ミニ・雑木林

 季節の変わり目には家の内外、メンテナンスを
するようこころがけている。

 暑くならないうちに外作業から。
デコ園の野菜を支柱にヒモでしばり、
胡瓜とゴーヤに高い支柱を何本か立て網を
広げて縛る。

狭いので作業は難航する。

 せめてゾウのおデコじゃなくて背中、
くらいの広さがあったらなぁ~。。。 けど、
暑さの夏は毎年バテてノビて“干物”になって
動けなくなるんだし、
じぶんが食べるだけあればいい・・・か!

 ぐちぐち呟きながら、次は庭木の剪定。

 フェンス沿いの木。名も知らない、(雑木林で
見つけた大木のひこばえを採ってきて植えたもの
やら、植えた覚えもない、いつのまにか芽が出て
育ってきた“ひとりばえ”やら) 
 そんな木たちを、“わたしの背丈まで”の高さと
決め、伸びた枝や葉はどんどん取って刈ってゆく。

 この庭は、百年も放置しといたらミニ雑木林。。。
になるゾ!($・・)/~~~

 切った枝をまとめてヒモでくくって、その束が
毎回7,8束になる。回収集積場まで数回往復して
それでやっと落着。いやいや門の脇のシンボルツリー・
シマトネリコ(この辺りの木は背丈までというわけには
いかないので)が枝を広げておる。。。はぁ~わたしゃ、
くたびれもうした、これはいつか、に回す。



  目下のデコ園
花よりダンゴ(野菜)!

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         プチ・ダンシャリ

  五月・先だってのソロモン流では、賢人・片付け術
のプロ、安東英子さんが出演された。五人のこども
を育てた肝っ玉かあちゃん・・であるとか。

 以前に見た「人生がときめく片付けの魔法」
とかの若きこんまりさんの片付け順は

 衣類―本―書類―小物―思い出の品
というものだった。

 安東さんの順位はまず 外の倉庫・物入れの
点検から。
 ずっと使ってない不要なものを出す、処分し、
空きスペースを作る。室内の押入れや物入れの
中味を全部出し、あまり使わない物を外の収納に
移す。

 ・・・という具合に。

 わたしめ、過去にこんまりさんの言われるように
衣類から着手し、挫折・中断の憂き目にあっている。

 わたしにとって、衣類は難攻不落・・の城なんである。
服たちを捨てるということは自分を捨てる・・に等しい、
 
 はぁ~、ちとオーバーですかね。。。

 多少値の張ったスーツ類やパーティ用(もう多分、
着ないと思うけど・・捨てない!)
はクローゼットに収まっているし。 近年あまり
着なくなっている通勤着は、収納バッグに季節ごと
に分けて、古い物は保留中とメモして、
これは順に片(かた)していくつもり。

 外倉庫も段階的に片付けており、何が入っているか
分かるようにしてある。

  季節ごとにすることは室内の物入れ、押入れの棚
の紙類(詩や文のための関心メモやら切り抜きなどが
なんだかんだ仕舞ってある)。 
 
 それとシンク下の点検、整頓(日付の古い保存品
は使うなり食べるなり)につきる。


 終の住処に移った折りに目ぼしい家具は殆ど処分
したし中味も衣類も(その時点で)、片っ端から捨てに
捨ててきた。  けど、高峰秀子さんみたいに茶碗二つ
お皿二つ・・・というには程遠い。

 
 我が家はメーターモジュールの造りになっている。

*ちなみに
 メーターモジュール・・1m
 尺モジュール・・910mm
 メーター=1,2倍  
 押入れ=1,34倍 6畳=1,2倍の7,2畳
 廊下巾=尺78㎝・メーター90㎝+UP


 押入れや物入れには、奥に重ならないように
平面的に収めるように気を付けてはいる。 


 


     それぞれのダンシャリ
 
 以下はあくまで私見です、

 こんまりさんの片付け法はどっちかというと、
独身や若い人向けではないだろうか、
 働きながら子育てするシングルマザーなどに
とって、まして、散らかり放題、ゴミやモノに
まみれて暮らす人に、人生トキメく片付け法・・・
て言われても、ピンとこないんではなかろうか、
ホンネ、トキメく・・どころじゃない?

 その点、物入れや押入れから取り掛かりスペースを
空けていくのは取っ付きやすい(と思える)。

 

***
 …そして、各広めは有り難いんですけど、
お風呂が広くて寒すぎる。

 血圧は100以下で低めなのに、銭湯や温泉に
入ると、すぐノボセて気を失いそうになるので
ゼッタイ、入り口、ドアに近い所に陣取る・・・
というわたしめが、自分ちのお風呂では寒くて寒くて
いつも震えてる・・(笑)

 あ、メーターモジュール仕様というだけで、
家そのものが広いわけでは全くありません。
こじんまり、ちいさなもんです。
 
・・・えぇと~、なんの話だったっけ?
そうだ、ダンシャリ!
 ただ今、片付け最中であります!
 


  水流れ
      月日流れて
             山笑ふ

 2014・5月の山

  
   意味ある偶然の重なり・・
 
身辺に起きるあんなことこんなこと、
些細なことだけれど、何か不可思議な“縁”
のようなものを感じる事柄、
 を、アトランダムに挙げてみる(試み)。


 *山本潤子さん
最近のブログ記事5.16 昭和の時代
「ノスタルジック・竹田の子守歌」の項で、
たまたま山本潤子さんのことを書いた。
 翌十七日の新聞で、
―山本潤子さん・歌手活動無期限休止―
こんな記事が出た。
 
 
  
 *パソコン遠隔操作事件
 部外者の素人目には、その目的も理由も定か
ではないような珍妙な事件だ。

 片山被告が自分が犯人と認めた。
識者によれば「自己顕示欲が強い」
ということだったが、
素人判断では、技術(パソコン)過信ではないか、
カンタンにコトが進んでいって、止められない・・・
 
 のちに、母親から
「真犯人だったとしても受け入れる」
と言われたという。

 子を思わぬ親はいない・・・

たとえ、罪を犯したにせよ、子であることに
変わりはない、

 まず大方の親の心理だと思う。


 そこで唐突に思い出したことがある。
 何年か前の「少年A事件」

 かなり衝撃的な事件で、のちに母親の手記
[「少年A」この子を生んで]
を読んだ。

 読んでいるうち、妙な違和感があって、
何だろう・・、この母親、の気持ち、言い分、
タガがハズれてる、ネジがユルんでる、
何処か 肝心さがズレてる。
・・・随所、歯がゆい思いが残ったものだ。

 このような場合、親の対応は様々だ。
いろんな母親は居るのだし、ここでくだんの
事件の母親たちのことを評するつもりはない。

  
かなり古い話だし、それをブログに書くのも・・
と、躊躇っていて、
やはり書かないでおこう・・・、

 そう思った矢先、
  5.24朝刊、
「神戸連続児童殺傷 遺族が手記」 の記事が出た。

 小六の少年が殺害されて二十四日で十七年となる由。
父親が「**が居なくなった日のことは今でも鮮明に
記憶している」とする手記を公表。
(当たり前だけど親や関連者にとって“古い”“昔”は
ないのだ)
 


 *上記 アトランダムに書いているのだが、
すべからく、“偶然の重なり”について書いている。

 他人から見たら、些細な、ただの偶然。。。
に過ぎないことでも当人にとっては えっ!! 
というような ”意味のある偶然“ 
“同時共時性”の出来事である。


 過去にはこんなこともあった。

*山尾三省氏(1938~2001)
のナチュラル思考な詩や文が好きで、よく読んだ。
 最初に読んだ、「縄文杉の木陰にて」「聖老人」

屋久島にある「縄文杉」・・・
樹歴7200年という途方もない、見たこともない、
おそらく見ることも叶わない、老大木が
わたしの心にインプットされた。

 縄文杉・・どんなふうなんだろう!?

 翌日か翌々日、
新聞の第一面、左側に大きく、 

「縄文杉」の写真が載った。

 なんの前触れもなく、いきなり、だ。



 また別のことでは
 
*旧友・パク(愛称)ちゃん 
 青春時代、仲がよかったパクちゃん、
離れてからも、しばらくは年賀状の往来はしていた
が双方の引っ越しが重なり、いつしか途絶えていた。

 年賀を書く時期が近付き、ふと、
パクちゃんどうしてるだろう・・・ 
思い出すともなく浮かんだ。

 その日だったか、翌日だったか、
通勤帰りの地下鉄で、彼女とぱったり出遭った。
夕刻のラッシュ時、彼女の住まいからは離れた
沿線で、数両もつづく車両の、同じ昇降口付近で。

 数十年ぶりの再会だった。
わたしの下車する駅でいったん降りてくれて、
慌ただしくも互いの近況を確かめあい、住所も
交わしあった。

 再び、年賀状の往来が再開されて、一年、二年目。
彼女のご主人から

「・・・パクは亡くなりました」と返事がきた。
昔、泊まりに行ったこともあり、ご主人とも旧知である。

 大恋愛の末、結ばれた二人である。
主人の慟哭の沁み込んだ返信を読んで、わたしの心も
時間が止まってしまった。



 ***こんなちいさな偶然、当人にとっては必要な偶然。
 誰しもあるとおもうのだけど、ちょっとブログ記に書いて
みた。


 散策路で出遭った薔薇
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   夕暮れどきの散歩

 この頃の季節になると、早歩きがしんどくなり、
スローテンポのゆったり歩行になる。
 
 ちょうどそんな時期に“デジカメ入門”したので、
カメラを入れた茶巾袋(通称名・巾着のことです)
を斜め掛けにして、夕暮れ前に出掛ける。

 橋を渡ると隣市で、そこから山の手に向かい進んで
行く。横の草の原に入り込んだり、遠回りしたり、
道草くいながら、心地よい風に吹かれつつ。

 やがて、こんもりと森が見えてくる。古墳群である。
 
 最近、「歴史の里」として整備しされつつあり、
先回来た時よりいくらか様変わりしているようだ。
 
 
 市内の端っこのこの辺り、以前は草の原の荒れ地か
雑木林だったと思う。近年開拓され住宅が建ちはじめ、
新しいタウンとしての様相になりつつある。


 大久手池、かなりの広さである。
 これだけの水量の上を吹いてくのだから、
風は爽やかで、まことに心地良い散策路である。

 *この辺り 市内です。
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大久手池古墳群 



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    デジカメ入門・事始め。。

 今頃 なに?! 遅っ!

 って言われそうなんですが、これまでは古カメラ
もあったし、さして不便もなく過ごしてきたんです。

 機器オンチだし、スマホもデジカメにも左程 関心
もなく・・、おそらく無理でしょ?!
 という感じで。

 ブログも当初は写真もなく、文だけで進めてきた。
他のブログを拝見するようになって、殆どが写真入り
だって分かった(笑)

 で、古携帯・ガラケーで撮り、メールで移し
ブログに取り込むように(進化)した。

 
 ここにきて、ナンデ、デジカメ購入になったのか、
理由(わけ)がある。



 

    どお~ん!と請求がきたぁ

 本年二月頃より、携帯費用がじわじわ・・・と、
わが家のトボしい家計を登りはじめてきた。
 ブログ用の写真メールのせいだわ~、とは感じて
いた。
 以前、チビの踊る様子の動画をほんのちょびっと
使用したところ、どお~ん、と請求がきて、ドン!! 
ショックを受けた月がある。
 以降、動画は控えてきた。

 そして、ナンと先月分 携帯費用がこれまでの
10倍以上・・・
0の数が一個多い・・・キャッ、 ワオ~、 
叫んだ、顔がムンクになった!

 で、携帯請求代で買えるくらいのシンプルな 
デジカメを購入いたしました。 はぁ~、($・・)/~~~




亡夫の愛用品カメラ  
横のオリンパスペンが 機器オンチの妻用
 今ではどちらも使われることなく、しずかに
役目を了えて休息中です


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2014520デコ園
2014520園2
2014520初苺
2014520苺 

初デジカメ撮影 祝💻接続! 

はぁ~、しんど!!(^_-)-☆

デコ園に夏野菜を植えました

苺・初摘み
小さな可愛らしいイチゴ、うふっ! (^^♪

はぁ~、デジカメデビュー戦 上手くは出来なかった
けど これから ぼつぼつ・・・でっす!!

   “受容”という段階まで

 他の方のブログを拝見して、触発!?される
ことが度々の昨今。

 
 絶大なる拍手数(・・・に毎回、目が点?!になる)
をかもし出すスピリチュアルなブログ。

 “究極の選択の後悔”が取り上げられていた。
出ましたね!(・・・と感じた)

 キュープラー・ロス、の本は以前読んでいる。
    *精神科医 

 受容のプロセス・何段階かに分けて、人は(困難極まる
運命(さだめ))をも受け入れていくのだと。



 かって、心理学・哲学・死生学・
(必然として)宗教学 の書を読みあさった。
 読んだ内容の心に残る個所をノートに書き写してもいる。
     100頁
 丸善の300頁の分厚な大学ノートが、(大昔のは
やむなく処分して)十数冊ある。
 キュープラー・ロス女史のそれもどのノートに在る
のか、探すのにエネルギーを要する。
なにしろ、書き写したシャーペンの字も薄れ、判読
出来ないくらいの早書きだし。
ナンバーと共に年代は記してあるのだが。
 
 それでふと思い出したのが、―老婆に変装して巷に
出没した(周りの対応・反応をみる試み)
―という、それがキュープラー・ロスだったか他の
女優さんだったか・・・

 思い出せない。記憶がごっちゃになってる?!

 
 このブログでは、シンクロニシティに関しても
記しておられる。

 必然の偶然という、
ユング説くところの 同時性共時性
偶然の一致 。必要な偶然であるということetc・・・




 わたしも時に体験する。大層な事柄ではない
のだが、小さな偶然が次なる偶然を呼ぶと
いうような。
 *上記に関してはいつか機会があればまた。。。



      

         
     ノスタルジックな時代   

 また、ある方のブログ記事では、

 “昭和の時代” の
写真が載せられていて、これは年代的にも重なる
部分が多くて何やらノスタルジー?!な気分に・・・。

 わたしは戦後生まれながら、紙芝居も
木の盥での行水も体験している最後の世代?!
(・・ではないだろうか)

 紙芝居は自転車をひいたおじさんが、回ってきて、
白い飴の材料を棒か箸の先に取り、器用に動かして、
キツネとかウサギとかの形にして色も付けて、売る。
飴を買った子だけが紙芝居が見られる。

 飴が買えない子は後ろのほうか塀の角に隠れるよう
にして見たりした。
 そんな記憶。

 

 すこぶる物持ちの良いわたしの家には、こんな物たち
が今も現役で活躍中なんです!


 簡易プレーヤーとレコード盤 (他にもまだ多数有り)
幼い頃の娘たちに、聴かせたものです。
33と45 切り替えになってます。

幼き子に聴かせながらもっとも寝つきの良かった?
「夕焼け小焼け」の盤に傷が付いて途中で同じとこを
グルグル・・・、
慌てて手動で動かしたりもした(笑)


 それらが今、娘の子(マゴたち)に役立ってます。

 おとなしかった娘たちと違って、マゴどもはかなり
ヤンチャで乱暴でもあるので、プレーヤーやレコード盤
を使う時は気を遣います(笑) 

 針の代わりはないので、
触りたがるのをバーバはけん制?!したりして。

 子育て中に唯一じぶんのために買ったのが
“赤い鳥”「竹田の子守歌」B面が「翼をください」
山本潤子さんの染み入るような透き通った声。
 子どもたちにも聴かせながら、じぶんも耳を傾けて
きたのだった。

 赤いのが多分、ソノシート。


 他にも娘たちが使った木の三角や四角の積木や
ひらがなと絵の付いた積木などが現役中です!

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 ノスタルジックついでというか、以前、こんな文を
書いたのを思い出した。以下に。

    

      いざ 生きめやも

 姉が書いた文のなかにこんな個所がある。
「ヒャラーリ、ヒャラリコ・・・ 映画「笛吹童子」
の哀調を帯びた主題歌が○○年の遥かなときを超えて
鮮やかに蘇ってくる・・・」

 
 え~っ!  ○○年? そんなに昔だっけ?
これについては、私にもちょっと思い出が残っている。
と、そんなことをあれこれ考えていたら、また
「笛吹童子」に出遭った。田辺聖子さんのエッセイ
のなかで。

 「白髪のおっさんが子どものときの映画を
なつかしそうに話しとんねん、それが「笛吹童子」
に「紅孔雀」や。
「紅孔雀」いうたら、この間のこっちゃないかいな。
ついこの間コドモらが騒いでたなあという感じや。
それがそのコドモら自体がもう白髪になっとんねん。
憮然とするデ。何が「笛吹童子」や。

 

 つまりは「アッという間にトシがいく」という
感慨である。
 
 

 偶然にも笛吹童子が二つも目に飛び込んできて、
私も思い出さずにはいられなくなった。
話は姉の「笛吹童子」に戻る。

 実はこの映画に、妹の私も連れられて見に行って
いるのだ。お姫さま役のの女優さんのナンテ、キレイ
なひとだろう、幼いなりに発見もあったのだけれど、
何と言ってもチャンチャンバラ、斬ったり斬られたり、
オドロオドロしくて怖ろしい映画だった。
 戦の場面になると見ていられなくなって、座席の下に
もぐり耳をふさいでいた。

 ようやく終わって、あぁ、やっとこれで家へ帰れる!
胸を撫でおろしていると、姉と友人たちは、
私の手に十円玉を握らせ、言ったのだ。
 「ネ、もう一回、見るからネ、イイ子だからネ!」

 泣きそうになって、また座席の下にもぐった。
手に十円玉をしっかり握りしめて。


 作家のお聖さん宅の、年配諸氏は
「何やら生きぬくうて」
「このごろ、鎧が重とう感じられましてな」
と述懐しつつ、何とはないその夜の結論、

「いざ 生きめやも  鎧の重くなりぬとも」

 ということになったのだそうな。


2014.05.15 ヘンな偏頭痛
  
   偏頭痛


頭蓋のうしろあたりから
海鳴りがきこえたり
さざ波たって
身体中が揺れたりする
昼も夜も水浸しだ
僅かに朝の凪だけ
砂地が乾くときがあって
貝がらを耳にあてて あそぶこともある


満ちてくるときは
項を垂れて 地をみつめ
牽くときは のけぞるように
空をふり仰ぐ
あらしのときは大波に攫われ 溺れそうだ


ときどき
小舟で沖へ出たきりになるので
他人(ひと)は こんなふうに言う

  変わったひとね
  だいじょうぶ?   あたま?

 
   母の日限定品とは?!

 こどもたちには昔から、
―贈り物にしても何にしても、“モノ”は
要らないからね―
と言ってある。



 1日早く、10日・土曜日に娘たちが訪ねて
きてくれた。日曜はそれぞれ予定の先に遊びに
行くようで。
ちょっとでも母の(^_-)-☆(^^♪を
見にきてくれる心遣いを受けましょう・・・


 モノは要らない代わりに、
*ショートケーキ
*美味しい☕の粉
*フランスパン&ドイツパン
 
 この3つのうち、どれか1つでいいよ・・・!笑
 


 この日は、公園の砂場遊びが大好きな下の
チビちゃんに引っ張られて、次女がままごと遊び
のお相手!! ☺

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 町の端っこにある公園周り 深い緑の樹々 
 この後ろは川に山  川向こうは
 3つの市が隣接する境界地点の場処です

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     今頃の渡り鳥?!

 朝方、川の上を雁の群れが渡っていく。
何処から何処へ向かっていくのか、習性に詳しく
ないので分からないんですけど。

 ちょうど、川の浅瀬であり、中洲もあるあたり、 
鳥の群れが サァ~~~、パサパサパサ~~~、
いっせいに舞い降りてくる。

 羽根を休めたり水浴びしたり、くちばし突っ込んだり、
水面を ツ、ツ、ツツ~~~、パシャパシャパシャ、
カッコよく滑っていったりする。

 羽根を広げると、白と黒のツートンカラーなのも
混じっている、どんな種の雁なんだろう??
 見ていて飽きない。

 ・・・のだけど、一向に家事が進みませ~~ん"(-""-)"



   
 ガラケーの写真では雁たちがゴマ粒か黒点かゴミ・・
にしか映らなくてとても残念! 
びっしり並んでいるんですよ!

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    実寸大・ゾウのデコ園

 数日寝込んだり、雨が続いたりして、
庭へ出るのを怠ったりすると、 我が家の
超・狭っ!庭は、草じゃんぐると化す。

 
 ほんとなら、もうすでに夏野菜を植えないと
いけないのだが、イッタイ、この草じゃんぐる
のどこを耕せばいいんでしょう??

 僅かに大根やキャベツを収穫した隙間が
あるくらいで。
そこを小さなスコップと小型の鍬(みたいな)
で掘り返してはみたけど、
 あとがつづきませ~~ん(*^^*)
 
 体力がとみに落ちている。

 数年前までは、狭い場所で大きく重い鍬や
スコップ振りあげて掘り返していた。連作が
きかないので、
土を大方ごっそり入れ替えるのだ。
 

 これが結構大変!!


 

 足腰痛んで朝、起きられなくなったら、
たちまち自分が困るのは目に見えてる・・ので、
近年は自粛している。
 土仕事も、はかどりませ~~ん。

 で、本日夕刻、チビたちが帰って、倉庫に三輪車
など仕舞うついでに、奥からスコップを出しといた。
(鍬はやめた)
 明日、朝、体調が芳しければ、スコップ使ってみよう
・・かナ、やめる・・かナ。

               *10日・記
2014.05.07 皐・欅
   皐・欅


所属せず
群れず
の姿勢で
いきてきた


避けたのか逃げたのか
よかったのかどうか

( わからない )


    *

― 選びようのない人生 だった ―
かって 詩の席で 
ぽろりと零したことば 

ふだん 閑かで穏当な師は
 - それは どうかな -
首をかしげられた


いつもダンディだった師
いくぶん 老い病んで
体のあちこち管につながれ
ことば無く
表情とぼしく
日がな
ベッドに伏されている 
のを
目にしたとき
( 涙がとまらず )



敬愛する詩人が ひとりふたり
逝ってしまわれた 
( 訣れのあいさつもしておらず )


あれもそれも
人生
と いうならば
異論は ない


   *

皐のそらに
欅の大木が立つ
枯れた枝木が伸びていただけの 
樹にいつのまにか
緑の葉が
たくさんたくさん
こんもり繁っている


葉を 落とし
葉が 繁り
落ちて繁って
幾年 くりかえされただろう
それを 
見るひと 去るひと


ことしも
みどり
の 五月がやってきた



2014.05.04 糠漬けの味
 糠漬けの味


     召しませ・糠漬けを

 新緑・爽やか五月、・・・の時期に“糠漬け”の話題とは
冴えておりませんが・・・。


 庭の大根が残っていて、順序よく採れればいいのだが、
葉っぱが伸びて花が咲きだして、多分大根にもすが入って
くるようだし、数本、最後の収穫をして。。。

 毎朝刻んで大根サラダにして、それでも残ってしまう。
で、糠漬け・再現することにした。


 大昔?!には糠漬け、作っていた。
子育てやなんだかんだ・・の理由でやめて、それ以来手がけて
いない。

 容器もあるし、農協さんで糠漬けの元を買ってきて、
イザ・トライ!


 な~んにも難しいことはない。
ただ、ただ・・・、漬けた野菜を取り出して、なんせ独り
ゆえ、食べる量も知れている。残ったものをタッパーに
しまって、冷蔵庫に入れる。。。

 
 冷蔵庫を開けると、ぶぅわ~~!! ;:p@@;k*!!
匂う! のだ。。。

 自身の五感のうち、殆どがアタマも含め、とみに衰えて
しまっているのに、何故か、嗅覚だけは冴えて冴え渡っている。

 ゆえにこの匂いに悩む。今にギブアップ、脳震盪起こすん。。。
ではないか!?   はぁ~、 ”(-“”-)”

 漬物挑戦・ギブアップするとしたら、それが理由になる(笑)。

 
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     五月の“ホーム”



 玄関に飾られている武者人形

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 母は元気!“眠り”の習慣は今は多少治まっているようだし。

 入居者さんが相次いで亡くなっており、“ホーム”の新旧
入れ替わりは続いているようだ。

 母の座るテーブルには、少し前から母より二十歳近く若い
七十代の女性が一緒に座るようになった。
それまでは、母ひとりポツン、と座っていることが多かった
のだが、以来、その方と噛み合わないながら、会話も増え、
母も幾分楽し気な様子だった。

 最近、その女性を見掛けなくなり、案じていたが、
この五月、再びテーブルに座られるようになった。

 けど顔色もすぐれず、何より、表情が乏しくなって、
殆ど喋ることもない・・。この方に何が起こったのか、
プライベートなことは関知しないようにしているので不明
だが、まだそれ程老ける年齢ではないのに、と残念ではある。





    ゴールデンウイークは十一連休

 次女夫婦の勤務する家電メーカーでは、超・大型連休
になっていて、二人は兵庫は加古川・おムコさんの実家
に帰省になった。

 三匹のワンちゃんたちが居て、娘はいつも写真を撮って
送ってくれる。

 あと一匹、コーギーが写っていないよ、どっか隠れてる?

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 生きた“跡”を編む

     つねならむ う

 逝ったひとが最期に見た線路沿いの桜が今年も
見事に咲きそして散っていった。
 
 病院から駅までの小道はたちまち葉桜の緑陰となり
通勤や買物の人たちが何事もなく行き交う。
 世間は何も変わってないようで変わっていく。


       ☆ 
 当時、夫の病変が見付かった前後、悪夢のなかに
いるみたいに現実感が乏しかった。
 泣くことも忘れ、術後の急変時にも泣かなかった。
逝って葬儀のときも泣かなかった。身体のどこか

 ひとつぶん空いたままでそこには空も雲も映らない、

 おそらく雨も、風も。



 その後しばらくは事後処理に追われ、片付けや、
古びた家のあちこちも傷んで、台風後の処理にも
と、あれこれ心砕いた。
 それらが一段落すると、ストン、と何かが落ちた
・・・、急速に寂寞が襲ってきた。

 出口のないらせん階段を昇り降りするみたいな
心もとなさ。


  
    

       なにが残ったの?!

 夫逝き、数か月ののち、朝の通勤電車のなか、
天井からぶら下がっている吊り広告が目に付いた。

 写真家の星野道夫さんの写真遺作集の広告だった。

 夫が逝って、何が遺されただろう・・・、

 仕事柄、写真はたくさん撮って、アルバムに残されて
いる。自分はあまり写っておらず、家族や職場の友人たち
ばかり・・・。

 他には野球のバットにグローブ。
無論、妻のようにあれこれ書く習慣など全く無く、
自身の思い出の記録も何もない。

 有名な人には亡くなった後にもこうして遺作集が
遺されるのに、夫には何も・・・。



 
 
 ・・・そうだ!  わたしが作ればいいんだわ・・!!




   
        特集号
 
 数年休んだままでいた個人詩誌。
夫の追悼・特集にして作ろう・・・!!

 思い付いたまではいいが、予想以上に大変な辛い作業
で遅々として進まず。
 何度も心折れそうになりながら、・・これがわたしの
“仕事”。わたしに出来るのは“書く”ことしかない・・!!
 と言い聞かせ、踏ん張った。

 完成するまで数か月も要し、季節も夏に近付いていた。
 夫の誕生日は七月。それに間に合わせよう・・・。

 さいわい、編集仕事・印刷など、夫の元同僚諸氏の
応援の快諾を頂き、ともども産みの苦しみの果てに、
どうにか制作成った。

 夫の好んでいた背番号3.数字の3。ちょうど、
十三号となったこと。長年従事してきた技術の写真印刷
を盛り込んでの追悼号に出来たこと。また親しかった
友人諸氏の助けを借りられたことなどなど、亡きひとの
視えない力が及んでいることに気付かされたりした。

 注文の多い依頼を受け、何度も何度も作り直して
くださったkS氏や、相談、印刷を引き受けて
くださったkk氏ご夫妻には感謝している。

 

 屋台骨をなくし漂流する難破船・**丸の行方を案じ、
何かと力になってくれた老母や二人の姉たち、そして
控えめにささえてくれた誌友たちに感謝しつつ、
 追悼号は作られた。

 

 ***ちなみに、十三号以外は従来通り、一人の
手作り詩誌である。




 
 追悼・特集号は本屋さんに並ぶような製作本には
程遠い、まことに素朴な造りではある。
   
 
 わたしの知る、聞いているかぎりの夫の幼少期から。

 父親を早くに亡くし、小学三年の時から新聞配達をし、
母親の行商を手伝い、小間物を背負って売りに歩いたこと、
貧しく厳しい暮らしながら、生来楽天的な明るさで
悪戯好きでヤンチャな野球少年。毎日真っ黒になりながら、
楽しく走り回った時代のことなど、綴り、織り込んだ。

 就職してからは職場の仲間を巻き込んで、野球部を設立。
ピッチャーで4番バッターとし、長く草野球戦に興じ、
活躍したこと。

 病変後、壮絶な闘病を送りながら、長女の挙式(参列は
叶わなかったが)や次女の大学卒業を見届け、
 
 終焉を迎えるまで・・・。
 

 綴り、編み込んでいった。
 

 
 特集号は亡きひとのゆかりの友人・同僚・縁者に送った。

 
 
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