月足らず。。の急!

七年前、長女は街なかにある産院で、
月足らずの男の赤ちゃんを産んだ。

小柄な母体ゆえか、帝王切開だった。
取り出されてすぐ、あかんぼは
救急車で街はずれの愛知県コロニーに
緊急搬送された。



産まれる! 

連絡を受けて駆け付けたときには、
母になったばかりの長女がひとりベッド
に力無く臥せって、
赤子は運ばれて行った後だった。


駅に近い、名の知られた産院である。
わたしにとっては待ちに待った初孫の赤ちゃん、
帝王切開で産まれて、救急車で・・・!!

なんで!!


気が動転して、
居合わせた看護婦さんに

なんで、なんで・・・!?
:;@:」l^-¥::**、。<>*。。。


何か口走ったようである。


看護婦長さんであった(・・らしい)
その人は、 きっ!! わたしを睨むように

**P‘==<<_?*@,.*:。。。
ここ(産院)のせいではありませんよっ!!

気色ばんだ口調で返された。


すっかり動転しているわたしは
じぶんが何を言ったのか、相手のナースさん
が何を言って、 ***のせいではない。。。
と言われたのか、、、 
しかと呑み込めない状況であった。


あとになって振り返れば、
・・・ちゃんと、手術がなされて、
なんで、救急車で運ばれることになったのか
・・・
あまりのショックで、
殆ど、意識なく、、、
産院の不手際をとがめる、、、というような
深い意図があってのことでなく、

単純な疑問が
おもわず口をついて出た言葉だったのだ・・・
と思う。



それにしても、
これもあとで思ったことだが、
ショックで取り乱している家族に、
婦長ともある立場で、放つ言葉と態度、
であったろうか。



気持ちの錯乱?!のなかで、
言ったことも言われたことも殆ど
覚えてないのに、
婦長なる女性のきつい表情と口調は、
数年経った今でもしっかり記憶に
刻印されている。




   県コロニーの赤ちゃんに

しばらく娘は実家で静養しながら、
母乳を絞り、赤子に飲ませるため、
町はずれの山あいのコロニーまで通った。

わたしは娘と母乳を乗せて、何度山あいへ
車を走らせたことだろう。



   クリ、クリ。。。の愛らしい

よく眠り、幸い、無事に育ち、
くりくりっ!!・・の愛らしい坊やに
なった。


 四月~五月の連休に生まれる予定が、
三月に生まれてしまったので、
坊やは保育園でも小学校でも、他の子と
比べると、殆ど一学年遅れ・・・になるし、
そのことも併せて、
その後の試練とまわりの苦労を、
少しく、覚悟せねばならない。



満載のトマト ( ^)o(^ )
DSCF0226.jpg





    おぉ~、ハンパない暑さ!

25日多治見市で国内最高気温39,4度
が記録された。

当地はそれより1度位低い、、、だけ、


暑いの何のって。。。
何にも動いてなくても(-_-;
汗がどぼどぼ、、、落ちてくる。。。


梅は三日三晩土用干しを終え、甕に仕舞った。
!(^^)!


  


     あぁ~、夏休み!

夏休みに入り、小二の男児が我が家に、、、
朝、ママが勤務の車に乗せ、この家に置いて
行って、午後帰りの車に乗せて帰っていく。

小一の昨年は「学童」を嫌がり、大泣きの夏休み
だった。
ワークウーマンの長女の帰りは遅く、普段でも
学童に預けないことには仕事が続けられない。

塾も学童も泣いて嫌がる子に対処を迫られ、
悩み通して休職を決断するも、
職場の配慮で配置替えをしていただけた。

ちなみに長女の仕事はハンディ児童の学童
保育士である。

五月以降、
保育士としての仕事から多少外れることに
なったが、中学以上のハンディを持つ子どもたち
の社会訓練を兼ねての施設に移った。
朝は早いが二時半まで、という勤務体制に。

車で通える範囲で、おまけに実家である我が家
が通り道・・という偶然もあった。


それまでは電車が止まったりして、
娘の足がストップするたび、娘宅の隣市へ
山道―ダンプのトラックがバンバン奔走する
―峠道・崖道をわたしがを車で走って助けに
行っていた。




で、今夏は、小二の少々世話の掛かる傾向の
ある男児を預かることに。

ばぁばの家に来れば、まず💻に向かう。
テレビのビデオも付ける。

それ以外のことは一切しない。

それではいかにもまずいのでこの家から
週二回、送迎付きの学童に通わせる。
イヤでもなんでも、強制的に。

はぁ~、正直、大変!!
この子の将来を慮れば、憂うる日々である。






    はっ、~ 夏まつり!

夏祭り7・26 

祭り浴衣

夏祭り

まつりふわふわ - コピー 

昨日26日、お祭り会場の公園には、
ママが小二男児と保育園女児ふたりを引き連れて、
友人たちとともに出掛けた。

ばぁばも、もっと早く行ってれば
「夢ジャズ」演奏や、「エイサー」太鼓と踊りも
撮れたんですけど、、、暑くて出られなかった、、
ザンネン!
 


 
   季節のまぎわに


移る季節のまぎわの
風が吹き荒れ
横なぐりの雨に
枝や草の先が身を曲げて撓る

 老いたひとは
 ひがな 椅子に座っているか
 ベッドに伏すか
 なすことなく
 過ごす

 その 去来する景も
 すでに果敢なく薄く
 近くに立つもの在るもの
 の 判別も
 あの空に浮かぶ雲のように
 遠くなり

 愚痴るでもない
 叫ぶでもない
 さして手を煩わせることもない
 あの時代にそって 従順に
 しずかにしずかに
 座して伏して 
 じぶんで箸を口に運ぶ
  過ぎし日をぽろぽろ取り零し乍ら
 ただ まわりに手を合わせ
  感謝の礼
  と
 いのりの仕草は忘れず

じょじょに
いつかのときが近づいてくる
のを待っている
・・・かのように

そしてそれは
しずかにしずかに
かくじつに
・・・ちかづいている

季節は巡り
荒れて湿った季が移れば
乾いて強い陽が射してくるだろう

木々や草はそれを遮るように
影濃く繁らせ
次の季にいのちを巡らせるだろう




  雨の合間に

カンカン照りの昼間はひたすら、ノビて
床の上の“干物”になっている。

母のホームに通うのも暑くてしんどい時期、
雨の合間の多少楽?な日に出掛ける。
家から駅まで15分(夏以外なら
12~3分の速足で歩く)、
電車と地下鉄を乗り継ぎ、そこから施設
まで再び15分。
帰宅すると万歩計は6,7千歩になる。

(-_-;)(;^ω^)だくだく、ヨロヨロ、、、になって
着くと、冷たいお茶を出してくださる
スタッフさんもあり、有り難く押しいただく。


最近の母は会話もなく、傍らに座り、
首や頭のうしろあたりを軽くマッサージ
したり、手指をほぐしたりする。

昔、働きづめのゴツゴツだった手指は、
か細く平たく、心もとない。

我流?のマッサージを終えると、母は
娘に手を合わせ、「おおきにぃ・・・」
(有難う)の仕草で頭を下げる。

もしかすると、わたしのことをスタッフ、
と思っているかもしれない・・・。



  東海地方・梅雨空け?!

あまりすっきりしない青空だが、
土用に入ったし
梅を干す準備に入らねば。。。

干し出すと、にわか雨など案じて、
三日三晩は落ち着かない。
夜間も干すので、まんじり出来ないし。

もう少し
カラッと晴れ渡る日まで待つべきか。。。



  スイカの皮です! 糠漬け!
味も見た目も胡瓜に似てます(笑)
昔むかし、漬けたこと思い出し、少し試しに。。

14720スイカ糠漬け

    私製・リレキ!? 

最初に入社した興和(株)の
わたしの仕事は、薬品部・受渡
で、各工場から医科向け、薬局向け、
コルゲン50T、キャベジン70T、etc・・
送ります“
など電話を受けたり、各支店へテレックスを
打ち込んだりするものだった。


そこで数年か勤め、退職した翌日、竹芝桟橋
から大雪山丸の船底に乗り込んで北海道“放浪の旅”
に出、夏から秋、冬・・・。
***(当ブログ記2013/9/13「遙か旅路」)*


二度目の再就職、コンピューター社にトライ
したのはその年の冬・十二月だった。



    旧機器・テレックス

興和・薬品部で最初は
テレックスを習わされるのがイヤで苦痛だった。
が、キーの位置を覚えてしまえば、
どうってことない!

テレックスには漢字も変換もなく、全カタカナ
とローマ字、テンキーしかなく、送信時は電話
みたいにダイヤルを回す。

受信時には、ブ~~とか、ジ~~とか音が鳴って、
やがてカタカタ、カタカタ・・・と印字され用紙が
出てくる。 

ひと昔ふた昔前、ニュースなどの折、
印字孔の空いた細い紙テープが写ったり
しましたよね、あれです。

って言っても若いひとには分からないかナ・・・・?
 

あらかじめテープに打ち込んでおいて送信したり、
ダイヤルして送信先に直接キーで打ち込んだり。

機器そのものは大きかったが、操作は比較的、
単純明快?!なものだった。


ここでキータッチを体験したことが、
後になってのパソコン・ワードに役立っている。

 

薬品部だけでなく、会議室の役席や紡績、物資
の重役へ受信を知らせに参じるようになって、
上席から顔を関知されることはなかったにせよ、
わたしのほうは、それぞれの重役のお顔やお名を
覚えた。


 
     その後の変転

ずっと後、四十代に突入しての、三度目の
デスクワーク、東海BK・本店で受けた求職試験
では、求人数にたいして応募者が溢れ、かなり
厳しい倍率であった。

あぁ~これは、もう、 ダメだ・・・! 
 
ペーパーテストの後、諦めの境地で臨んだ
面接の場で、年配の面接官の口から興和の
重役の名が出、当時のことを訊ねられた。
わたしはそれに思い出どおり、こたえた。





   人生 働きどおしですねん・・・

職歴三社とも、栄の繁華街エリアにあり、
育児中のブランクを挟みながらも数十年にわたり、
繁華街への通勤生活をした。



子が小さいあいだは内職や朝や夜やいくつか
パートを続けたりして家計をしのいだ。


そして現在も時々であるが、未だ、パートに
出ている。 

体力の衰えと並行して、不況など、仕事要請の
日が減って、いっそ助かっている。

 


***最近の新聞で、
旧東海銀本店 リニアに合わせて建て替えへ
の記事が出ていた。

その本店ビル・建物は古びているが重厚で荘厳
とも見える。

十数年前、
世紀の合併期を経て、師勝の新ビルに移るまで、
朝の出勤は重厚な建物の錦通り口から入り、
仕事が終わると賑やかな広小路口のほうから
出て、帰った。
 

 
*コンピューター社はその後、変転を経て
元の社名はない。 

が、当時のOBによる「BOB会」の
交誼が今も続けられている(ようである)。


 
***ここでまた話がぶっ飛ぶんですが。。
当ブログは話題が縦横左右、微塵・自在に飛ぶ、、、
のが特徴デス、スイマセン



    播州って関西弁ですよね?

次女のむこさんは播州は加古川出身、
大学・大学院を岡山で過ごしている。

、、、なのになのに、標準語です、

嫁はんである次女によれば
・・・うん、たまにイントネーションは
出てるみたいよ、、、


コンピューター社時代には、各所からの
営業マンたちがいて、見事カンペキな関西弁
が飛び交っていた。

スキーに行くときは独身寮(藤が丘にあり、
わたしもよく通った)
から出発で、そこでも関西弁が心地よく響く
のを聞いた。

お笑い番組はあまり好きでないけど、
健康番組のほっしゃん。さん、の柔らかな
トーンとか、
たまにチャンネル回した途端、
ダウンタウンさん二人の軽快な強烈な
トークは聞くのも、字幕で読むのも
潔くて好きやねん、、、デス。



   朝食用の野菜と
ハープ茶用の葉っぱたち
DSCF0203.jpg



   続・思い出の品?!
   

      ナニのふん?!ナノ。。。

 函の中の手紙類の下から、いささか古びた
“扇子”が出てきた。模様も地味めな、さして
変哲もない扇子だ。

 へっ! 覚えてる~、
職場の先輩、Mさんに貰ったものだ。はぁ~、
こんなとこに仕舞ってあったんだ。。。
  

 文学少女のまま大人になり、数字や機器は
全く苦手なわたしの二度目の再就職先は米国系
のコンピューター社だった。配属された先は
経理課。

 帳簿の引き継ぎを伝授されながら、一向に
計算の帳尻は合うことなく、かぎりなく頼りなく
自信なく・・・、
周囲もさぞヤキモキしたことだろう。

 

 慣れない職務に苦戦する中途入社の女子に、
助け舟の魯を漕いでくれたのがM主任だ。
主任といっても二つ上のまだ学生みたいな先輩
だった。

 
  仕事熱心でおまけに何でも知っていて、
不肖・後輩に懇切丁寧、根気よく指導してくれた。
その後もずっと、分からないことは何でもかんで
も頼りにして教えてもらっていた。

  口のわるい営業マンに、
「・・・金魚のふん、みたいだな・・・」
と言われたりもした。
  

    
    
      ちょっとクヤシかった、、、?!

  幾分、仕事にも慣れたころになると、
月末に集金にやってくる飲み屋さんの対応も
した。 
  営業マンの接待用で、飲み屋がオフイスまで
集金にやって来る(・・・だなんて、いかにも
旧時代でしたね)。。。

 飲み処・兵六の若い姐さんが集金にやって来て
オフイス受付カウンターに立つ・・・、
 応対に出て、
――ハイ、うけたまわります
――・・・いえ、Mさん、オネガイシマス・・・

  M主任・指名である。当時、飲み屋の姐さんも
わたしも主任もみな似たり寄ったりの年くらいだ。



 。。。ん、、、 ぬ、ぬ ぬぬぬ! 、、、、
 (わたしも経理担当ですっ、 なによ~!)
すかさず大声で、
Mさぁ~ん、 ひょうろくダマ・さん、みえましたよ~~!

 と、
 M主任、 。。。む、、、む むむむむ 、、、、
(何て言い方するんだ・・・)

 いささか当惑、慌ててカウンターに向かう。


  ず~と後になって、「ひょうろくだま」の語源を
知って身を縮めている。
 ・・・その節は失礼な表現をして
ゴメンナサイでした・ひょうろくだまさん、
じゃない、兵六様。。。



  えぇ~、ナンの話でしたっけ? そうだ、扇子だ!

  その頃、“オフィスは錦通りにある名銀ビルの
上階にあり、冷房設備も古く? ビル内は夏は
とても暑かった。
 暑さに弱いわたしに、隣席からMさんが、

 ハイ、!  これ、あげるヨ・・・

  って、くれたのがこの地味なさして変哲もない
扇子である。


 
 不要な手紙類やテレフォンカードを出して整頓し、
扇子は再び函の奥に納まった。 





 ***その前の職場は、興和。
紡績やカメラ光科学、物資の輸出入、薬品など、
名古屋では財閥に数えられる商社だ。

   *次回につづく







   *草じゃんぐる
  夏のゾウのデコ園

 鳥よけ虫よけグッズ満載です

DSCF0198.jpg
 DSCF0196.jpg 

DSCF0200.jpg 
14・717デコ園 



   




   壁の話


もう何年か前のことである
病後をかこつ人に付き添って
郊外にある大学病院に向かった
車を使わなければJRと私鉄 バス
と いくつも乗り継いでいかねばならない

その日 循環器科の待合室はすでに人でいっぱいだった
どの科の待合室も廊下も受付も 人で溢れていた
広大な敷地の木々やベンチや 車寄せの石畳に
午前の光が万遍なく降りそそいでいた

順番を待つあいだ 誰も口をきかず
長椅子の隅でなすこともなく ふと目の前の壁を見る
光沢ある白い色に 黒に近い影のような模様が
大振りに入っている
それを見るともなし見ていて おもわず
目を凝らした

そこには
黒いハット 鉤鼻 黒マントの両腕を広げた
巨大な姿が
こちらに向かって 立ちはだかっている
ここは病院の待合室の壁 そんな不吉な絵が
ある筈はない
ひとしれず自分の頭を振り 再び目を凝らす
サタンだ
どう見ても それはサタンだ

隣に座る人には言えないままだった
白い巨塔とも呼ばれる病院のことだ
嘘のようなこともあるかもしれない
深夜 閉じられ誰も居ない待合室や廊下を
大きな影が 黒マントを広げ
ノッシ ノッシノッシ・・・・


 

   思い出の品の入った函

  押入れ内のボード棚の奥に、古びた函が
蔵ってある。
“両口屋是清の千成り”の菓子箱である。

 ちょうど封書などがすっぽり入る大きさだ。
山尾三省氏の葉書やお世話になった先輩方から
の手紙類など。テレフォンカードとか不要なモノ
も紛れこんでいる。
その中に、夫の最初の手術を執刀された
大学病院のM教授からの封書が見付かった。

 当時、手術を前にしてのカンファレンスに
出向いた時、夫は四十代半ばの頃、
 長女は高校受験期、下の子はまだ小学生だった。

 住宅ローンに加え、夫の母への仕送りもあって、
生活は楽ではなく、妻のわたしは銀行への再就職を
はたし勤務生活に入ったところだった。




    カンファレンスの日

  会議室でいっとき、病状と手術の詳細の説明
を受け、では宜しくお願いします・・と教授に
向かって、深く礼をし席を立とうとしたところ
へ、教授はわたしに向かって近付いてこられ、
 「これは、返しておきます・・・」
 と、封筒を出された。

  教授から返された封筒には、紙幣が数枚か入って
いた。


 何も聞いておらず、何も知らない妻に夫が後で
話すには、

 すでに手術を受けた患者さんたちから、
「執刀医の教授には事前になにがしかのお礼を
するのだ・・・」と聞かされたという。

 相場は我が家のほぼ一か月ぶんの家計に相当
する額だ。

 後年、じぶんの至らなさを処したくなるのは、
こんな時である。

 

  本来なら付き添う妻のほうが察知して用意する
のではないか・・・。

 わたしは世事や俗事には、一面すこぶる無知で
疎いところがある。そして頑迷でもある。
 納得しがたいことには従順できない。それを
知る夫は、相談することなくひとりで用意した
のだ。
 

  夫が用意した封筒には相場の半分の枚数が
入れられていた。それが精いっぱいだったろう。



 本やドラマでは見慣れたことでも、現実にその
ようなことが罷り通っているなど、考えも及んで
いなかった。
 もし、そんな事実を知らされたとして・・・、
手術を受けるのが自分の場合だったら、迷わず
無視、或いはは拒否するだろう。
 しかし、夫の命にかかわる手術になるとしたら
・・・、どうしただろう。

 現在のわたしなら、可能なかぎり教授に会って、
真意を確かめる。そのうえで判断する。

 
   
       無事経過

 手術を無事終えて、少し経過したころ、わたし
はM教授に宛てて、手紙をしたためた。

 何を書いたのか、もう忘れてしまったが、
お礼とともに、心の裡(うち)をそのまま
まっすぐ書いて送ったのだ、と思う。

 循環器科の権威で、テレビにも出演されたり
する著名な教授である。

 その教授から封書で手書きの返事が届いた。
・・・経過を見守り、無理せずに・・・
看護する家族へのエールであるとの思いで、
心して受け取った。

 
 その折りの手術は、教授の説明のかぎりでは、
悪性ではなく、「血管腫の除去」と聞いた。
 ただ、病変について、「・・・六十○歳くらい
にヤマが来る・・・」と言われた。


 その後、夫は定期的な検査と投薬を律儀に
守りながらであったが、元通り体育会系に戻り、
好きな草野球に興じ、母や姉家族・中高年旅行
や夫婦での旅にあちこち精力的に駆け回って
楽しんだ。

  その元気な日々に、わたしは(夫には話して
いない)・・いつか来る“ヤマ”・・のことを
すっかり忘れてしまっていた(いや、考えない・・
ようにしていただけかもしれない)。


 教授の予想の年齢より、 五年早く、
夫は別の病院での手術禍で、命を失った。

 

 ***執刀医への当時の御礼に関しては、
現在のことではありません。そして、家人が
聞いた件のことなども事実であったのかどうか、
未確認です。
念のため***


    寡黙な月曜日


ホームの外れで電車を待つ
広いホームに 遠い町の名の列車が
北から南から滑るように入って来て
すれ違いながら去っていく


人がこんなにもいるのに
朝の誰もが黙って
誰もが独りで
端に立ち尽くしている


饒舌すぎるくらいの新聞やTVと違い
ここでは ミサイルの炸裂音も響いてこない
銃弾が飛び交うこともない


旅ぐらしの貨車が
屋根に朝の日差しを光らせて
ゆっくり 入ってくる


なにも変ってないように見える週明けの朝
みな不明の終点に向かいながら
旅の途上で 声にならない声でつぶやく

ここまで 遠かったろうか近かったろうか


 もう世界は行き先をなくし
 涯に立っている


列車が 耳に届かない汽笛を
鳴らしていく
週のはじめ
すこし ゆううつな気分でホームに立つ



  
 孤愁期って?!

 詳しく調べてはいないが、造語?!ですかね。
何かの小説タイトル?
 これ、やめよう、
 下記に訂正す。


  
トシ取って何か振り返ること多くなったゾ、、、期

 わっ、長が!

 ジワジワ・・、トシ取ってきて・・、
なんだかなぁ~、、、っていう気分。

 パソコンは新しくなって、使えるひとには、
はるかに便利になって・・・でも 機器オンチには
使い辛いばかり、ワケワカラナイこと多くて、
 ブログ更新もなんだか進まない、、、


 これって、単なる“老人うつ”?! かも(笑)

 笑ってるバアイではございませんが。




  
 わたしゃ、知りませぬ。。。

 少し以前、「こんな歳になった」のタイトルで
詩作した。そんな直後、

 佐野洋子著「神も仏もありませぬ」
を 読んだ。


*「いつの間に六十○になったのだ。わしゃ知らん。
本当に知らんかった。」
 ・・・のくだり。
 まったく、同じ。  わたしと、おんなじ。


 定年までず~と勤めて、それまで余裕もなく、
自分のトシなんて振り返る・・こともなかった。

 ここへ来て、ふと自分のおんトシに気が付き、
愕然。いつの間に、、、 
知らん、わたしゃ知りませなんだ、、、の心境
だった。


 それからまた歳月を越え、、、たしか佐野洋子さん、
七十歳台で亡くなられてしまった。
***佐野洋子氏・イラストレーター?!
絵本作家でかなりユニークな女人であった。


 たぶん、世話の掛かる家族が居て、日々バタバタ
暮らしてたら、孤愁? ナンダソレ。。。の状況である
と思う。

 それでも日々忙しくは過ごしているんです
けどネ。


2014.07.09 緑と水の番人

 緑と山と水の番人

 市内外れにある「緑化植物園・グリーンピア」

  園内に隣接する雑木林を登って行くと、道樹山、
弥勒山があり、ここはまた東海自然歩道につながる
コースでもある。
 自然に富んだ緑の山の麓であり、花の園である。

グリーンピア 

園アーチ 

園池1

園池2 


園の池 

植物園4

園花壇3 


植物園2 

園の花壇2
>

園シンボルツリー 


  


 
        水と森の星 の行方は

 もう少し車を走らせると、県境・岐阜県、
暑いことで有名なT市に入る。


 
 7・8日新聞発言欄で、こんな文が目についた。
 T市在住の方の文

 以下 一部抜粋

 ***
・・また山が消えた。山はまたたく間に
はげ山になった。ここにたくさんの住宅が建つ
という。木を切り、山を削り、川を埋め、
埋めた川の上にも家を建てるという。

 ・・人口は減少傾向で、市内の団地や市営住宅
には空家や空き部屋が目立つというのに。

・・市民ははげた山を見て、一様に驚きの声を
上げた。けれど、何もできない。皆諦め、
耐えている。
 ・・重機の大きな音が響く中、じっと下を向き、
耐え続けている
 これ以上、木を切らないでほしい。貴重な自然を
未来に残したい。子どもたちと私たちに、日蔭を
残してほしい。
耐えている私たちの心に寄り添う行政であって
ほしいと願っています。
 ***
 



 

   一休み、一休み。。。

 前日の雨で増水、濁った川で
 水鳥たちが休憩中

  水のなかでパシャパシャしてるのもいます

一休み水鳥

水鳥2


     メメント・モリ      


   いくぶん とも     
   ずいぶん とも   
   さだかでないが つかいふるし   
  くたびれて しわだらけの      
   海馬が その日にむかって
   疾りはじめるのだろうか 


 
 みぎとひだり 混沌とまじりあい     
    ときに 蝸牛がまわりはじめ   
    バランスをくずしていく 


 その日までは 近いのか遠いのか
 (ほんとうのところだれもしらない)
   

   そのあいだ 
   ふかい淵やほそい橋
   うすぐらい森やうねる川筋
  (かぞえきれない場処をひとり途方に暮れながら)
   潜ったり越えたり
   しないといけない


   リビングウイルをしらべて       
         尊厳死宣言書
   の 文面をおぼえた
    

   あやうい橋の手前で      
        それを書く       
   明日か 明後日か   
 (だれのためか じぶんのためか)

     
   月もない未明の刻
   銀色に光る蜘蛛の糸    
   が 空からぶらさがっている         
  (のを 見ることがある)


   うすぐらくて ふかいもりのような
   あわい雲のふわふわ たなびくような     
      さきへ 
      そろりそろり
   ひとり 分け入っていく




 
       母は眠り姫に・・・

 なつ母 98歳。
施設でお世話になって八年目・・・、今のところ
手押し車を引いて、自分の足で歩く。

 けど、最近はベッドで寝ていることが増えた。
起きていてディルームのソファに座っているとき
でも、半分うつらうつら・・・。

 ついに娘のわたしの名前も忘れてしまった。
名前は出てこないようだけども、顔を見れば、
にっこり、笑ってくれる。
 少し以前までは、笑ったあと、
よぅ~来てくれたね、
何で来た? 地下鉄かね!?

 きょうはもう、ここで泊まってけばええよ・・
ベッドは広いからね・・・

 なんて会話が続いたのだが。



 眠っている時は、
息してるん??!
布団の小さなふくらみをのぞいてみたりする。
 ただでさえ小柄な体がさらにちぢんでゆくようで、
30キロ少し・・だろうか?

 眠り姫・・の命名はいくらナンデモ。。。と
“眠り婆”って呼んでいたけど、ベッド上の小さな
ふくらみと、zzzzz・・・・の寝顔をのぞくと、
 まぁ~  眠り姫、 の呼び名でもいいんだわ、
と思えてくる。

 ベッドに向かって、 
   
       「また来るね!」





   あるブロガーさんへ 追悼記  
                            闘病中のTさん 逝く


 Tさん。
 ブログでしか知らない方だが病を押して、
 山に登ったりあちこち自然のなかを歩いて
過ごされている方だった。

 ほんとに闘病されている?!
と思うくらい、よく出歩き、果敢に生きて
おられた。

 少し前、ご様子が変わり、車椅子の日常に。。。
それでも、酸素ボンベの助けを借り、
 ご夫人に車椅子を押してもらい、出掛けては、
綺麗な夕日や見事な満月を撮って、ブログに載せられた。
それまでも、種々の花、あちこちの山、渓谷、
 それはそれは美しい写真を撮ってブログ更新されていた。

 わたしの拙いブログ記を、殆ど毎日のように見て
くださってもいた(・・ようだった)。
 こちらからも拝見していた。


 当ブログ6・17に更新して以降、ネット接続が
芳しくなくて、しばらく更新を休んでしまっていた。
 そのあいだも、
 Tさんは17,18,19、ほぼ毎日 ・・・23日まで
訪問してくださっていた。
 
 そして、
23日夜に急変、25日・力尽き、

 永眠された。

 

 ・・・とのこと。



 更新を怠っているあいだに急逝されて
しまわれた。

 Tさん、せっかく見てくださっていたのに、
新しい記事載せられず、ごめんなさい!
 
 もっともっと読んで頂きたかった。
 もっともっとTさんの記事や写真、見せて
頂きたかった!!
 鉄人、その名のごとく強い意志で生き抜かれた、
と思う。

   落涙してます。

 あちらでどうぞ ゆっくり 休んでください。。。 
   
     (祈り)

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   出ましたね、散乱・汚な部屋!!

 当ブログ記、7・1「文月の空」で取り上げた
“リバウンド・汚な部屋”が、昨日、TV番組
「得する人!損する人!」ゴミ屋敷に住む芸能人
として・・・、出ましたネ。

 ブログ記では、“今、彼女の部屋がどうなってる
は知らない“と書いたが、再び偶然のタイムリミット
で番組で放映されて、
凝りもせず相変わらず、ザ・リバウンド。。。を
繰り返しつつ、現況も散乱の凄まじさ・・で
あるようです。

 当ブログでは影響も考慮して、名は伏せたが、
これだけ何度も何度も番組に登場して、すでに
知られてると思うので、
彼女こと、春香クリスティーンさん。
 
 その散乱部屋は、番組の少ない予算!?で、
片付けのプロに頼んで(この度も)片付けてもらい、
さらに撮影カメラを設置。
部屋が汚れていく過程を観察し、理由を検証する
・・という企画。


  片付けのプロが検証の結果、春香さんはあまり
部屋の中を歩かない、決まった場所に居座っている、
なので、行かない場所(って言ったって、広くもない
ワンルームですよ)に金魚を飼って、エサを与える
用事を作る・・・とか。

 ん、ん、、、、 ギブアップ! アップアップ!!
そのような飼い主に飼われる金魚が可哀想です、
ヤメテクダサイ~~!!

 或るいは部屋を行き来する動線にいったん、モノを
置いてしまうと、それから整頓は崩れて元のゴミ部屋
に戻るのだ、とも。

  片付けのプロさんは、見た印象から判断し、形で
判断を下されていた、・・・けれど、それ以前の
春香さんの精神構造自体に問題が根ざしているよう
に思う。


 「TV画面で見た限りでは、彼女のファッションも
キャラクターにも問題はない・・・」
というようにも書いたが、ほんとうは、、、、

  ビデオで普段の様子を映していて、
かなりアバウトな質が伺えるし、行儀もよろしく
ないし。カメラが入っていることは承知ですよね?!

 分かってて、この調子ではかなりなモンである。
彼女には「恥ずかしい・・」という概念が欠けている。

  何度も何度も汚な部屋とリバウンドを取り上げられて
いて、繰り返し“恥を見せる”ことの出演を辞退も
せず、(もし、それらを“売り”として出演してるの
ならそれこそ、最強のツワモノだ)


 日本古来の、“恥”の文化を 異国で育った
春香さんに注文するのは難しいかもしれないが。

 それにもう一つ、“三つ子の魂百まで”という
古来の諺がある。

 幼児期の環境が結構、後々にまで影響するのだ、
ということ。
  モノの散乱するモノの多い環境で育つと、それに
慣れてしまう。
  自分で片付けてきた習慣がない、
となると、やはり大人になってもいつまでも
片付けられない、という現象になったりする
のではないか。
 
  一方、“反面教師”という語もあるように、
それをバネにして、改善する人もいるには
いると思いたい。。。

 ***ということで、この話題は終息とします。

2014.07.01 文月の空
   文月の空


 文月の 
       空 晴れの日も 
                        雨の日も 


 七月といってもまだ
梅雨明けはしてない
土砂降りの日もあるだろう
晴れて暑い日もあるだろう
けれど
ふ  み  づ  き
ふと口にしたくなるような文月の名

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    ダンシャリはつづくよ~ 🎶
        ♪ どこ~ま~でも~~ (^^♪


 懸案の古アルバムは片付けた。ふぅ~~!

 忘れていたのだが、以前にまとめ直して
いて、夫とわたしめの独身時代のアルバムは
右と左に分けられ一つの大き目の箱に収まって
いる。

 幼少の長女と次女、その後の家族アルバムは
年代別に分け、函入りの箱は取って、アルバムの
余ってる頁は抜き取り、余程古く壊れそうな厚い
表紙のは中味だけ抜き、ファイルに収めて・・・、

 それら写真はほぼ捨てることなく、仕舞い直した。 
収納ケースは買わない。とにかく何にしても今以上
モノは増やしたくないので。
段ボールを新しいのに替えて、立てて正面向きに、
本棚のようにして。念入りに、詳細のメモ書きも
ペタンと貼り付け、押入れを開けてをパッと見て
分かるようにした。

 
 ここまで、結構日数が経っている”(-“”-)”

 出したまま。。。邪魔だから“とりあえず”元に返そう
を今回、禁じた。

 部屋のかたまり群を見る度、ため息つきながら、
それでもなかなか着手出来なかった。

 若い頃はそのうち、プチッ!! ヤル気スイッチが
入り、着手したものだが・・・。

 この頃じゃ、日が経って、仕方なく、
。。。ブジッ~ !  鈍めのスイッチ音。。。

 写真を処分・捨てるかも。。というのがアタマ
を離れず、気が重かったノダ。

 が、じゅうぶん?!な期間を経たせいで、
余裕ができたのか、夫の昔の若き頃の幾分、
初々しい?!(^◇^)顔を見ながら、クスクス
笑ったりして、深刻な愁いにも見舞われずに
済んだし、殆ど処分することなく二つ半・箱に
収まったので、ヤレ嬉し、で終わった。


 けどカンペキではない、箱の半分、アルバムに
貼られてない写真やネガフイルムなどが混在して
いるし。。
 押入れ上段には着ない和装品が入ってるし。   
  二階には座布団、布団類が山積みだし。。
 じぶんで買ったものはひとつもない、母が持たせて
くれたり買って送ってくれたものである。
 
 カンペキなど目指してはいない、
けど もうひと踏ん張り。。

 
  ♪ どこま~でも~ゆこう ♬ 
               ♫ 道は~きびしくとも~~ (^^♪


 
  
         こんまりさんの片付け術講座

 の番組のビデオを今頃見た。かなり前に放映
されたものだ。

 ときめき・云々説・・・を唱えながら、半信半疑
の人の心理も汲んでおられ、どんな質問にも動じる
ことなくブレない意志で的確に応えていく、なかなか
な説得力もある。

 リバウンドはしません・絶対に!
と、強調もされていた。

 ・・・その通りかもしれない。
 しかし、世の中には大変なツワモもいて、なかには
マレに例外もある??



  

      リバウンド? 無用!でござる

 で、思い出したのが、あるタレントさんのこと。 

 以前から、たまたま目にした番組の中で、その
凄まじい部屋の様子を見た。
 ベッドも床も散らかり放題、なんかが降り重なって
ふつうに歩くこともならず寝る場所もない、

 片付けのプロの人や別のタレントさんたちが、
まず悲鳴をあげる。ナンデ~、アタシらがこんなん
汚いとこ掃除してやらんならんのぉ~( `―´)!

 散乱のゴミの下に、何か月前か何年前かの食べ物が
つぶれておる、 室内はかなりの匂いも籠っている
だろう。。。
 
 本人は、笑いながら
えぇ~? 汚いですか?~ 
そんなことないですよぉ~~

 
  
 結局、スタッフたちの手で、時間と手間が
掛けられどーにか綺麗な部屋に仕上げられていく。

 それで終わりではない、また別の番組で、
かの部屋が出てくる・・・、

 凄まじい、元の木阿弥ですね、、、。


  外国から単身、日本の大学で社会学を学ぶびつつ
(すでに卒業されたかもしれない)
 タレントの仕事もしている。着ているモノも見た目
などもそんな部屋の主とは思えないんですけどね。

 そしてまた、別の番組かもしれない、こんまりさん
の登場になった。

 こんまりさんは助言・指導はするが実際の片付け
にはそれほどご自身の手は出されない・・・、
 それがコンセプトのようである。


 助言して、では自分で片付けてください・・・
となり再び、こんまりさんが登場するも、まったく、
状況は変わってない、さすがの片付け魔術師といえど、
そのタレントさんには手古摺っておられる様子で、

 いったん、片付けはストップし、その精神面、
内面からの取組みを手掛け、ヨガのように瞑想、
或いは、じぶんの幼い時からひとつひとつ些事を
思い出し、それに向かい合って、心の対話を
していく・・(という内観法という療法がある)、
心理学的のような対処もされた。

 それによって分かったことは、彼女の場合、
小さい時から常に家族や誰かが本人に代わって
片付けや世話をしてもらっていて、自分で掃除や
片付けをしたことがない・・・というのであった。

 
 こんまりさんの片付け術コンセプトには、
モノを慈しむ
大事に扱う
 というのも含まれる。それはそのまま”自身”
にも向けられることでもある。

 そんな療法ばりの時間もあって、タレントさんは
涙を流し、指示も貰い、見違えたように明るい表情で
部屋を片付け出した。

 
 綺麗な清らかな部屋になって、帰ったときドアを
開けて部屋に、 ただいま!  って声をかける。
 


 それで、タレントさんの一連の”汚な部屋”の件は
無事ジ・エンドになった。

・・・ハズであった。



 すっかり忘れていた頃に、またもや番組でその
部屋が出てきた。
 凄まじい!、 いや以前以上にスサマじい。

 洗面所も浴槽も中までゴミが溢れ、トイレの器の
なかに何故かシャンプー容器がポチャン、浮いてる・・・。

 そして再び、片付けのプロの手で片付けられていった
・・のであった。

 

  その後、彼女の部屋がどうなったかは知らない。

 最近ではCMにも出ているし、著名人と組んだ番組も
担当されているようだ。
その姿を見ると、どうしてもその背の後ろに、あの
凄まじい部屋が目に浮かんで邪魔してくる。

 
 ***tv画面で見るかぎり、
 フアッションやキャラクターに何も
問題はなく、部屋の件も周りに害を与えてる
わけでもない。
 リバウンド・・の例で挙げたものです。

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