私製・リレキ!? 

最初に入社した興和(株)の
わたしの仕事は、薬品部・受渡
で、各工場から医科向け、薬局向け、
コルゲン50T、キャベジン70T、etc・・
送ります“
など電話を受けたり、各支店へテレックスを
打ち込んだりするものだった。


そこで数年か勤め、退職した翌日、竹芝桟橋
から大雪山丸の船底に乗り込んで北海道“放浪の旅”
に出、夏から秋、冬・・・。
***(当ブログ記2013/9/13「遙か旅路」)*


二度目の再就職、コンピューター社にトライ
したのはその年の冬・十二月だった。



    旧機器・テレックス

興和・薬品部で最初は
テレックスを習わされるのがイヤで苦痛だった。
が、キーの位置を覚えてしまえば、
どうってことない!

テレックスには漢字も変換もなく、全カタカナ
とローマ字、テンキーしかなく、送信時は電話
みたいにダイヤルを回す。

受信時には、ブ~~とか、ジ~~とか音が鳴って、
やがてカタカタ、カタカタ・・・と印字され用紙が
出てくる。 

ひと昔ふた昔前、ニュースなどの折、
印字孔の空いた細い紙テープが写ったり
しましたよね、あれです。

って言っても若いひとには分からないかナ・・・・?
 

あらかじめテープに打ち込んでおいて送信したり、
ダイヤルして送信先に直接キーで打ち込んだり。

機器そのものは大きかったが、操作は比較的、
単純明快?!なものだった。


ここでキータッチを体験したことが、
後になってのパソコン・ワードに役立っている。

 

薬品部だけでなく、会議室の役席や紡績、物資
の重役へ受信を知らせに参じるようになって、
上席から顔を関知されることはなかったにせよ、
わたしのほうは、それぞれの重役のお顔やお名を
覚えた。


 
     その後の変転

ずっと後、四十代に突入しての、三度目の
デスクワーク、東海BK・本店で受けた求職試験
では、求人数にたいして応募者が溢れ、かなり
厳しい倍率であった。

あぁ~これは、もう、 ダメだ・・・! 
 
ペーパーテストの後、諦めの境地で臨んだ
面接の場で、年配の面接官の口から興和の
重役の名が出、当時のことを訊ねられた。
わたしはそれに思い出どおり、こたえた。





   人生 働きどおしですねん・・・

職歴三社とも、栄の繁華街エリアにあり、
育児中のブランクを挟みながらも数十年にわたり、
繁華街への通勤生活をした。



子が小さいあいだは内職や朝や夜やいくつか
パートを続けたりして家計をしのいだ。


そして現在も時々であるが、未だ、パートに
出ている。 

体力の衰えと並行して、不況など、仕事要請の
日が減って、いっそ助かっている。

 


***最近の新聞で、
旧東海銀本店 リニアに合わせて建て替えへ
の記事が出ていた。

その本店ビル・建物は古びているが重厚で荘厳
とも見える。

十数年前、
世紀の合併期を経て、師勝の新ビルに移るまで、
朝の出勤は重厚な建物の錦通り口から入り、
仕事が終わると賑やかな広小路口のほうから
出て、帰った。
 

 
*コンピューター社はその後、変転を経て
元の社名はない。 

が、当時のOBによる「BOB会」の
交誼が今も続けられている(ようである)。


 
***ここでまた話がぶっ飛ぶんですが。。
当ブログは話題が縦横左右、微塵・自在に飛ぶ、、、
のが特徴デス、スイマセン



    播州って関西弁ですよね?

次女のむこさんは播州は加古川出身、
大学・大学院を岡山で過ごしている。

、、、なのになのに、標準語です、

嫁はんである次女によれば
・・・うん、たまにイントネーションは
出てるみたいよ、、、


コンピューター社時代には、各所からの
営業マンたちがいて、見事カンペキな関西弁
が飛び交っていた。

スキーに行くときは独身寮(藤が丘にあり、
わたしもよく通った)
から出発で、そこでも関西弁が心地よく響く
のを聞いた。

お笑い番組はあまり好きでないけど、
健康番組のほっしゃん。さん、の柔らかな
トーンとか、
たまにチャンネル回した途端、
ダウンタウンさん二人の軽快な強烈な
トークは聞くのも、字幕で読むのも
潔くて好きやねん、、、デス。



   朝食用の野菜と
ハープ茶用の葉っぱたち
DSCF0203.jpg



Secret

TrackBackURL
→http://fuurenka231.blog.fc2.com/tb.php/154-703b3d13