手作りの賀状

 

 我が家の年賀状は、今どき、時代オクレな

“手作り版画”である。

 

図案を決め、ゴム版に彫ったら、数色の絵の具を塗って、

一枚一枚、仕上げていく。出来具合はともかく、かなり手数

の掛かるメンドくさい作り方でもある。習ってもいない、

じぶんで編み出した独自の、おそらく“世界で一つだけの・・”

制作手順であると思う。

もう数十年・・・、そうして作り続けている。

 

 

昔、百を越える枚数の制作に、さすがにネをあげて、

「おら、 もう、やめるうぅ~~!!」と匙投げ出した時、

当時、小学高年だった次女が、

「○○家の伝統工芸はわたしが引き継ぐ~!!」

 と、宣言し、彫刻刃を手に、絵筆を持ち・・・、仕上げて

くれた。

 

 ・・・が、数年もせずして、彼女はあえなく撤退して

しまった・・笑

 

 しかたなく・・・ 再び、わたしの手で彫ることに。

娘たちはそれでも自分のぶんは自分で色を塗って刷り上げた。 

 

 

序々に枚数は減って、ここ数年は意識的に減らしてもいる。

 

 出来不出来は“絵柄”次第でほぼ決まる。描き辛い干支の

時はチラシの絵などを参考にしながらデザインする。

図案が決まったら、版に写し、一気に彫っていく。

 刷ってみて、不出来な場合は一からやり直す年もある。

 

この伝統工芸、いつまで続けられるやら・・・

 

 

送った友人知人とはいちはやく、その“舞祭組(ぶさいく)?!

賀状“をブログでお披露目。。。とします。

 

20131226122545.jpg まず 最初の準備

 

  

本作は時間に押されて、かなり雑な彫りに・・

 

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 これまでの制作の数々

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   本年・大晦日、ブログ更新納めです。

 

   

***元気で幸せな方、そうでない方、

病をおして過ごされる方、介護される方、する方、うつの方、

どなたもご無理されず、けれど、あきらめず、

無事な明日が迎えられますように・・・!!

 

 

当ブログを見てくださった方々、お礼申します。

 

2014年も 宜しくお願いいたします。

 

どうぞ良いお年を!!

 


冬空を背景にして立つケヤキ

 

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   曖昧なせかいの、とても曖昧な

                 個人的境界

 

 

もし、そこ・・・、

はみでてませんか

 

着ぶくれたコートがずらり

ならんで

一様に気分はそれぞれに逸れて、いて

曖昧な、とても曖昧な領分、

 

すこし 詰めてくださいせめてその腕、その職責、

振り回さないでください・・・

ひっそり 呑みこんでしまった

言葉

胸の内側に

いくつもの

仄昏い洞窟をだかえて

 

 

近頃 必須の合併ゾーン

大小の企業

過疎の村々

の 消去か挿入か添付か

瞬間パシッ、 変換されるのか

延々ぐるり~、巻き込まれるのか

ひっそり、やはり、ひっそり人々は右往左往する

 

空爆や砲弾にさらされる国

仕向ける国

大、小、の はざまに

砂漠や河や流転の泥土が

はだかって、

くっきり

隔てる領域はあるのだろうか ないのだろうか・・・

 

思い詰めるそばから、ほら、

肘が 脛が

伸びて押してきた

分厚な、そこ、

こんなとこで

新聞など広げないでください





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大空に伸びる・・・・ 


 


     サービスランチセット

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 母の居るホームに行った帰り、遅めのランチを取りに入った

お店で。 ハンバーグ定食。

サービスランチなので値段も格安・580円。

 場所柄、客層は小さな子ども連れの若い夫婦が一組以外、

あとは老若男女すべて、ひとり客である。

 

 

 帰り道で朝食用のパンも買う。週末チビたちも20131222090153.jpg
食べるので
多めに。

 

 冬野菜の収穫!
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 母の所では数十分くらい居るだけで辞してくる。

 格別用もないし、姉たちは母のすぐ伸びてくる爪を切ったり

しているようだが、わたしは目を悪くしているので細かな作業

は出来ない。

ただ傍らに座って、耳の遠くなった母とのぽつん、ぽつん、

会話とは言えない言葉を交わし、折りを見ては母の手や足を

揉んだり軽くストレッチをしてくる。

 母は顔色も良く、元気な様子ではある。

 

 

 

 

      心が潰れそうに・・・

 

 週末は長女母子がやってくる。

 

 長女んちでは、チビ二人の子育てでとても苦労している。

ことに小一の坊や。保育園でもかなり手を焼いたが、もう少し

成長すればきっと良くなる・・・そう念じながら、やっと小学校

に上がった、が、安堵のいとまも無く、事態はどんどん深刻に

なるばかり・・・

 

 担任からは日を置かず、呼び出しがあり、娘は心潰れそうに

なりながら遠い道のりを自転車を走らせ、担任に詫び、

同級生の子たちに謝り親に謝り・・・。

 

 それらを終えると仕事に出、五時半過ぎ、放課後支援学級から

自治体の派遣員さん(有料)に送ってもらった坊やを引き取り、

マンションの部屋へ入れると、また自転車で保育園まで走り、

三歳の娘を引き取ってくる、夕飯、片付け、洗濯、・・・

 

 そのあいだ、兄妹は暴れまくり、喧嘩、・・・力では叶わない

三歳が泣き叫ぶ・・・、

 

 ―帰宅した途端、ひっちゃかめっちゃかでパニック状態、

涙が止まらない、もう私、ストレスで長生きできないよー

 

 娘から“悲鳴のメール”が入ってくる。

 

 

 

 非力なわたしは娘にしてやれることは少ない。大して力にも

なれない。

勤務が不規則なパパ不在の週末には、実家に帰ってくる母子の

世話をしてやる・・くらい。小一の坊やはゲームをやることしか

頭に無く、うちに来ると、持参のビデオを見たり、パソコンの

マリオや怪傑ゾロリ・・とやらを自分で操作して見たりしている

・・・のだが、合間に暴れまくる。

 

 普段、静かで秩序あるこの家は、またたく間に散乱、反乱

狼藉・・タイフーン!・・・ぐしゃぐしゃなんてものじゃない。

 

 正直、チビたちの世話は二日が限度、連休で三泊ともなると

わたしも心が壊れてくる・・・。

 チビのママである娘はうちに来ると、普段読めなくて溜まった

新聞を読んでいるか、もしくは“死んだようにひたすらzzzzz

・・zzzzz・・!“ 眠りこける。

 

 

 

近所の子どもたちを見掛けると、ため息が出たりする。

うちの坊やも“あんなふうに普通の子であったら・・・”

 

 ヒーローでなくてもいい、優秀なんて望みもしない、

ただ“普通の子”であったくれたら・・・!!

 この子の行く末を思うと、ばぁばもまた心潰れそうになる。

 

 最近見た、新聞記事の中から、見付けた言葉、

 

 ― 運命を引き受けなさい ―

 

 哲学や宗教をも超えた含蓄深い言葉だと思う。

 

2013.12.17 悲しみの行方

悲しみの行方
      

         

 
                   *

ボラ・サークルの友

 

  市主催の手話講座を受講した後、主だった人の仕切りで

引き続き、勉強会をしようと発足したサークルでのことである。

 

 講師には、きちんとそれなりの受講料を支払うべき、と

主張するYさん、従って毎月の会費も増える。対して、

あくまで基本はボランティアなのだから、講師料は気持ち分で

いい・・・、とタキさん。

 

 Yさんは他で、手芸か何かの講師を務めている人でもある

らしかった。両者それぞれに共感する人がいて、それは共に

譲らず、激しいとも言える攻防戦が行き交った。

 このような講座にも議論の輪にも不馴れなわたしは、口の

出しようもなく、ただ両論を聞いて見ているしかなかった。

 

 

 そのうち、Yさんが舌戦の末、場違いな応戦を始めだした。

タキさんに向かって、

 だいたい、あなたは何ですか?正式な会員でもないのに、

のこのこ現れて・・・、勝手なことばっかり言って・・・!

 

 タキさんは介護福祉の仕事をしていて、不規則な勤務で、

決まった時間に参加したくても出来ない状況だった。後で

知ったのだが、隣市の手話サークルで活動中でもあり、

すでにベテランの域でもあったのだ。

 

 地元で新しく始まった講座が何かと気掛かりで、来られる日

にはやって来る・・・

 

 正式な申し込みもしていないのに、出て来てはいろんな

口出しをするタキさんに、Yさんとその周辺の人たちは内心

おもしろくなかったらしい。

 数人がタキさんめがけ、非難の言葉を浴びせる、それは

相当な礫で、見ていて身のすくむような思いだった。けれど

タキさんは全く怯むことなく、多数の礫に一人立ち向かい、

応戦した。

 

 

 

どうにか閉会になり、みなが帰り出した頃、新入りのわたしは

タキさんに声を掛けられた。あんなに数人から誹謗されても、

タキさんはなんの動揺もない涼しい顔をしていた。

 凄い人だ・・・、強い人なんだなぁ・・・。

 

 その日から今日まで数十年来、彼女はわたしの大切な友である。

 

 

 

           *

         仕事と子育てと

 

 タキさんの職場での仕事は、重度肢体不自由児の担当である。

自力では殆ど動けない子どもたちの生活全般を見る。学齢期の

大きな身体の子もいるし、かなりの重労働でもある。昨日元気

だったのに、今日あっけなく天国へ召されてしまう・・・そんな

ことも日常茶飯事であるという。

 

 タキさんには三人の娘がいて、一番下はうちの次女より一つ下

である。お互いに忙しい身で頻繁に会っているわけではないので、

どの子がどの子なのか、ちっとも覚えられないのだが、時々、

どの子だかが学校でいじめられている・・・ということを聞いた。

 うちの二人の娘たちもどちらかというと、いじめに遭うほうで、

でも、タキさんみたいな強くしっかりしたお母さんの子でも

いじめられるんだ、へぇ・・・、そのくらいの感触だった。

 

その頃には仕事にも復帰していて、サークルどころじゃない、

毎日毎日が吹っ飛ぶように過ぎていく・・・、そんな時期だった。

 

 

            *

        折れた翼 

 

幾年か過ぎ去って、小さかった娘たちもお互い、中学卒業か

高校生くらいになった頃、タキさんの一番下の娘さんが、学校に

行けなくなっていて、ひきこもりになっている・・・ということを

ちらっと耳にした。

 

 ひきこもりになるような子どもの親は、例えば、過干渉か

その逆か。漠然とそんなふうに独断偏見?のように思っていた

のだが、タキさんの家はどっちにもあてはまらない。

 

 お父さんも同じ福祉施設に勤める人である。久々にタキさんの

家を訪ねたら、一瞬、家が見当たらなくてあたりキョロキョロ

してしまったことがある。

家が薄グリーンの壁から突如、黄色に替っていた。家族総出で

ペンキと刷毛を持ち、外壁をぜんぶ塗り替えてしまったんだと。

ユニークな家族に見受けられた。両親とも不規則勤務で忙しそう

だったが、ある日はスキー靴が並んで干してあったり、ある日は

リュックや敷きシートがその辺に散らばっていたり。

 

 問題のある家族関係には見えなかった。もっとも、わたしは人に

深く立ち入るのも立ち入られるのも好まないので、すべてを知って

いるわけではなく本当のところは分からない。

 

 

    

    *

      実は回復期は“要注意”

 

その日訪ねた折りタキさんは不在で、そのひきこもりのお嬢さん

が出てきた。優しそうな、繊細で壊れそうな印象だった。

 

 

 

 それから程なくして、賀状欠礼の喪中挨拶が舞い込んできた。

突然だった。

 三女 **子 逝去により・・・。

 

 

 それなりの治療も受け、ひきこもりのうつ状態から少し抜け

だして、福祉の専門学校への願書を出しに行ったりもした。

外出もするようになった。その日も元気をだして、ミニバイクで

出掛けて走っている最中、パトカーの尋問に遭ったという。

 

 警官は職業柄、居丈高な態度だったかもしれない。帰宅すると

傷心してふさぎこんで、再び家にひきこもるようになったしまった。

 

 

そして数日後、誰もいない日、サンルームの鴨居に紐を掛け、

 ・・・自死した――。

 

 

 亡くなったあと、専門学校の案内書類の茶封筒が届いたそうだ。

 喪中葉書を受け取って、すぐ、タキさん宅に駆け付けると、

他にもそんな友人知人が来ていて、その一人がタキさんに向かって、

 泣きたかったら、泣けばいいんだよ。泣けばいいのに・・・。

 

 そう言ってる人も傍のわたしも泣いているのに、タキさんは

涙ひとつ見せなかった。

 

 

  

           *

         悲しみの果てに

 

 サンルームの鴨居から下がっている、変わり果てた末娘を

最初に見付けたのは、お父さんである。

 

 

 

お父さんはその後しばらくして、素人大工に凝りはじめた。

まずサンルームからリフォームしはじめた。サンルームでなく、

ちゃんとした一部屋にし、そこはもっぱらお父さんの独立した

居室として使う。煙草や灰皿が置かれ、時に一服しているらしい。

 

 タキさんが花や野菜を植えていた庭もつぶしてしまい、離れを

造ってそこに渡り廊下までくっつけて、塀囲いをこしらえ、

暇さえあれば大工仕事に精を出し、どんどん、どんどん、

タキさんの家は替わっていった。けれどそれは、どうひいき目に

見ても不細工な素人大工の造りであった。

 

タキさんは、ため息まじりに見守るしかなかった。

 

  

 

最近、タキさん宅を訪ねていない。その後、大工仕事は

どうなっただろう。聞きそびれたままだ。

 

 

完        

 

***上記作品はフィクションです。

 

 



  十二月-夜の公園

 

     

     闇が降りてきて

     しんしん

     静寂が満ちてくる

     梢の向こうで

     薄い電燈の光りが揺らぐ

     

     やわらかな草地に残照の跡

     が かすかに残っている

 

     昔のこどもが忘れていったもの

     砂場で掘った穴や山

     トンネル

     ちいさな腕をのばして

     向こうへ

     見る間に砂がこぼれ落ち

     くずれ落ちて

     永遠に掴みそこねたもの

 

     潜っては登り冒険し

      見上げたジャングルジムの 
    
 なんと小さなこと

     押して押されたブランコが

     夜の風に揺れる

     傷みかけた木の椅子に 
     過ぎた日々が
 座り込んだままだ

 

     ひたすら立ちつくし

      空に空に向かって伸びていく欅

     冴え渡る夜空に大木が影を落とす

     通り過ぎていったもの

     消えていったもの

     木は黙して見送る 
     さよなら さよなら 

    

     ケヤキ大木を透かして
     夜の公園が滲んで滲んで見えている

     

  



2013.12.12 鬼のゐぬ間に

        鬼のゐぬ間に

 

     古道を登りつめると

     紺青の海が見えた

     鏡になって陽の光りをあつめた水は

     万遍なく

     きらきら しゅくしゅく

     ただ 眩しく

     遙か以前

     生きものたち万物が ここから

     生まれ出でてきたことを確信する

 

     峠を下り

     鬼ヶ城の険しい崖道を伝いあるく

     鬼の頭(かしら)は征伐されて不在だが

     「見張り場」がある「千畳敷」がある

     「洗濯場」で

使い古した いのちを

     ざぶんざぶん 洗う

     動物たちさえ逡巡したか「犬戻り」「猿戻り」

     小春日和のこの日でさえ

     荒波が砕け散る険しい岩場だ

 

     長い長い歳月にさらされ 侵食され

     物言わぬ石や岩は奇形になって

     現代人の

原初への旅の背景になるのか

     癒しという再生への舞台になるのか

     漂泊の海は そこにある

     

そこに 光る海がある

 

 

 

 

      熊野古道・ロングトレイル

 

  熊野古道の旅の記録メモがない。

たしか、海辺の岩場を長時間掛けて歩いたような記憶がある。

 

 同行した娘に、海辺を歩いたことを聞いてみると、

「それは(熊野古道の時とは)別の所じゃない??」と言う。

別の旅で歩いた所?!   この子もかなり雑!なんである。

 

 そうだ、帰ってすぐ詩に書いたんだ・・・、

 

 今のPCのメモリーには入ってないので、その前の meの頃?

 過去の詩作品を探してみたらば、コピーか何かして写したのが

出てきた。それが上記の詩作品。

 なぜか、詩作にも日付のメモが無い! 

 

熊野古道に“海”なんかあったっけ・・・? 

どうも確信がないので、ネットで調べてみたら、松本峠から

海に下りられるようなので、たぶんその辺りを歩いたのだ・・・。

 

 奇岩がならぶ海際の砂浜、足場の悪い岩に登り伝い歩いた・・・、

荒波が岩に砕け散るのを感嘆しながら眺めてきた・・・、

かなり 印象に残るロングトレイルの旅であった。

 

 記録メモが空白であるのは、そのまま“精神の軌跡” でもある。

そんな “空白” が ときどき、わたしの人生にある。

それについては、機会があればまたいつか。

 

 

 

 

 

      ジュージュー焼いてお召し上がりを

 

 今週初め、ホームの母に会いに行き、帰りに姉の絵の「個展」へ。

 その辺り、繁華街や地下街はかって長きに渡り勤務に通勤した 

馴染みのエリアだ。そのハズなのに、久し振りに地下街に出たら、

あまりの人混みでマゴついてしまった。“浦島花子サン”状況だ。

   

 ここに来ると、大抵決まったお店に寄る。

 地下街の上はオフイス街なので、一人でも寄れる小さな店が

並ぶ一角がある。

お店自体は寿司屋が弁当店に、パスタの店が牛丼店に替って

いたりするが、基本的に場所は変わらない。昔、同僚たちと

パスタのランチに寄った店あたり、今もいろんな食べ物の店が

ならぶ。  

そのうちの一軒、もう夕刻に近い時間だが、まだお昼を

済ませていないので、お肉とハンバーグ両方が熱々の鉄板に

乗っかったハーフ版で。

 

 

ジュージュー、音をたて湯気?ケムリ?が立つ鉄板が来ました!!

これを自分でひっくり返したりして焼きながら頂くんです!

 

わっ!  熱っ!

美味しそう!!

 

カウンター席なので、ライスがガラケーに写らない、

右手に 小ライスです!

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いっただきまぁ~す!!

 

 

 

 

 

 


前回12・6記の 洋菓子&和菓子

 

 シュトーレンとかりんとう饅頭、また買ってきました!

 

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 多めに買ってきたシュトーレンは娘たちにも好評。

甘い物苦手な三歳女児もいつのまにか手を出してきて一つ

平らげた・・・。

 

 来客への お も て な し  にもぴったし。

      上記の語 自分で使っといて言うのもなんだけど、

近頃、使い過ぎて馴れ過ぎて、この語の本来の“ゆかしさ”

が薄れてきてる・・・ような?!

 

 

 

    

     トレイルトレッキング(長い散歩)

 

 十一月中旬~頃 NHK放映   趣味・歩く旅

   熊野古道 那智から本宮へ

 

というのをビデオで撮っておいて後日に見た。

 

数年前に長女と二人で歩いて来たところなので随所、思い

出され懐かしかった。苔むした石畳みの段を喘ぎながら登り、

茶屋では座り込んで汗を拭いた・・・。

  

 交通手段と宿だけ手配してもらい、古道に関しては、ろくに

下調べもせず、地図も持たず・・・、よくまぁ、行ったもんだ

・・・、と今にして思う。

 

 熊野古道は“長い散歩”のレベルではない、かなりキツく

しんどい行程である。 

わたしたち母娘は最後に那智に着いて、豪快・神秘な
(震災以前の)滝を眺めているので、今回放映の古道の
コース
とは逆であったようだ。

 

テレビでは、宍戸開さんと皆藤愛子さんのお二人が案内人

であるシェルパ斎藤さんに先導されて歩きつづけテント泊り、

という本格的コース。

 

 前半と後半、斎藤さんの名を聞いても別段特に何も感じず

見ていたのだが、最後に宍戸さんが、シェルパ斎藤さんに

質問して、斎藤さんが答えた、 

 ―以前、犬と一緒に歩いていた、

―犬の名前はニホ、・・・

 


  ・・・えっ!  ニホ?!

一歩  ニホ  三歩 の ニホちゃんだぁ~!?

 

 思い出した! “歩く旅”案内人を務めた斎藤さん、

斎藤政喜氏・往年のバックパッカーであり、紀行作家であり、

「犬連れバックパッカー」など著書も多数書いておられる。

 テレビでも最初にその説明はあったかもしれない。

なにしろわたしは半分ぼぉ~、と見ているので・・・、

最後まで気が付かずにいた。

 

 

 「シェルパ斎藤と愛犬ニホの行きあたりばっ旅」小学館

以下 抜粋する。

 

 -それにしても不憫な犬だ。生まれてからまだ一度も人から

愛されたことがなく虐待されていたなんて・・・。

 これからは自由にのびのびと育ててあげる。そして愛される

ということがどんなことなのか、ぼくが教えてやろう。

 

 -いつもひとり旅だとぼくのアンテナには周囲の雑言な情報

が飛びこんでくるのに、今のぼくはニホを中心に風景が展開

していた。ニホがいれば周囲の環境なんてどうでもいい。

ニホの姿、仕種を眺めているだけで、ぼくの心は満足していた。

 

 -ベビーカーに乗ったニホは、腰を丸めて寛ぎ、前足を

ベビーカーの枠に載せて周囲の景色を眺めていた。ぼくが下を

向くと、ニホも顔をあげてお互いの目が合う。これだけのこと

でも、なんだか幸せな気持ちになれる。

 

 

  ***ニホちゃんは、斎藤さんみたいな優しいひとに

引き取られ、あちこち旅のお供をして・・・、

以後はじゅうぶんハッピー!だったと思う。

 

 ニホちゃんとの旅の記を思い出しながら、テレビ画面の

斎藤シェルパを眺めると、・・・なるほど、優しさが皺ととも

に滲んだお顔に見えた。

 

 

      

     

          不滅の哲学

 

 もう一人の書きたかった作家は、池田晶子氏。     

最近の新聞紹介の項で、 -四十六歳の若さで没した哲学者。

とあって驚いた。

 亡くなられたことを知らずにいた。

 

 

 

「死と生きる 獄中哲学対話」 池田晶子 陸田真志

 

 陸田は大学中退、フリーター、度米、風俗店、という経歴の末、

最後は人を殺める事件を起こし、極刑の判決を受ける。

 

 

 以下、池田晶子氏の文を抜粋

 

 -その彼が判決を前にして、私に「お礼」が言いたいという。

逮捕され、拘禁されて、初めて罪の重さに気がついた。罪の重さ

に苦しみ、罰の重さに怯え、悩みに悩んでいたとき、私の著書に

出会った。

―現代ふうにアレンジして書いたかの死刑囚ソクラテス

の対話篇「さよならソクラテス」である。彼はそこに書かれて

ある言葉を読み、「何かがわかった」。

 続けて、原典「ソクラテスの弁明」を読み、「はっきりとわかった」。

 

 「ただ生きることではなく、善く生きることなのだ」

 だから判決が死刑であっても控訴せず、このまま善く生きること

で死んでゆけると書いてある。

 これに対し、私は異を唱えたのである。もしも本当に善く生きる

気があるのであれば、自分が知り得た真理と幸福を、他人に知らし

めるべきではないだろうか。したがって、「控訴せよ」。

 

 

***こうして行きがかりとはいえ、易しくはない池田氏の

罪と罰・往復書簡はつづけられたのである。

 

 そして哲学家・池田氏は 

―人を殺しておいて、そのうえ、かっこよく死んでやろうー

という陸田にたいして、 甘えるな。  と一喝されてもいる。

 

 小気味よく、“しなやかな感性や細やかな感情”をもった作家

でもあったのだ。

 

       ***新聞紹介記事 

「池田明子不滅の哲学」若松英輔著 トランスビュー

 

 

  ***なぜか、熊野古道を歩いたときの旅の記録メモをして

いない。が、帰ったあと書いた詩の作品がかろうじて紙上に

残っている。

次回に その作品を。

 


電車が川を渡る

 

川の上の高架線を電車が走っていく

 ゴトゴトゴトゴト、ゴトン・・・・

 

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20131204川の上ゴトゴト


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 えつ、電車が小さすぎてよく見えない・・・って?!

むべなるかな。 けど、走る電車をガラケーでガラウーマが撮る

写真ではこれ、限界です。 

*ガラウーマ;ガラパゴス婦人(ウーマン)の略・わたしの

ことです。

 

 それにこれ以上、近付いたらば、川にザブン!!

  

        

   
    

       山へ落ち葉を拾いに

 20131129峠道

 なるべく散ったばかりのモミジ、まだ奇麗な赤い葉っぱを

拾い集める、大袋二つ両手にぶらさげて。

 

 それ、どうするのか、って?!

 庭に撒きます! 花や野菜の毛布?!代わり・・・に根元に

敷き詰めてやる、防寒対策なんです。毎年今頃の冬支度。

 

 野菜たちには、さらに織布を被せてやります。

 でないと、氷点下になって霜が降りるとサニーレタスやサンチュ

などの葉っぱ類はいちどに萎れてしまう、防寒してやると、寒い冬

も何とかもってくれる。

 

20131205093202.jpg 花壇というほどの花壇では
ないけど・・・東側にも青系のビオラを植えてあります


 今は冬支度や大掃除に追われてます。

 忙しすぎて時間が足りないときは、“ごはん”を省略する。

昼食を食べてるヒマがない・・・、

夕飯は基本的にお米や麺類は食べないので、野菜にミニ豆腐を

足して冬場は小鍋にする。毎日毎日野菜とミニ豆腐・・・で、

飽きませんか・・・って?!  飽きます!!

 

時間があれば、きんぴらやひじきなどの常備菜も作る。

お肉も焼いたりする。

ここ数日お昼抜きが続いてて体重も41㌔に落ちてきた・・、
たまにはお肉も食べないとね、体力が持たない!

 

 

 

   

 

クリスマス用?のパン

 

 NHKのドラマ 「真夜中のパン屋さん」滝沢くん主演の。

今週見てたら、ドイツのシュトーレン? というパンが出てきた。

 ドライフルーツを混ぜこんで焼き、カリッとした皮に白い粉が

いっぱいにまぶしてある・・・、 あぁ、美味しそう!!

パンに目のないわたしめは目を点にして、見てた。

 

 翌日、スーパー内のパン屋さんに、“シュトーレン”が並べて

あった!  やったぁ!!笑

スライス数個ぶんの入った袋とスライス一枚ずつ包んであるのと

二通り。 まずは一切れのほうを買ってくる、98円。

 

 夕飯あとのコーヒーと一緒に頂きました。皮は香ばしくて、パン

は、そうですね、少し甘めでわたし的には、パンというよりはお菓子

の部類に入るかな?  コーヒーのお供に最適です。

 朝食用に、好みのパンはドイツ?の“田舎パン”、お店によっては

“百姓パン”という名になってる。カンパーニュ、というのも好みです。

 

 せんだって、白鳥庭園に出掛けたときのレストランのビッフェ用に、

茶色の小さな丸いものが置いてあった、ちょうど栗くらいの大きさで

焼き栗?と思いながらお皿に乗っけてきて、あとで食べてみたらば、

栗じゃなくて和菓子だった。皮がカリカリで、初味で、

うん、なかなか美味しかった。

シュトーレンを見付けたスーパーの和菓子売り場で、その茶色の

似たのが並んでいた。見ると、かりんとう饅頭・・って表示。

ナルホド、かりんとう・・・だったんだ 笑。一つゲット!!

 

 

 

書きたいことがありすぎて

 

とにかく時間が足りない。

 それなりに資料も調べてから書きたいし、資料といっても、

自分の読書ノートを調べる程度なのだが・・・、

 読書ノートは丸善で買ってくる分厚な三百頁の大学ノートで、

それが現在十冊ある。本を読んだあと自分で書いたものだが、

作家の名の記憶があっても、どのノートに書いたのか分からない。

せめて年代がざっとでも分かればいいが、そうでないと十冊・

三百ページをぱらぱら繰っていかないといけない。

 

埒がああかない、時間がかかり過ぎて。

 

 ある作家についてノートを繰って調べていたら、偶然にも

もう一人知りたい作家のページが同じノートに出てきた。

ラッキー!!

 

 次回につづく。