意味ある偶然の重なり・・
 
身辺に起きるあんなことこんなこと、
些細なことだけれど、何か不可思議な“縁”
のようなものを感じる事柄、
 を、アトランダムに挙げてみる(試み)。


 *山本潤子さん
最近のブログ記事5.16 昭和の時代
「ノスタルジック・竹田の子守歌」の項で、
たまたま山本潤子さんのことを書いた。
 翌十七日の新聞で、
―山本潤子さん・歌手活動無期限休止―
こんな記事が出た。
 
 
  
 *パソコン遠隔操作事件
 部外者の素人目には、その目的も理由も定か
ではないような珍妙な事件だ。

 片山被告が自分が犯人と認めた。
識者によれば「自己顕示欲が強い」
ということだったが、
素人判断では、技術(パソコン)過信ではないか、
カンタンにコトが進んでいって、止められない・・・
 
 のちに、母親から
「真犯人だったとしても受け入れる」
と言われたという。

 子を思わぬ親はいない・・・

たとえ、罪を犯したにせよ、子であることに
変わりはない、

 まず大方の親の心理だと思う。


 そこで唐突に思い出したことがある。
 何年か前の「少年A事件」

 かなり衝撃的な事件で、のちに母親の手記
[「少年A」この子を生んで]
を読んだ。

 読んでいるうち、妙な違和感があって、
何だろう・・、この母親、の気持ち、言い分、
タガがハズれてる、ネジがユルんでる、
何処か 肝心さがズレてる。
・・・随所、歯がゆい思いが残ったものだ。

 このような場合、親の対応は様々だ。
いろんな母親は居るのだし、ここでくだんの
事件の母親たちのことを評するつもりはない。

  
かなり古い話だし、それをブログに書くのも・・
と、躊躇っていて、
やはり書かないでおこう・・・、

 そう思った矢先、
  5.24朝刊、
「神戸連続児童殺傷 遺族が手記」 の記事が出た。

 小六の少年が殺害されて二十四日で十七年となる由。
父親が「**が居なくなった日のことは今でも鮮明に
記憶している」とする手記を公表。
(当たり前だけど親や関連者にとって“古い”“昔”は
ないのだ)
 


 *上記 アトランダムに書いているのだが、
すべからく、“偶然の重なり”について書いている。

 他人から見たら、些細な、ただの偶然。。。
に過ぎないことでも当人にとっては えっ!! 
というような ”意味のある偶然“ 
“同時共時性”の出来事である。


 過去にはこんなこともあった。

*山尾三省氏(1938~2001)
のナチュラル思考な詩や文が好きで、よく読んだ。
 最初に読んだ、「縄文杉の木陰にて」「聖老人」

屋久島にある「縄文杉」・・・
樹歴7200年という途方もない、見たこともない、
おそらく見ることも叶わない、老大木が
わたしの心にインプットされた。

 縄文杉・・どんなふうなんだろう!?

 翌日か翌々日、
新聞の第一面、左側に大きく、 

「縄文杉」の写真が載った。

 なんの前触れもなく、いきなり、だ。



 また別のことでは
 
*旧友・パク(愛称)ちゃん 
 青春時代、仲がよかったパクちゃん、
離れてからも、しばらくは年賀状の往来はしていた
が双方の引っ越しが重なり、いつしか途絶えていた。

 年賀を書く時期が近付き、ふと、
パクちゃんどうしてるだろう・・・ 
思い出すともなく浮かんだ。

 その日だったか、翌日だったか、
通勤帰りの地下鉄で、彼女とぱったり出遭った。
夕刻のラッシュ時、彼女の住まいからは離れた
沿線で、数両もつづく車両の、同じ昇降口付近で。

 数十年ぶりの再会だった。
わたしの下車する駅でいったん降りてくれて、
慌ただしくも互いの近況を確かめあい、住所も
交わしあった。

 再び、年賀状の往来が再開されて、一年、二年目。
彼女のご主人から

「・・・パクは亡くなりました」と返事がきた。
昔、泊まりに行ったこともあり、ご主人とも旧知である。

 大恋愛の末、結ばれた二人である。
主人の慟哭の沁み込んだ返信を読んで、わたしの心も
時間が止まってしまった。



 ***こんなちいさな偶然、当人にとっては必要な偶然。
 誰しもあるとおもうのだけど、ちょっとブログ記に書いて
みた。


 散策路で出遭った薔薇
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