2013.09.25 落葉 踏む

       

自選 十句

 

 

       風の秋 

 

はらはら、 追憶も散る  風の秋

 

群青の  空 深まりて  今朝の秋

 

えんぴつの 芯 とがらせて  秋を描く

 

雁渡り  雲もなき空 ひきつれて 

 

鬼やんま すがたのままに 死にたへり

 

犬の耳 うごき 鼻うごき  虫の秋

 

座右の辞書  は ぼろぼろなる 秋夜長

 

曼珠沙華 いのちの果てを 照らしけり

 

木犀の 香に付き添われ  ポストまで

 

生涯の  夢 さだまらず  落葉踏む

 

 

 

 

       落ち葉 踏む

 

 ゆめ 定まらないまま 今日に至ってしまった・・・

 

 出版、編集、詩人、作家・・などの“語”は 今でも

わたしのなかで光りかがやいている。長いあいだヒソカに、

胸の奥底にしまいこんであたためてきたユメ、でもあった。

 

 ・・・あった、と過去形なのは当然ながらやむをえない。

いくつかのユメやキボウは自然(必然?)淘汰されてゆくもの

なのだから。

 

 子育てが一段落したころ、 ― 北海道へ渡って、

「ムツゴロウ動物王国」へ志願しよう ― と思ったことがある。

キビしい大自然を背景に動物相手に暮らす、年中、長靴と古ズボン

で素顔の貌さらして・・・、  志望 ぴったし!!

 だけど、王国、若さも体力もない私を雇ってくれるだろうか??

 

 ・・・ということで、そのユメもユメに終わった。 

 

 

 

 

       回転寿し記念日

 

 回転ズシ、なるものを知らぬまま、このおんトシ! に

なった。

 

 わたしの知る回転ずしの店の光景は、TVとかで見る位で

いつだったか、デビ夫人が、

「隣りにいる客がね、私の食べたいもの、先にどんどん取って

しまうの、アタマにきてね、店の人に叫んだの、

 この回転、逆に回してくださぁ~い!!」

 

 

 客の前にベルトコンベアーみたいなのが回って、お寿しの

皿が回ってくる、それを取って食べるん・・でしょ??

 

 夫はお寿しが好物だった。

― なにか食べたいもの ある?

― すし!

― きょうはご馳走にしよう、何がいい?

― すし!

 まことに明快であった、手の掛からない。

 

 我が家は富裕層ではないから、鮨屋さんのは高級品扱いで、

もっぱら、農協やスーパーで売っているものを買ってきた。

それでも上機嫌! 満面の笑顔で食べていた。

 

 夫の元気な頃に回転ずしが出始めていたら、まず行って

いた筈だ。ついぞ、行ってきた、食べてきたぞ! の報告

も聞かずじまいだったから、闘病に入ってから流行りだした

んだろうか・・・。

 

 わたしのほうは特に好物でもなく、その後も命日や節目

の日に買ってきたお寿しをお供えするくらいできたのだった。
 


 最近、巷では、回転ずしに おひとり様の女性客が増えて

いる、という。気ままに自分の食べたい分だけ選べる・・と

いうのが理由だそうな。

 

 わたしも 回転ずし、行ってみたい!!  娘に話したら、

「かあさん、ひとりじゃムリだから付き合ったげる!」

 

 八月**日は、初めての、 うん、回転ずし記念日!!

と 相成った。笑

 

 連れて行かれたのは、想像していたようなカウンターの前に

並んで座る、というんではなくて、ふつうのテーブルと椅子の

座席になってて、チビっ子混じりのファミリーとか、ワイワイ

騒ぎながら、横手に流れていくベルト?の寿し皿を取っていく形。

 

 ふう~ん、ナルホドねぇ、回転ずし業界も常に回転したり

流れたり、進んだり、 進化を辿っているわけですな。

 

 肝心のお味、のほうは??

 注文の仕方もめんどくさいし、不慣れなせいかスムーズに

いかなくて、食べた気がしない・・・、しいて行きたい店じゃ

ないなぁ、わたしめのような進化ストップのおひとり様、には

不向きなようだ。

 

 

 

      パソコンが壊れた~!

 

 一大事なんである。

 

 休日には一年坊やが終日、我がパソコンを占有する。

 マリオとかドラえもんとか、何かしら、自分で動かして

見ている、 ・・・夕方前から、マウスを動かしているのに

気がついて、あれ?へんだな・・・とは思った。

 

 ノートパソコンなので、もっぱら、フラットポイント、

わたしはパット専科、パット歴はふたケタにもなる・・・、

そのばーばが最初に教えたのでチビもパットである、

 

 夜、チビはパソコンの途中で寝てしまい、わたしが閉じよう

として、パットが動かなくなっていることに気がついた。

その夜は  半沢直樹ドラマ・最終回を見てる最中で、

とりあえずマウスでシャットダウンして仕舞った。

 翌日・・・、

 

   ***パソコン無事続けられれば 次回につづく

 

 

 
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      九月―彼岸花の咲く家

 

 

山の道 峠の道

なんど くりかえし 辿ったことだろう

 

小高い山の上から下った途中の林の

茂みに隠れるように

青いとんがり帽子の屋根を乗せた

その家が あった

 

茂みをかき分け、細い草の小道を辿ると、

茶色の犬が小屋のなかから 迎えてくれ

庭の手入れに余念のない おじいさんの皺の手

が ゆったり動くのが見える

 

小さかった二人の娘の送り迎え

に その小道を通った

ときには 犬も道連れに

娘たちが 習字のお稽古しているあいだ

あっちの犬 こっちの犬

頭を撫でて 遊んで

 

そうして お稽古の済んだこどもたちの

にぎやかな声がすると

犬たちは いっせいに尻尾をふる

庭の脇にある井戸のお水を 拝借

犬に水を飲ませ

また 山道 峠道 

を くだる

 

藪や草の原のかげに 季節の花が

遠慮がちに咲いていたりした

秋になると 

庭への曲がり角に突然 赤い花が ぽっ ぽっ
燃え出てきた

 

「ヒガンバナ だよ」

こどもたちといっしょに

群生する真っ赤な少し寂しげな花を 少しばかり

摘ませてもらった

 

それから 何年か

おじいさんがいなくなり 

また 何年か 

お習字を教えてくださった 凛としたたたずまいの

女先生が消え

その家はがらんどうになった

青いとんがり帽子の屋根は

空に  高く高く 姿を見せていたが

 

やがて家は 藪や木々に埋もれ

小道も見えなくなり

 

その後も 秋が来ると

峠の途中の 脇の茂みのそこ  ほら

燃える寂しい赤い花が   ぽっ ぽっ

見えてくるのだった

 

 


  

    

    名月や 先も後もなし ただ愛でし   

 

昨夕の中秋名月&満月、 ずっと見ながら散策した。

最初は大きな薄いオレンジで、山上の端に掛かる頃には白く輝く

“まん丸お月さん” になった。 おぉ~、素晴らしい!!

 

 中秋の名月と満月が重なるのは、八年後のよし。八年後なんて

どーなってるか不明なので、坂道を登りながら、しっかり、

目に焼きつけ、名月を堪能した。

 

 

 

         

 

97歳・緩やかな兆し

 

今週水曜日に ホームに行った折の母は、基本的に変わりはなく

元気ではあった。   ただ  ぼぉ~、ぼんやり、・・・度が

やや顕著になった感?

 

 反応がニブい・・・、

 

 いつもなら気が付くと、笑い掛けてくれるのだがそれも ない。

「・・・どうやって来たの? 地下鉄? バス?」

「一時間も掛かるかね?」

 

 そんな決まりきった質問も ない。

 

 

 口のモグモグや頭コックリ・・の動きの繰り返しが増えてきている。

わたしの独断の分析?によるならば、その反復は脳の委縮が進んでいる

・・・ということになる。

 

 今まで好きだった相撲中継も、見ようともせず、椅子の位置が

テレビから後ろ向きなので、気が付いていないのかもしれず、

向きを変えたら、見てはいたけれど。

 

 夕飯前の時刻、スタッフが二階フロアのゴミ収集をし、それを

二階から階下へ運ぶのに、“なつさんの仕事” として、

手伝いを頼む・・・というか、連れ出してくださる。

 

よぼよぼの手押し車の老人を連れてのごみ場行きは、スタッフ

には余計な手間でしかないのに、97歳の運動と気晴らしを兼ねて

の特別の気遣いと思われる。

 

ちょうど帰る時、たまたまそれに同行して、母の(見守り?)を

つづけたのだが・・・、

 

 いつもの手順の仕事であるに関わらず、EVから出るのも

手間が掛かり、出た後もごみ場のある方向へも進めない、戸惑い、

足が止まってしまう・・・、

母の手押し車に 軽いほうのゴミ袋を乗っけて、笑、

スタッフは輪っぱのついた重い容器を押しながら・・・

ストップしてしまう母を促しながらの、進行である。

 

 それでも根気よく 進めてくれるスタッフさんに感謝しつつ、

 

 母の言動がいっそう、のんびり・ぼんやり化 したことに

その日はちょっと せつない気分の帰リ道になってしまった。

 

 

まぁ、年齢からいって、自然な流れではあるし、

 

 これまでも、往々、眠りの時間が増えて、いつ行ってもベッドでひたすら

眠っている、そんな時季を繰り返しているので、

寒い季節が来て、また “眠り姫こと・イネムリばば”になって、

 

さらにさらにおとろえていくかなぁ~、

 

今シーズンの冬 乗り越えられるかなぁ~

 

 

 

 

 

       倍返し、なんて夢()空事だよ~

 

 といってはミもフタもない、・・・ながら、半沢直樹ドラマは

好評のうちに次回最終回をむかえることとなった。

 

 地味めな俳優さんが、ヒーローになって、ニックき腹黒悪人を

派手めにやっつけていく・・・それが人気のモトになった??

 

 原作者の池井戸潤氏は 元 旧三菱銀行(合併後、現UFJ銀) 

に勤めておられたという。一見、荒唐無稽・・と見えながら、経験

に裏打ちされた基礎のあるドラマ仕立てなのである。

 

が、現実には、これほどカッコよく、コトは進むものではない(と思える)

 

 元銀行勤務の頃、わたしたちオバサンや女性の多い後方事務のフロア

には、熾烈な戦列から外された、あるいは 外れた、生粋の銀行マンたちが 

送られてきていた。

 

 病気や事故後遺症、そして、うつ症・・・など、なんらかの事情を背負って

彼らは、キャリアパートやハケンや、契約や、いろんな女子オバサンのひしめく

部署で、ボーダイな仕事量の束を前に、 書類仕分け、照合、オペレーション・・・

など、淡々とこなしていた、  そしてまたいつのまにか居なくなっていく・・・、

 

 合併時には、ブリッジ方式の準備期間があり、双方の処理に分かれ、

すさまじい煩雑さ多忙さに振り回されながら、 

旧三菱、東京 旧東海、三和など 多数の大手銀の合併を経て、巨大銀

にふくれあがっていく さまを 垣間見てきた。

 

行内のどこかでは、それぞれの出身銀行別、派閥もあったと思われる。

半沢直樹の分身たちが、過酷な現実に闘い破れ、果て、尾っ羽打ち枯らして、

出向やハケン先に散っていく・・・。

 大変な時代であった、というか、それは今も変わらず続いているのかも

しれぬ。

 

 ちょっと、しょぼめ、ながら、大熱演のヒーローがどう結末に持っていくのか

心配でもある、   大抵のドラマが最終的には尻すぼみ、落胆の早送り、

急激手抜き的終結、の傾向があるので、あまり 期待はしないようにする。笑

 

 余談ですが、出演中の賠償美津子さんのお顔の、老け方、皺、・・・、 

ご本人曰く、 「隠さない!」  と 宣言されている様子。  ご立派!

 ヘンにツルン、整形疑惑ツッパリ顔! ド派手な厚化粧!の 往年の女優さん

より よっぽど、いさぎよい。 しぜんな年輪の姿は美しいデス。

 

 

2013.09.18 水を泳ぐひと

 

           タイピングの速さ

 

 昨夜のTV 中居くんMCの  「“ミ”になる図書館

タイピングの速さ№1決定戦!・・・」の番組を見た。

 

 タイピング最速・タイトル級の講師のレクチャーも交え、

自信のある芸人とかが出演し、速さを競う・・・というもの。

 

 元議員・東国原氏や劇団ひとり氏などの出演者一同が、その

競技に盛り上がった。・・・けれど、意外にタイピングの難しさや

落とし穴もあり、次々陥落?し、最終クリアには誰も至らず。

 

 本も書いている劇団ひとりさんが、キーを見ないで、画面上で

打ち続け、かなり健闘されたのだが。

 

 

 そこで、自分を顧みれば、落とし穴だらけ、不完全だらけ・・・

であることに今更ながら、気付く。

 

 昔、職場で担当していたテレックスのキーでは、ひらがなの

全位置を頭で覚え、指で覚え、かなり早打ちしていた・・・と思う。

 直接キーを打ちながら先方へ送る方法もあったが、なにしろ原稿が

多いゆえ、キー打ちしてテープに孔を開け、先方先きにダイヤルして、

そのテープを流す・・・、という 現代のひとには  ん、んん、?!

ナニ ソレ?? という送信方法でもあった。  

 

 

 その後、ワープロに移り、キーの並びがテレックスとはまるで 

違っていて、已むを得ず、ローマ字方式に替えた。

ローマ字キーも指の定位置がテレックスとは左右一字ずつずれていて、

それが、以後の “わたくしタイピング”の “不幸の始まり”?!

であったと思われる。
 

 昔の定位置   左人指し・D  右人指し・H

の 四本指が、旧位置と現位置とごっちゃになり、曖昧なまま

左右にぶれながら、余計な動きが増え、ロスとなり、つい、いつのまにか
下のキーと画面と上下見ながら打つ習慣となってしまっていた・・・

 

のである。 はぁ~、  前置き 長がッ!!

 

 

 ボケ防止兼ねて、今頃! 遅まきながら、正しい位置で

キーボードを見ないタイピングをレッスンしよう!  そう 思い立った。

上記下記、レッスン中なり!    ぐしゃっぐしゃ画面になり・・・、
はっ!  手間掛かるぅ、 めんどクサッ!!笑

 

 

 

   

   


          水を泳ぐ人

 

いきていくにはたくさんの儀式をこえていかなければなりません

 

行き詰まっていた

退屈な日々というものも結構くるしいものである

簡素に暮らしていても税金の督促は来る

からだの節々が痛んで階段を這って降りる

なにか形のないものに

そう 追いつめられていたのはたしかだ

 

      *

 
 思い余って水に飛び込んだ迷いはあったがそうするしかなかった

 澱んだ水を泳ぐと泥の底に触れた

 泳いでも泳いでも泥の底 これでは埒があかない

 はやまったことをしたのかもしれない

 悔いがさざなみになって後方へながれていく

 と 高波のうねりに攫われいっしゅん気を失ったような気がする

 深みに入ったようだ 手足を搔き顔を浮かせる

 沖に流されていく

 このまま泳いでいてはいずれ力尽きてしまう

 からだを回転し背泳ぎになる ゆらゆら水にまかせ

 これで案外楽に逝けるかもしれない

 いや助かりたい気持ちもあるだれか見つけてくれるだろうか

 老いた母のことがふと頭をかすめた

      *


それにしても 溺死寸前の体験は鮮烈すぎて

その日一日中 ぼんやり過ごしてしまった

娘たちがかわりに家事をしていてくれている そのかたわら

先年亡くなったひとが用事をしているまったく普通にだ

あれぇ 元気になったんだ よかったよかったねぇ

しかし うしろ姿しか見えない

 

散らばるちぎれ雲

懸念のひとつひとつ吟味してころがして

そうして頭上には千の風も百の風も吹きわたって鳥たちも

く く くっ  くるーくるーー

飛び交っている

今朝は清々と晴れわたっている

 

                  個人詩誌18号より

 

 

 

2013.09.13 遙か・旅路

    

        遙か・旅路

 

 

 

        大雪山丸

 

 竹芝桟橋から 2、3千トンだかの貨客船 “大雪山丸” 

に乗り、船底で積荷とともに二日半、  根室沖に着いた。

 

 そこからは岬から岬へ、来る日も来る日も海ばかり見ながら

過ごした。

 

 リュックに、着替えを数枚、小さな毛布シーツ、スケッチブック、

それに仕上がったばかりの詩集を一冊、しのばせた。

 

 

 切り立った崖から海をスケッチして、あのひとに送った。

  「さよなら」 と 書いた。

 

 会社も辞めた。

 

 まだじゅうぶんに若いわたしの、新たな出立の旅であった。

 

 

バックバッカー、という言葉もなかったころの放浪のひとり旅

である。

片道だけの切符を求めに行った先で、 

― 女の子ひとりで何日も北海道を旅するなんて、そんな、

無謀すぎます、やめてください・・・!

と、引き止められた、そんな時代でもあった。

 

 

 

    

    放浪の旅  

 

 広い広い原野を、長時間 汽車に揺られ ゴトゴト ゴ ト・・・ ゴトン、

線路を走りつづける 音、振動、あの感触はしっかり、身体に刻まれた。

 

 明日の行先は気の向くまま、広い道内では、予定も計画も役に立たない、

思い通りにいかないことも多い。

宿がみつからなかったり、電車に乗りはぐれ、ちいさな駅で半日以上、

待ったり。

 

納沙布の海辺で昆布採りをしていたおばさん、

「まぁ、そんな中学生!で一人で来て~、家で家族が心配してる

から早くお帰り!!」
 
 

 旅をしているあいだ、化粧っけもなく、髪は二つにおさげに
結わえていた。

 二十歳を少し越えた円顔の童顔をちょっと、オーバーに若く
見過ぎて、本気で心配してくれたのだ。


 納沙布の岬から、遠く、ソ連領の千島列島が見えた。

 

ユースの宿で一緒になった同年代の若者たちといっしょに、

深い森を越え、険しい山道や岩を上り下りして、

幻の湖といわれる オンネトー も見た。青く澄んだまぼろしの色

の水であった。


 
 摩周湖の、周辺の観光化には落胆したけれど、神秘さはじゅうぶん、

堪能した、人々が語るほど、それほど華やいだ印象もなく、摩周湖は

ただ、ひっそりとそこに在った。

 

 
 羊蹄山も見上げてきた。


 
 積丹の浜には、大小の石ころを乗せた赤茶けたトタン屋根に

低く傾いた軒の小さな小さな小屋が並んでいた。
 継ぎはぎだらけの
シャツや蒲団が海辺の砂利浜に、じかに
干してある。

 それでも、その辺の子らはバスが通るたび、無邪気に手を振る。

 積丹の素朴な岩と海と、カムイの佇まいを目に刻印した。

 

 

大沼公園で無人の駅に降りると、目の前はただただ、真っ暗、
一歩も進めない。

途方に暮れていると、富山の薬売りだという ライトバン(うしろに荷物を
積める仕様の車) が通り掛かり、
拾われて、宿まで無事に送り届けて
もらったりした。

 

 礼文の島で終日、シケて荒れる海を眺めて過ごした。
 どの海を
見ても飽きることはなかった。
 さびしくはなかった。

 

 島を去る日、女子学生が清らかな声で歌いながら舟を見送って

くれた。

   ♪さようなら また逢う日まで さようなら~~
  

    泣かないで 泣かないで さようなら~~♪

 

              

           冬の海で


旅の地で、季節は夏から秋、冬へと急ぎ移っていった。

漂泊の旅も終りに近付いていた。

 

 

表現しきれない様々な体験があった。たくさんの出合いもあった。

 

 

“じぶんひとりで 選択し、 決行し、 終結する”・・・。

 

ひとにささえられながらも、その精神は 放浪のひとり旅で身に

ついたとおもう。 

以後の人生の原点にもなっている・・・とおもう。

 

 

 

冬の海の風に吹かれながら

 

 北海道の長旅に、なみだの別れを告げた。

 

                 了

 

 

2013.09.09 秋、だね

 

  ホームのなつばあちゃん

 

 手押し車をひいて歩く97歳のなつ母は今夏も変わりなく、

息災で過ごせた。

 

 

独り暮らしのころは、暑くなれば、古くて不調のクーラーを

つけられず、古扇風機をカタカタ鳴らし動かす。寒くなれば、

裏の小屋からこれまた古くて重いストーブを出し、その前に

灯油を買って補充せねばならない・・・。

 そんな日常の事柄が少しづつ出来なくなって、その度、長姉が

駆けつけて助けた。

 
 
  
 施設では、暑かろうと寒かろうと、空調の利いた部屋で過ごせる。

 

 

最近、手押し車を置いたまま、前に屈んだ体で、

トットットッ、・・・歩きだしてトイレに向かったりする。

もし、転んで骨折でもしたら、今度こそ寝たきりになって

しまうだろう。

 スタッフの配慮でなつさんの居室には、マットが敷き

詰められているが、ディルームは車椅子の入居者のほうが

断然多く、床板のフロアになっている。

 

ほら、ちゃんと手押し車ひいてよ、かあさん!!

 

 

 

二年ほど前の秋、夜中にトイレに立とうとして、ベッドから

落ちて骨折した。

 

 その折の作品  以下に

 

 

 

 

母の唱歌               

 

 

朝早く携帯が点滅して ―母入院 来てください

姉からの 二行の印字を見る

動揺はしない それから秋らしい好天の朝の家事を

たんたんと こなし ことさら念入りにひとつひとつ

 

何があったのか不明なまま 何があっても覚悟の途上で

あれもこれもと 不要な用向きに手をだす

 

昔 電車に乗りはぐれ

手術室へ向かうひとを見送れなかった

悔いと哀しみを 幾年も背負ったままだ

 

同じ轍は踏むまい とはおもわず

季節にかかわらず 風は吹くし 水は流れるし

 

か細くなって折れた足の骨のかわりに

金属の棒二本 ネジ一つ

半身を白く包まれて戻ってきた母を

部屋で迎える

浅い睡りの合い間には 車椅子で部屋の外に連れだす

 ♪タンタン、タンターン  ワーレハウミノコー 

シラナーミーノー  タン、ターン、 

「もうじき さよならだよ、かなしいけど 

しょうがないでね」

♪ハルコオーローノ ハナノーエンー

 

すべてを巻きとった年齢の母の口から 

なつかしい唱歌がつぎつぎとでてくるのを

黙って聴く

 

        *個人詩誌21号より

 

 

           

 

 

 

       “ゾウのデコ園”  事情

 

 うちの庭 ミニミニ菜園 “ゾウのデコ園” は、まだミニトマト

やピーマン、シソ、ゴーヤが繁っていて、“草じゃんぐる”

になっている。

 暑さのせいかどうか、ピーマンの葉っぱは巻貝?か春巻き?

みたい丸まって、緑ピーマンじゃなく、赤いトンガラシ?に

なったりしている、 唐辛子なんて植えた覚えはないんだけど。

 ゴーヤもふにゃふにゃ、か、黄色になったりしている??

 

 おもいきって、取り去ってしまいたい衝動に駆られるが、

見ればミニトマトの小さな赤い実がなってるし、シソももうすぐ

実になるところだし、

それにまだ昼間は暑いし、体が動いてくれない。

 例年だと、9月の終りごろ、片付けることになっている・・・笑

 

 

 

   

      ―― 秋、だね

 

 手元にある雑記帳をぱらぱら、めくっていたら、

少し古い話であるが、

“人志松本の○○な話” のメモが載っている。

書いたことをすっかり忘れていた。

ノートにはゴリさんの話がメモしてある。

 

 この雑記用ノートには、例えば、TVを見ていて、感銘すること

があると、書き留めておいたり、料理番組のレシピなど、文字通り、

雑書きのメモノートである。忘れてしまった言葉やことわざなど、

防備録にもなっている。

 

  *以下、その古いメモより

 

 ゴリさんって、名前は何ていうんだろう、やっぱりゴリさん??

たしか、ガレッジセールとかいう?  あまり、お笑い番組は見ない

ので、コマーシャルや“ポストマン”の番組などで見る。

 松本人志さんいわく、ゴリさんは典型的なKYのよし。KYとは

“空気の読めない人”のこと。   でも、ゴリさんのKYは、

場を和ませる、癒しのKYのようである。険悪な、あるいは 

暗いトーンになってくると、  おい、ゴリの出番やな・・・、

という具合に。

 

 

 ゴリさんの話は、  この時の○○の題は忘れてしまったし、

メモにも記してない。

 

 ゴリさんの同郷、沖縄の元ボクシング選手、具志堅洋高さんの

こと。

 

 レポータ―; ○○高校出身の具志堅さん、その学校の伝統(でんとう)は??

 具志堅 ; おもむろに天井を見て、 答える。

 

    

―― ナショナル、 だね

 

 

    

            第四章

 

 

        再会

 

 世田谷からカズコが、木更津からシイが、同窓会会場へ

やってきた。三人が会うのは数十年ぶりである。

 

 会えば、たちまちあの頃に三人に戻って・・・、

他の同級生のどの顔も懐かしく・・・、

 料理を楽しんでる余裕もないくらいに、あちこちの顔を

確かめあい、喋り、笑い・・・、

 

 二次会にも繰りこんで、飲んで騒いで笑って話して・・・、

またたくまに、“ゆめのような一日”は終わってしまった。

 

 

 

翌日、三人の他に同窓会に欠席したリョウコも呼んで、

シイのお兄さんのマンションの一室を借り、集まった。

 

 前日の同窓会には、子守りは夫が引き受けてくれ、精一杯

お洒落して、奇麗な、まだパリパリッ!の独身みたいな

(・・・つもり)になって出席した。

 翌日、夫は仕事に出、  

五歳の長女の手を引き、生後半年の赤子をおんぶ帯で背負って

行った・・・元ヤンチャ女子のわたしの恰好を見て、他の三人の

元女子の、  笑うこと笑うこと、

アッハハハハ~、 キャ、ア~ハハハハ~~・・・!!

 

 ナニよ、 ナンやねん、  ハハオヤ やねん~!(怒)

 

 

     

 

 一冊の「詩集」

 

 一回目の同窓会に、かきつばたの女王ことT女史が出席

していたかどうかは 分からない。

中三時代、Tの居る一階のA組とわたしの居た二階のE組

の教室は遠く離れていた、

卒業して数十年後の同窓会のホテルフロアでも、組ごとに

分けられたテーブルの席は、遠かったのである。

 

 正直、その時も、Tは“過去の人”にすぎず、特に

思い出すこともなかった。

 

 

 

 同窓会では、最後の生徒会長だったコウ君とも再会できた。

 

あの学年のクラス分けって、ちょっとおかしくない?

AとBに優秀な生徒かき集めてさ、CからこっちFまでは

残ったのをテキトーに分けた、みたいに・・・になってない??

 事実、番長級の子も、手の焼ける不良っぽいのも、ほとんど、

C組以降の組の子である(・・・ようだった)

 

長年の疑問を、コウ君に言うと、、

 

ない、ない、   それはない・・!

 

 笑って、即座に答えた元生徒会長は  B組である。

 

 陸上部で気骨もあったコウ君は、周りの声援も多く
望んだわけではない生徒会長に推され、旧い校風に革新の

旋風を巻き起こした 型破りなヒーロー、だった。

 

重責ある会長役の活躍の裏で、ほんとうの自分との葛藤も

あったのではないだろうか・・、もともとはシャイでアウトロー

でもあったコウ君、

知人の詩集を、元文学少女に、持ってきてくれた。

 

北多浦 敏氏  「涙の切れた港から舟を出す」

その詩集は今も書棚に収まっている。

 

 

 

 

        リベンジ・・・

 

二回目の同窓会にも出席している。

 

  A組の集まるテーブルを通り、T女史の姿を見た。

  その時、自分でもおもいがけず、Tに近付き挨拶をした。

  

 

お久しぶり~、 

さりげない挨拶のあとで、Tに向かって、

 

同じクラスだった時にね、ちょっとツライ目に遭わされて・・、

 

と、つづける間もなく、横に居たオバサンが、強い口調で、

 

ちょっとぉ、そんな昔の話、持ちだされても・・・、

 

 

そこにもまだ“取り巻き”? が 居たのだ、

Tの表情も 険悪になっていた、 あの時とおんなじ顔・・・、 

 

 お酒の席でおとなげないことになっても・・・、

とりとめない話題に戻し、その場は退いてきた。

 

 

 

以降、同窓会に出席するのはやめてしまった。

仕事に復帰して、忙しかったりしたし。

 旧友たちからどんなに誘われても、出ることはなかった。

 

 元文学少女のナミが藤沢から来て、会いたい!というので、

二次会の場所へは行ったことがある、同窓会には初参加という

もうひとり、イッ君も居た。

 重い病気をして回復したのだというナミを、イッ君と一緒に

夜の新幹線の駅まで送っていった。

 

 また、数年後、木更津から同窓会に来たシイがわたしの家

に泊まる、というので、二次会だか三次会だかのバーで

酔っぱらっている彼女を迎えに行ったこともある。

 が、同窓会には出なかった。

 

 

 

 

          心の区切り

 

 それから、歳月は茫々 ただ過ぎ去っていった・・・。

 

 “アラ環”も過ぎ、長く勤めた銀行も卒業リタイアした、

 とりあえずは  自由の身上になった・・・、

 

 ぼちぼち、林住期から遊行期かなぁ~、

 

 

そんな時、 再び、同窓会案内が舞い込んできた。

ふと、出席する気分になった。

(その年は、子どもが生まれるまで勤めたコンピューター社の

OB会にも出席している。)

 

 

 数十年ぶりの中学校同窓会、だれもみな シワ、白髪、メタボ

(もいる)、相応に老いて、誰が誰なんだか分からなくなっている

顔もあった。

 

ホテル・フロアのバイキング形式の料理を取りに行った、

そこで、T女子に出遭った。

 

 いくらか老けて見え、でも 穏やかな印象に戻っていた。

 

 

 立ったまま、少し話をした、小学校時代のK子ちゃんの

その後のこととか、実家のこととか。 そして、淡々と席に

戻った。

 

 

 

 

数日後、わたしは、東京在のTに宛てて、手紙を書いた。

昔、あった投書事件のこと、真実のこと、その後のこと、

それらを 誠意をもって、綴った。

 

 ・・・この手紙を書くことで、自身の心の区切りをつける旨も

書き添えた。

 

 

 

 

返事 は   ない。

 

 

 

 

 

         終 章

 

        

 

忘却の行方

 

それから二年後、再び、早めの同窓会案内が来た。

 

○○中学物語りを書き始めた矢先の案内で、そのタイミングに

驚いた・・・ことは序章で書いた。

 前回の出席で最後にしよう・・と決めていたのに、

今回の会場の、地元では名の知れた老舗料亭の「GG園」名前を見て、

また迷いだしている 笑。

(結局、欠席の返事を出した)

 

 

 かって、友から傷つけられた・・・ことは、 

自分では忘れた、記憶にない、  

イジメを受けたとか、そんな意識もなく、

それほど、深刻なダメージは知らず過ごしてこられた

人生だった、

  

 事実、活溌に動きまわっていた時代には、思い出すことも

なかった、

・・・そうであった筈なのに、それが、年を取ってきて、

過去のあれこれが、ふっと、蘇ってくるような瞬間がある、

というか、そんなフラッシュバックの瞬間が増えてきた。

それが年取った・・・という現象なのか、

 

 たまたま 自由な境遇?であることも関係しているかも

しれない、重篤な問題をかかえていたり、身近に介護の要る

ひとが居たら、そんな昔のこと 思い出してる暇もないで

あろう・・・。 

 

 

 

ダメージは忘れた・・・、のではなく、実は 心の深い底に

沈んでいただけ、あるいは無意識に封印していた・・・、

のかもしれない。

 

 

 しかし、傷つけたほうは忘れている・・・、

忘れている場合が多いのではないか・・・、 

T女子も、かっての事件のことなど、忘れていたかもしれない。

 

 

 

 ここで唐突だが、少し前の映画(2008?) 「青い鳥」

 学校内のいじめに真正面に取り組んだ秀作と言われている、

中西健二監督、阿部寛主演、

 

 吃音の教師が 言う。

いじめで自殺を図った生徒の教室で。

 

 

 「 忘れる なんて、 ひきょうだな 」 

 

 

                 ― 完 ―

 

  ***上記作品は フイクションです***