やり残したこと二つ

一つは富士山登山。

これは昔からの希望ではない、
近年、富士山登山の番組をよく見るようになり、

・・・そういえば、富士山、登ったこともない、
と気が付き出し(なんと、遅っ!)
一度は行きたかったなぁ~~
この願望はもはや、過去形になりつつある。。

テレビで見た「癌患者さんたちが登る・・・」と
いう番組では一人の患者さんに数名のベテラン登山者
のサポートが付き添う・・・というものだった。

本格的登山の経験もろくにないうえ、体力の老化
も著しく、・・・実現するのはムツカシイ・・・

年末年始時の登山道の混雑ぶりを見るにつけ、一層、
はぁ~~、こりゃ、ムリ。。。
諦めの境地に至りかけている。


   
    もう一つは

死ぬまでに一度は歩き遍路に出たい。。。

折々書いているが、わたしは
基本的に特定の信仰は持たない。

信仰は持たないが、大自然をつかさどる
巨(おお)いなる力には畏敬を持つ
そして分厚な仏教書をひもとき
聖書をも開く
般若心経も暗唱している
寂聴さんの「般若心経」読本・入門も読んでいる
が よく意味は分かったわけではない


5日のバス遍路旅の折、心経を唱えるとき、
わたしのは聴いて覚えたのではないので、教本なし
だと、どうもリズムが合わない、
途中から付いていけなくなったりして、教本に
頼らざるを得なくなったりした・・




正直なところ、お寺巡りにはそれ程の執着はない、
(お寺の雰囲気は好きで、過去の旅でも時々
寄っています)



    ただ歩きたい

ではなぜ、 お遍路??

ただ 歩きたいのだ・・・
歩くだけなら、なにも遠い四国まで行くことも
ないではないか・・・、

自身のなかでそんな思いが錯綜している。

若い頃から九州、四国の一部と観光地を除き、
千々浦々歩く旅をつづけてきた。

北海道の各岬から、東北・竜飛岬、大間崎、
啄木の岩木山、磯の海、賢治の岩手、花巻農場、
仙台、福島、中部の山裾、熊野古道、
京、奈良の古道、山陰、出雲、青海島、秋吉台・・・
山辺を歩き海辺を歩きに歩いてきた。


残るは四国遍路のみ、なのだ(・・・とじぶんでは
思っているふしがある)

究極的にいえば
一番~~八十八番・順番でなくともよい
必ずしもお寺参拝が目的でなくともよい

行きたい・歩きたい札所を巡れば それでよい


   
    遍路旅の本

かなり昔から、遍路旅・志向のゆめは持っており、
幾多の本なども読んでいる。

古くでは(読んだのはたぶん、1990年代)
西村望著
―――ものすごく歩いて歩いて、考えて考えて、歩くと
いうことは考えるということですからね。

・・・ですから旅の途中にある札所ははっきりいえば、
旅人にとっての一里塚。極論するならば八十八の札所
というのは遍路にとって八十八の休み場・茶店、
そういってもいいと思います。


2011年に読んだのは
細谷亮太・聖路加医師 
(これは多分ベストエッセイ集収録)

―――三十年間勤務のごほうびに病院が十日間のお休み
をくれたので、〈歩き遍路〉をしてみることにしました。

・・・何故、お遍路なのかは私にもはっきり
判りませんでした。しかし、八十八か所のうち、
徳島の一番から高知二十八番まで行程三百三十㌔ほどを
歩いているうちに、少しずつ憧れの理由が判ってきました。
来てよかったと心から思いながら過ごしました。
残りの千数㌔も、そのうち歩きたいと切実に思っています。

  へんろ道 はじまりにある なんでも屋
  へんろ道 落椿ふまぬよう ふまぬよう

・・・夜が明けてから日が沈むまで、ただひたすら
歩きつづけました。
  
  もう一ヶ寺 もう一ヶ寺と 来て朧



最近では 「だいたい四国八十八ヶ所」
宮田珠己著 旅のエッセイスト

―――「歩いて全部まわりたい」という欲求だけで
お遍路に挑戦。金剛杖も数珠も持たず、足かけ三年間
で六十四日を費やし、八十八ヶ所を完遂する。

 結願して、最後には「あー面白かった」 そして
「電車に乗ってさっさと家に帰った」のだ。
  



    募集中!

上記読んで、お遍路行きたくなった方、
体験者で再度歩く予定の方、
“地図が読めず、ちゃんとしたコース計画の出来ない、
体力もさして無いひとりの団塊ガール”を引き連れて
宿の手配などもしてくださる同行者・・・できれば男性
もしくは男性脳の女性! 数名。


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