2013.06.23 ゴミ難民

 

 

   ゴミ難民

 

 

 最近、地域のゴミの出し方が変わって、苦労が続いている。

 

 

これまでは、殆ど 可燃・不燃 の二つ位で済んでいた。

資源は新聞類は 月に一回トラックが回ってくるし、

衣類はたまに学校の資源用に、これも家の前に出しておけば

持って行ってくれる。

 ボトル類は あまり買わないし。

 

 

それが 変更後は、数種類に分けられることになった、

袋も異なる、何より不燃用の種類が減って、それらがだいたい

「プラ」に 入る。

 

 

菓子類の袋、小さな包み紙・・・、プラなのか紙なのか、

表示はまったく小さな字で見えない、慣れないうちは、

いちいちルーペやメガネをはめたり 外したり、いやはや

手間ヒマ掛かって、メンドクサイこと!!

 それにいまだに 分かりづらいものも多々ある。

 

表示のないのもあるし、ビンなどのラベルは剥がせ・・て!

それが カンタンに剥がれないんです(怒!)

 

 

 かくかくしかじか、 ゴミ出し日も増えて、難渋しきり。

それに 不燃用の袋がかなり残って不要品になってしまったし。

 

 

 役所の「ごみ減量推進課」が、地域の小学校などに出向いて

ゴミの分け方を教えている・・の、ニュースは 翌日の新聞の

片隅の記事で見たりするのであるが。

 
 未来の地域を担う子どもらに教えるのは、良きことだけれど、

多数住んでいるはずの 年寄りたちへの指導も必要なんではないの??

 

 変更前時には これ程ややこしい、分かりづらい分別になるとは
思ってなかったふしがある、 事前に各所での説明会はなされたかも
知れないが、 実際に始まってからの指導もしてほしい・・・
 

  と、 老いた身は希望します。



 ゴミの捨て方が分からなくて、独り暮らしのお屋敷のなかの

部屋がゴミ袋だらけになっている・・・という話も聞く。

 

 集積場に収集車が走り去った後、×印の付けられた袋が

いくつか残されたままになっているのをよく見掛ける。

 それは そのあと、どーなるんですかね・・・

 

 


   

     ダンシャリ


 ときめきの片づけ法? とかナントカいう本が一時のブームだった

 著者は  まだ若い 「こんまりさん」 とか言う、


 
 こんまりさんには わるいけど、

 歴史?もあり様々な思い出の詰まったモノたちを 片付け捨てて
いくのに トキメキもヘチマもない・・・、
 強いて言えば、 「慙愧と切なさの片付け法」  と 言えばよいか?


 ことそれほどに、歳重ねた者には、”捨てる”  という辞書がない
というか、習慣が少ない、というか、


 ”終の棲家” に 移ったとき、 家具は大半処分した、
嫁入り何点道具・・・も、三面鏡だけ残して。

 移った当初は なーーんにもない、 それこそ 引っ越し用の
段ボール暮らし・・だったというくらい   せっせと捨てまくった、

 
 台所用品・茶碗類も最低限、必要なものだけ 一新したし、
 大切にしてきた本類すら、 書棚一つに 収まる分だけ残して、
処分してきた。

 
 
 こんまりさん用の片づけ順は、  最初の一番に衣類から
片付けていくんだそうな、

 
 わたしは 衣類だけは 大雑把に分けて、捨てきれないモノを
そのまま残して・・・

 三年・・どころか  五年、も 十年、も着ない・・・服が あっちの
クローゼット、こっちのクローゼットに 鎮座ましまってぶらさがっている。

 これまで、何度か思いついては 片付け・処分作業を試みてはいる
その都度、途中で断念、  ザ・ストップ!! 
 
 
 
今に至ル!
 

 

 ぼちぼち
流行りの    お仕舞い支度に  入らないと!
 

 パートの仕事も  ぜんぶ辞めて通勤服が不要になった アカツキには
処分するゾ!!   衣類たち!!

2013.06.20 ながれる 水
  

  ながれる 水  



雨が ながれる
水が ながれる
土が ながれる
葉っぱが ながれる
木の枝が ながれる

花首が落ちて ながれる


こころが ながれる



紫陽花いろの 水が 
ながれる

しとしと  ぽとぽと
ぽつん、 ぽつん、   ぽつん、


うちがわの水が あふれる

はんらんする



 半月が 闇に 滲んでいてさ 

 

天気もパソコンも不調

 

 

フタ?を開け、フツーにキータッチ出来る までに、

ナンと時間と手間の掛かることよ、アナログ人間には、もう

それだけでくたびれる! 嫌気がさしてくる!(汗 汗)

 

 

  

  

“ひとり”で書くということ

 

 

同人詩誌が送られてきたりすると、

しみじみ   己の“コドク”  を 思い知る

 

 けど、唯一無二の刺激となり、ガンバラナクチャ!の栄養剤

となり・・、友人知人の 作品を読ませていただく、心して。

 御礼・返事のたぐいは 今しばらく 猶予くださいますよう・・・

 

 まず 己の心身のバランスを整えて、のちに。

 

 

 ・・にしても このパソコン もうちょっと 思い通りに

動いてくれないかなぁ、 

気分がさらに不調になってくるし

ブログ ちゃんと続けられるか不安・大 

 

 

 

  

遠い・・学校

 

 六月・ 新一年生の 参観日があった。

土曜日とあって、下の三歳園児も連れて行かねばならない、

パパは 企業戦士ならぬ ―3Kの福祉施設で働く―

介護福祉戦士なので、土曜も仕事である。

 

 代わりにバーバが 園児のお守役として 付いて行く。

 

 

 小学校まで、大人の早足で歩いて三十分余かかる、

新一年生の足では 四十分ほど・・・、

 これ、 田舎の過疎地の話ではない、 フツーの市街地の

駅周辺には マンションが林立し、大きな病院も立ち、市役所も

ある、   なのに 学校がとてつもなく 遠い。

 

これって、どーなんだろう・・・、

 

中学校は さらに遠い・・という、

自転車 むろん、ダメ!!

あ、それに この市の特徴?として、公園が無い、

何処にも見当たらない。

 

 わたしの住む、駅から我が家までの周辺には 大きめの

清潔な公園が三つ四つ、ある。

 

 

 

問題児の坊やが この遠距離を毎日登校する・・・、

実際に自分の足で歩いてみて、 胸がつぶれそうな

思いになる、

バーバもいろいろ、心屈する材料が多いことである。

 

 

一年担任のベテラン・・と言われる中年に近い女せんせい。

ベテランすぎて、慣れすぎて、こまかいところに行きとどかない

という負の面もある、  私見であるが。

新米せんせいであれば、慣れてないぶん失敗も必須ながら、

懸命にこどもたちに向かい合うことだろう、

 良い面、負の面、

なんにしても 言えることでありますが。 

 

 

 家では 暴れまわり、机やソファに乗っかってるモノ

本やら、クッションやら、すべて水平に放り投げて、

向こうの部屋の壁から ダァーーッ!! こっちのソファまで

ダッシュ!!   トランポリン代わりにされて、大事な大事な

形見のソファが だいぶん、傷んできている・・・

 

 そんな坊やが、放課になってもひとり教室に残ったまま、

男子はむろん、女子だって、みな外へ出て行って誰もいないのに。

 

 

 参観時間は国語教科、 うしろで三歳児は飽きてきて・・・、

バッグから紙とペンを出してお絵かきする。

一時間弱の見学は長い、わたしもとうに飽きてしまっている、

バーバもまた “問題児?”であるかもしれない。

 

 

 

   部屋の模様替え

 

 傷んできたソファを何とかせねば・・・  以前から気に

しながら、カバーをすればいいのだが、コトはそう簡単に運ばない、

 

 床のマット(掃除優先して軽め、薄め)もぐしゃぐしゃにされて、

いっそう散乱の極みになったりするので、それもコンパクトな物に

取り替え、ソファにはマルチマットを被せてみた。これで暫時、

様子を見る、  はぁ~!  いそがし!

 

 

 

 

  草じゃんぐるの庭

 

 
 
 わが庭は数日のうちに草じゃんぐる と化す。

 

 狭いところに玉ネギも植え、ジャガイモも植え、

なので、夏野菜を植える隙間もなかった、

 

 六月に入ってから、狭すぎて育たなかった小振りな玉ネギを

取り、じゃが芋も掘った。連作のきかないナス、ピーマン、

トマト、キュウリ、ゴーヤ  自分の好きな野菜ばかり、   

土をぜんぶ掘り返し入れ替えるエネルギーはなく、多分ダメ

かもしれない覚悟で数本ずつ 植えた。

 

 接木ナスは一本枯れ、ピーマンも元気がなく大きくならない。

ここ数年、ピーマンは(ミニトマトも)スーパーで買ったことが

ないというくらい、庭の手作りで済ませているので、

車を走らせ、ピーマン、ついでにナスなど 追加して植えた、

今頃・・・、笑

 

 

 

 

  

「僕の父は母を殺した」

 

 十二歳で母を亡くし、十四歳で驚愕の事実を知らされる。

海に落ちて溺死したと聞かされていた母は、父親に殺された

のだった、

 

 その日から学校へ行かなくなり、イジメから逃れるためには

強く見せねば、とツッパリ、非行に走り、

公園のトイレで寝るホームレス、自殺未遂・・・、

 

 両親を加害者と被害者に持つ、という 少年時代からの境遇、

おもえば、

この世に神も仏もあるものか・・・!

 

 

 母を殺した父、憎んで憎んで殺してしまいたいくらいに

憎悪してきた父親に 死刑判決がくだされた。

 

面会に行った日、見たのは やつれ果て憔悴しきった父の顔、

ごめんな、ごめんな、と泣きつづける父の姿、

 

 赦したわけではないが、ただ憎んできた父への気持ちが変化

してきた。

 

 母へと父へ 複雑に揺れる 息子の思い

バランスを崩しそうになるのを かろうじて堪え、あえて、

顔も名前も公表し、講演活動もしたりしている、

  

 父の死刑の日を怖れてもいる、

これ以上、ひとりになりたくない・・・!



  彼は だいじょうぶだと思う

 住んでいる部屋は 黒を基調としたシンプルな調度で

いつも清潔に奇麗にしている。

身のまわりをきれいに片付けられる人なら、自分を制御できる。

それに手記も書いているようだし。

書くことで心のバランスは保たれる、と 信じたい。

 

 

父親の消える(処刑)の日、その日から、つらくとも、

少なくとも心の区切りはつく、 父と母への葛藤は了えられる。

そこから一歩 踏み出していって そして“自分の道”を

見つけてほしい・・!

 

 せつに ねがっている。


 ***大山寛人さん  名古屋市在住

 

 

  薄暮かな

 

 日曜日 チビたちが引き揚げて行った後の散乱の室内、

座り込んで どうにも動きが鈍い・・、毎度のことなのだが。

 

 ブチッ~、ニブめのスイッチを入れ、ノロノロ・・・動く、

そのうち エンジンがかかり出し片付け干す物を干し掃除機を

掛けていく。  

フヮァ~! 元のようにすっきりした「家」に戻った!!

 

 ひとまず肩の荷は降ろしたけど、やっぱりどっか“鈍さ”が

残ってる、トシのせいもあるかもしれない、

 

 

 

帰る子ら 見送ったあとの 薄暮かな

 

なのである、まだ暮れどきじゃなくても、“薄暮”・・・なんである。

 

  **ちなみに “薄暮” は季語にありません**

 

 

  

 

TV番組を見ての所感・以下

 

*スイーツの女社長

          

 超甘そうなバームクーヘンと豹柄で 有名な女性社長サン、

の自宅には、年末になると銀行員が万札の詰まったトランクを

提げて持参する。

 

 従業員へのお年玉として、○千万円のお金を用意。

三千円から○○万円まで、ひとりづつ手紙を添えて手渡しするのだ

という。

それって、年末のボーナスとは 別なんですかね??!!

 

 従業員への金額もまちまちとあって、それは経営者の監査?

期待度?思惑?いかん、によって決まるものなのか・・・

 

 不明瞭?な“お年玉袋の中味”をめぐって、

従業員のあいだで いっとき、互い疑心暗鬼?!の心理が

湧きあがるのやらあがらないのやら・・・

 

 そして、業績があった? 期待度高っ! とされる?

従業員が一人、選ばれ、

ザ・サプライズ! ベンツ! 

 

と、相成るそうな。

 

 番組では、勤続五年半、というスイーツ職人の男性が

選ばれる様子を映した。
 会場の裏で、ゲストに食べてもらうバームクーヘンを
せっせと作っている、その途中でトツゼン表舞台に出され、
賞品の ベンツ を 見せられる。

 

 勤続 五年半、 ですよ

 

ことに 光る人材! と オーナーに認められたとして、

また、たとえ、周辺の同僚らの賛同も得ているのだ、と

して も、

 ベンツを手にした人へまわりからの風当たりなど、影響は

考慮されているのだろうか、

 

 その日、プレゼントを貰った実直そうな職人さん

の、うれしいというより、事情がよく呑み込めていない・・と

いうような戸惑いの表情が 印象的であった。

 

 

 *外野的な 感想では

ベンツ、なんて、フツーの庶民の車庫には入りきらないし、

維持費だって ハンパじゃない、

フツーの職人さんがフツーに乗り回すにふさわしいクルマなのか

おおいにギモンである。

 単なる オーナーの水準や好みの押し付けで無ければいいが・・

などと思ったことであった。  余計なお世話?か・・(笑)

 

 

 

   

    教えて、神さま

 

 木村藤子さん。

「青森のカミサマ」と呼ばれて、最近テレビにも出られる。

 

 ネットでも多分、色々書かれていると思うが、ここでは

個人的に感じたままを書きたい。

 

 余計な派手さも修飾も無く、真っ直ぐなお人柄のように

見受けられる。いわゆる 予言者、霊能者とかと言われる人たち

とは一線を画す方とも思える。

 

 しょうもない相手には時に厳しい言葉も放ち、けれど

見放すことなく、救済の手を差し伸べようとされる。

 

 見えないものが視える・・・ふしぎな力というのか、感覚と

いうのか、でもそれを振りまわす、でもなく、

おだやかな、しかし、幾分厳しい深い目で相手を見やる。

 

 透視が、当たっているのか、当たっていないのかは 

わたしには分からないし、そのように不思議な現象が実際に

有り得るのものなのか、それも知らない。

 

 

 お坊さんにではなく、宗教家にでもなく、

木村藤子さんに わたしはお聞きしたいことがある。

 

 

 ― 成仏する、しない、の違いは なんですか? ― 

 

 

 遺った者が 死者にたいしての “供養”の仕方。

 

追悼の気持ちだけではなく、ちゃんとした「形」として

供養しないと成仏できないのか・・・、

 

 それはたとえば、型にはめられた葬儀でなく、お坊さん

による念仏もなく、回忌も特別なことせず、

ただ、こころのなかで追悼の念を持ち、こころで供養する

・・・そういう「型」の無い仕方では 

“成仏できない”のか??

 

 もし、成仏していない “魂”とすれば、

それはどこで、どうなっているのか?

 

 焼かれて 微塵の骨となり 灰となり果て

“ナッシング!”

“無”となったにかかわらず なお 魂は存在し 浮遊する

 

 

それら?に関して わたしには  未知の領域である。

 

いつか いちど

藤子さんに お聞きしてみたいものだと思う。

 

 

 

  六月――竹林の道

 

 

笹の葉が揺れる小道を

辿っていくと

その寺はあった 

禅寺のような重厚な山門ではなく

村の民家に囲まれた お寺さんの

風情である

「牛臥山」ともいう

 

寺屋根の後方を見あげれば

低く緑なす山々が横たわっている

なだらかな背のあたり

削り取られ赤土がながれこんで

すこし痛々しい牛だ

 

信仰は持たないが

寺町に生まれ

境内や社の杜を遊び場として

そだってきた

馴染んだ風景である

 

これまでの短くはない道のり

ときに行き暮れては

鬱蒼とした樹木に

かこまれた丸い空を見あげてきた

 

丘陵をのぼると

ひろがる田んぼが見える

山がわには竹林の群がつづく

「秋葉権現」 「岩屋不動みち」

石の柱を横に見て さらに進めば

昼でもなお昏い竹林のなかの小道

 

さわさわ さわさわ

伸びた長い竹が 揺れる 

笹の葉が 揺れる 揺れる

 

水無月 梅雨晴れ間の風に

吹かれ吹かれて

彷徨うごとく あるきつづけた