまだ、朝ごはんも済ませていないー
「野鳥観察」か、何かの調査か、腕に緑の腕章をはめた男女数人のグループ
が、川の前でなにやら、熱心に見ている。

 川の上では、ツバメたちが、飛び交っている。 

 我が家のまわりでは、朝からツバメの群れが、飛び交い、窓のすぐ前の電線
に並んで、いっせいに、こっちを見ていたりする。

 フン害も甚大! ベランダといわず庭といわず、車庫の屋根、車の屋根、
白いのを撒き散らしていく、  どうかすると、窓ガラスにも こびりついている。

・・・どんな飛び方してんの??

 川辺の家に移ってからは、ツバメが可愛くない・・・! 笑
 むかしは可愛い!! って思ったんですけどね。
 
 

 川の上を飛び交いながら、観察する見物人の真上で、
見事な ツバメがえし!!

 拍手喝采!!  歓声があがる・・・笑


 わたしゃ、いそがしい・・ので、じぶんの作業にもどる。


   


 

   昨日のドジ! ・・・ このごろ、こんなことが多い



 冷蔵庫の下の埃が気になっていた。たまたま、小さなマグネットが落ちて
それが冷蔵庫の下に潜り込んでいった・・、

 ハタキの棒のほうをさしこんで、小さい落とし物を手繰り寄せたらば、
綿のようなホコリも一緒にくっついてきた・・・、

 そうなると、見過ごしもならず、ふっと気がついて、長めのS字フック
を持ち出してきて、冷蔵庫の下に差し込んでみる。
まず 横側から。   ふ~~ん、ふわふわ、 結構少なくない量の綿(わた)、
である、気になる、

 正面から差し入れる、  と、S字の先っぽが何かに引っ掛かって、
押すも引くも出来なくなってしまった・・、 あぁ~~、

 長めの残りの棒が、斜め上に向いたまま、
このままでは 通るのもアブナイ、 もしか万一、燃えだしても困る!

残りの棒を片手に持ち、重い冷蔵庫を上に持ち上げ・・・

びくとも動きませぬ・・・ !!  どうすりゃいいの??


 お昼ごはんに、天丼の卵とじ こしらえて、ー天ぷらはAコープで買ってきた
総菜ー  それ、テーブルにならべて、  さぁ、いただこう!!  という
そのまま ザ・ストップ  のままである、 あぁ、わざわいの落ちたマグネットよ、

 汗ヒビッショリ、 になって、 突き出している棒と格闘、奮戦し、
ようやく 取れた。

 テーブルの 天丼の半熟卵は 固まって、端のほうは パサパサ・・
乾ききっている、
 それでなくても遅めのお昼ごはんが、さらに遅いご飯にになったのだった。
 はぁ~~、 


 

 

  五月 ――空のむこうに

 

 


このごろの母の顔は

野におわしますお地蔵さまの

ようになってきた

 

日のひかりをあびながら

野のくさにむかって

そそぐ石の目

おだやかな日だまりが 

ふうわり

ほほにもあごにも

ただよって

 

むかし 縫ってもらったばかりの

スカートに鉤裂きつくって帰って

ひどく叱られたときのこわい顔

猫背になってしまうわたしの背中を

仕立て用の長い物差しで叩いた

きびしい顔

それは もう 

遠い遠いできごと

 

週に一度 電車を乗り継いで通う娘に

手押し車を脇において座り

いつものように 

「おかえり・・・」

の まなざしをそそぐ

 

母と同じ名字で詩を書くわたしの家には

表札にもその名を掲げ

いつでも迎える準備おこたりなくきたが

それも もう

白寿にあと三つ の歳であれば

母の帰るべきホームは ただひとつ

すぐそこに 

天からのみえない吊橋が

ぶらさがっているだろう  

 

「みんなが待ってるで、はよう、おかえり・・・」

わたしには待っている家族も

もういないこと

なんど言っても 霧のむこう

ただよう雲のはざまに揺れて 

母は おわします

 

「うん・・ また 来るね」

 

2013.05.07 星めぐりの歌
    
   宮澤 賢治


あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ
オリオンは 高くうたひ
つゆとしもとを おとす
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち
大ぐまのあしを きたに
五つのばしたところ
小熊のひたひの うへは
そらのめぐりの めあて



宮澤賢治の作品は どれも リズムが ”いのち”



星めぐりの歌は賢治が、曲を付けたそうである
たまたま その歌を聴くことができた
スローなそのまま まっすぐ・・・な歌


 ときどき、賢治作品を 朗読している
モチロン、観客なし、独演・・です 笑


 そのリズムが とてつもなく いい!
けれど、どれを読んでも なにか モノ哀しい
そこふかい かなしみが せりあがっては しずんで
たましひを ひたしてくる


 
***世間に一顧だにされなかった宮澤賢治の詩を、ごく初期に
認めた中央の文人が、草野心平と佐藤惣之助、そして、
辻潤だけだった
・・・を、

以下の書から発見。


  
 

   山靴の画文ヤ 辻まことのこと       駒村吉重著


 辻まこと という深い森の霧か闇に分け入り、彷徨し、
いくらか見晴らしのきく尾根か原っぱの方位にむかって 旅さながら
さがし歩くという 著者・渾身の書である(・・と思う)


 辻まことの父母は 辻潤、伊藤野枝である。

 伊藤野枝のことは 寂聴氏の著書や その他で多少読んでいるが、
辻潤に関しては ダダイスト、稀なる才を持ちながら、哀れな末路・・
という程度にしか知らない。
 

 辻まことの周辺には、  詩人竹中都、小磯良平、
竹久夢二の次男竹久不二彦・・・などが出現し、また まことも
草野心平の詩誌 「歴程」同人であったという、
 
 戦後生れの読者には、書のなかでしか出遭えない 
-夢のつづきでも見ているようなー 幾多の名がひしめくよう
に顕われてくる。
 「歴程」 初期には 中原中也 高橋新吉
そして、井上靖 石垣りん 北杜夫 宗左近 谷川俊太郎 
山本健吉 中上健次など、詩人、文人の顔触れ。

 
 山歩きもする画文ヤまことの周りには、他にも、串田孫一、山本太郎、
鳥見迅彦 の名も 散見する。


 親の辻潤 伊藤野枝の時代であれば、金子光晴、
そして のちに野枝が許へ走った大杉栄、 革命家 幸徳秋水 荒畑寒村
など昔日の逸材の出現も含め、
”ものがたり”は 右往左往、縦横、斜め、× ÷ √・・・とばかり 複雑に
駆け巡り、読むほうも、多少骨が折れる。(・・駒村さん、スミマセン)

 しかし1968年生、ーまだ若いー 著者の 並々ならぬ筆致力・力量である。

  

 「本当の友だちとと言えるのは、ショーペンハウアーだけだよ」
ともらしたという 辻まこと。  -ここでもショーペン・・が出てきたー
                **註・ブログ  ピアノソロの幸福**
 
 病床のベッドの上に立ち上がって、山用のロープの輪で自らの
最期を計った辻まこと。
 表現しきれない 「辻一」  作者いうところの ”糸ダマ” は 
結局のところ、
読み終わっても、もつれからみあい解けない・・ままである。

 むしろ、まことの友人竹久不二彦、それに父・辻潤の人間像
が、くっきり 浮かんでくる。


 「辻公」の孤独を知っていた竹久「チコさん」
ー業界新聞のデザイナーにおさまり、定年まで日々の業務をたんたんと
こなして生きてきた 妻と娘にささげた、いたって地味なー
  -夢二のしなかった事、出来なかったことはしないー「夢二イズム」
を 後生大事にしたという不二彦さんに 魅かれる。
 
   
 辻潤 -惨憺たる生き方ー 
時々錯乱して、貧困の底で最後は野垂れ死のごとく シラミに
たかられて冷たくなっていた 六十年の生涯であった。

 父子二人が背負った 「自由の十字架」
著者もまた、 それを負うひとのようです。


 「自由ってさ、とても単純なことだと思う。自らを由(よし)とする。それだけだよ」