2014.06.26 flower
    flower


    触れればカサカサ  
             音がしそうに
         乾ききった花の束が 
      店内の低い天井から  
                    あちら こちら 
     吊り下げられている。


    厨房の山本くんの 
          きょうのデザートメニューは 
       ヨーグルトシャーベット。


   くすんだ土色の花先が  
                 人口的な風 
         に乗って揺れるのを  
                         目にしながら
     白いシャーベットを掬う。


    むかし  
         キリシタン弾圧の厳しい刑 
     のなかでも 
           もっとも 苦しい刑が 
      さかさ吊り だったという。


   シャーベットは 
       ほどよい甘さで  
               ほのかに酸味以外
    の味もして 
           絶妙だった。





   


           昔々のバイト事情

 学生の頃、喫茶店やレストランでアルバイトをした。
いろんな店で働いた。
 その頃の飲食店の従業員の扱われ方というか待遇には
お店によってかなり差があった、と思う。
 それは今でも変わっていない面もあるにしろ、
その時代はなんぼなんでも差がひどかった。


 様々な可・不可、良・不良、その双方を、わたしは
体験してきている。

 一番働きやすくて楽しかったのは、「k餅総本家」
の経営するレストラン。
熱田神宮脇の由緒ある総本家である。

 その頃は従業員も多く、本家の和風の建物内には
ゆったりとした和室の休憩所があり、その壁に
ずらり~、と鏡台が並んでいた。今でいう化粧室と
いえばいいだろうか。

 女子専用部屋だったかもしれない。
食事を終えた女子たちが、各々、鏡台の前に座りこんで
いるのを見たときは見慣れないものを見る驚きで、
しばし見とれたものだ。

 玄関入ってすぐの広い三和土(たたき)の間で、
食事も、ちゃんとしたお椀やお皿に、普通の家庭
で出るような魚や惣菜が盛られていた。一同それぞれ
のお盆を持って広~い横長のテーブルに座って頂く。

 ただ、賄いのおばちゃんがちょっと、おっかない。
残すと叱られるので、わたしはどうしても食べられない
のは見付からないように祈りながら、膝の上のチリ紙
に包んで持ち帰ったりした。それも懐かしい。

 男子はレストランの上階の休憩室にたむろして、
ワイワイガヤガヤ、麻雀の卓を囲んだりして、横で
見ているわたしも楽しくなるような雰囲気だった。

 お店も本家も経営者もともに上質であったと思える。
店は縮小されて当時の賑わいは夢の夢になったが、
今でも商店街一角の元の場所にあるし、神宮東の本家
の和風宅も健在である。
  熱田名物・「k餅」は、餡を羽二重のお餅に包んだ
品の良い味。次女の大好物でもある。



 その一方で、繁華街・錦通りにあるお寿司屋・
k寿司は大きな建物でありながら、従業員の宿舎も
無く、ビル内上階の客座敷に、夜になったら布団を
敷き寝ているようだった。
 病気になって寝込んだら、屋上のトタンぶきの、
夏はカンカン照りの暑い、冬は吹きさらしの寒い
堀立小屋で休むのだった。

 休憩やお昼も、ホール脇の狭小の厨房で済ませる。
その昼ご飯といったら、エサ・・・、この表現はまこと
に使いたくない、のであるが、まさに、器からして、
ブリキ?みたいな椀や皿なんである。
 当世・お犬サマでもかなりシャレた器を使ってますよネ。


 食べ物もまともなお菜、ともいえないような粗末な
モノで、板前たちは卵をどっかからか調達して、ご飯
に掛けてかっこむ・・・というような。

 バイトのわたしたちは、あまりの粗末さ粗雑さに
度肝を抜かされ、家からおにぎりなどを持参した。
 寿司店のオーナー家族は、もちろんエサなどでは
なく、店内の最高額の極上天麩羅定食を作らせ、
食べていた。

 当時は遠方から、ろくな情報もないまま集団就職で、
送られて来た子たちが多かったのではでなかったか。
「k餅」、「k寿司」などに振り分けられ、運・不運に
分けられるんだな。。。
 と、当時のわたしは感じたのである。

 繁華街にあるその寿司ビルはその後、建て替えられ、
内容は一部貸席ホールなどに変わりながら、今も有る。


***以上、
 現在の事情はよく知らない、あくまで今は昔、
そんな飲食店“思い出ツール”であります。

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