“受容”という段階まで

 他の方のブログを拝見して、触発!?される
ことが度々の昨今。

 
 絶大なる拍手数(・・・に毎回、目が点?!になる)
をかもし出すスピリチュアルなブログ。

 “究極の選択の後悔”が取り上げられていた。
出ましたね!(・・・と感じた)

 キュープラー・ロス、の本は以前読んでいる。
    *精神科医 

 受容のプロセス・何段階かに分けて、人は(困難極まる
運命(さだめ))をも受け入れていくのだと。



 かって、心理学・哲学・死生学・
(必然として)宗教学 の書を読みあさった。
 読んだ内容の心に残る個所をノートに書き写してもいる。
     100頁
 丸善の300頁の分厚な大学ノートが、(大昔のは
やむなく処分して)十数冊ある。
 キュープラー・ロス女史のそれもどのノートに在る
のか、探すのにエネルギーを要する。
なにしろ、書き写したシャーペンの字も薄れ、判読
出来ないくらいの早書きだし。
ナンバーと共に年代は記してあるのだが。
 
 それでふと思い出したのが、―老婆に変装して巷に
出没した(周りの対応・反応をみる試み)
―という、それがキュープラー・ロスだったか他の
女優さんだったか・・・

 思い出せない。記憶がごっちゃになってる?!

 
 このブログでは、シンクロニシティに関しても
記しておられる。

 必然の偶然という、
ユング説くところの 同時性共時性
偶然の一致 。必要な偶然であるということetc・・・




 わたしも時に体験する。大層な事柄ではない
のだが、小さな偶然が次なる偶然を呼ぶと
いうような。
 *上記に関してはいつか機会があればまた。。。



      

         
     ノスタルジックな時代   

 また、ある方のブログ記事では、

 “昭和の時代” の
写真が載せられていて、これは年代的にも重なる
部分が多くて何やらノスタルジー?!な気分に・・・。

 わたしは戦後生まれながら、紙芝居も
木の盥での行水も体験している最後の世代?!
(・・ではないだろうか)

 紙芝居は自転車をひいたおじさんが、回ってきて、
白い飴の材料を棒か箸の先に取り、器用に動かして、
キツネとかウサギとかの形にして色も付けて、売る。
飴を買った子だけが紙芝居が見られる。

 飴が買えない子は後ろのほうか塀の角に隠れるよう
にして見たりした。
 そんな記憶。

 

 すこぶる物持ちの良いわたしの家には、こんな物たち
が今も現役で活躍中なんです!


 簡易プレーヤーとレコード盤 (他にもまだ多数有り)
幼い頃の娘たちに、聴かせたものです。
33と45 切り替えになってます。

幼き子に聴かせながらもっとも寝つきの良かった?
「夕焼け小焼け」の盤に傷が付いて途中で同じとこを
グルグル・・・、
慌てて手動で動かしたりもした(笑)


 それらが今、娘の子(マゴたち)に役立ってます。

 おとなしかった娘たちと違って、マゴどもはかなり
ヤンチャで乱暴でもあるので、プレーヤーやレコード盤
を使う時は気を遣います(笑) 

 針の代わりはないので、
触りたがるのをバーバはけん制?!したりして。

 子育て中に唯一じぶんのために買ったのが
“赤い鳥”「竹田の子守歌」B面が「翼をください」
山本潤子さんの染み入るような透き通った声。
 子どもたちにも聴かせながら、じぶんも耳を傾けて
きたのだった。

 赤いのが多分、ソノシート。


 他にも娘たちが使った木の三角や四角の積木や
ひらがなと絵の付いた積木などが現役中です!

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 ノスタルジックついでというか、以前、こんな文を
書いたのを思い出した。以下に。

    

      いざ 生きめやも

 姉が書いた文のなかにこんな個所がある。
「ヒャラーリ、ヒャラリコ・・・ 映画「笛吹童子」
の哀調を帯びた主題歌が○○年の遥かなときを超えて
鮮やかに蘇ってくる・・・」

 
 え~っ!  ○○年? そんなに昔だっけ?
これについては、私にもちょっと思い出が残っている。
と、そんなことをあれこれ考えていたら、また
「笛吹童子」に出遭った。田辺聖子さんのエッセイ
のなかで。

 「白髪のおっさんが子どものときの映画を
なつかしそうに話しとんねん、それが「笛吹童子」
に「紅孔雀」や。
「紅孔雀」いうたら、この間のこっちゃないかいな。
ついこの間コドモらが騒いでたなあという感じや。
それがそのコドモら自体がもう白髪になっとんねん。
憮然とするデ。何が「笛吹童子」や。

 

 つまりは「アッという間にトシがいく」という
感慨である。
 
 

 偶然にも笛吹童子が二つも目に飛び込んできて、
私も思い出さずにはいられなくなった。
話は姉の「笛吹童子」に戻る。

 実はこの映画に、妹の私も連れられて見に行って
いるのだ。お姫さま役のの女優さんのナンテ、キレイ
なひとだろう、幼いなりに発見もあったのだけれど、
何と言ってもチャンチャンバラ、斬ったり斬られたり、
オドロオドロしくて怖ろしい映画だった。
 戦の場面になると見ていられなくなって、座席の下に
もぐり耳をふさいでいた。

 ようやく終わって、あぁ、やっとこれで家へ帰れる!
胸を撫でおろしていると、姉と友人たちは、
私の手に十円玉を握らせ、言ったのだ。
 「ネ、もう一回、見るからネ、イイ子だからネ!」

 泣きそうになって、また座席の下にもぐった。
手に十円玉をしっかり握りしめて。


 作家のお聖さん宅の、年配諸氏は
「何やら生きぬくうて」
「このごろ、鎧が重とう感じられましてな」
と述懐しつつ、何とはないその夜の結論、

「いざ 生きめやも  鎧の重くなりぬとも」

 ということになったのだそうな。


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