2013.05.07 星めぐりの歌
    
   宮澤 賢治


あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ
オリオンは 高くうたひ
つゆとしもとを おとす
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち
大ぐまのあしを きたに
五つのばしたところ
小熊のひたひの うへは
そらのめぐりの めあて



宮澤賢治の作品は どれも リズムが ”いのち”



星めぐりの歌は賢治が、曲を付けたそうである
たまたま その歌を聴くことができた
スローなそのまま まっすぐ・・・な歌


 ときどき、賢治作品を 朗読している
モチロン、観客なし、独演・・です 笑


 そのリズムが とてつもなく いい!
けれど、どれを読んでも なにか モノ哀しい
そこふかい かなしみが せりあがっては しずんで
たましひを ひたしてくる


 
***世間に一顧だにされなかった宮澤賢治の詩を、ごく初期に
認めた中央の文人が、草野心平と佐藤惣之助、そして、
辻潤だけだった
・・・を、

以下の書から発見。


  
 

   山靴の画文ヤ 辻まことのこと       駒村吉重著


 辻まこと という深い森の霧か闇に分け入り、彷徨し、
いくらか見晴らしのきく尾根か原っぱの方位にむかって 旅さながら
さがし歩くという 著者・渾身の書である(・・と思う)


 辻まことの父母は 辻潤、伊藤野枝である。

 伊藤野枝のことは 寂聴氏の著書や その他で多少読んでいるが、
辻潤に関しては ダダイスト、稀なる才を持ちながら、哀れな末路・・
という程度にしか知らない。
 

 辻まことの周辺には、  詩人竹中都、小磯良平、
竹久夢二の次男竹久不二彦・・・などが出現し、また まことも
草野心平の詩誌 「歴程」同人であったという、
 
 戦後生れの読者には、書のなかでしか出遭えない 
-夢のつづきでも見ているようなー 幾多の名がひしめくよう
に顕われてくる。
 「歴程」 初期には 中原中也 高橋新吉
そして、井上靖 石垣りん 北杜夫 宗左近 谷川俊太郎 
山本健吉 中上健次など、詩人、文人の顔触れ。

 
 山歩きもする画文ヤまことの周りには、他にも、串田孫一、山本太郎、
鳥見迅彦 の名も 散見する。


 親の辻潤 伊藤野枝の時代であれば、金子光晴、
そして のちに野枝が許へ走った大杉栄、 革命家 幸徳秋水 荒畑寒村
など昔日の逸材の出現も含め、
”ものがたり”は 右往左往、縦横、斜め、× ÷ √・・・とばかり 複雑に
駆け巡り、読むほうも、多少骨が折れる。(・・駒村さん、スミマセン)

 しかし1968年生、ーまだ若いー 著者の 並々ならぬ筆致力・力量である。

  

 「本当の友だちとと言えるのは、ショーペンハウアーだけだよ」
ともらしたという 辻まこと。  -ここでもショーペン・・が出てきたー
                **註・ブログ  ピアノソロの幸福**
 
 病床のベッドの上に立ち上がって、山用のロープの輪で自らの
最期を計った辻まこと。
 表現しきれない 「辻一」  作者いうところの ”糸ダマ” は 
結局のところ、
読み終わっても、もつれからみあい解けない・・ままである。

 むしろ、まことの友人竹久不二彦、それに父・辻潤の人間像
が、くっきり 浮かんでくる。


 「辻公」の孤独を知っていた竹久「チコさん」
ー業界新聞のデザイナーにおさまり、定年まで日々の業務をたんたんと
こなして生きてきた 妻と娘にささげた、いたって地味なー
  -夢二のしなかった事、出来なかったことはしないー「夢二イズム」
を 後生大事にしたという不二彦さんに 魅かれる。
 
   
 辻潤 -惨憺たる生き方ー 
時々錯乱して、貧困の底で最後は野垂れ死のごとく シラミに
たかられて冷たくなっていた 六十年の生涯であった。

 父子二人が背負った 「自由の十字架」
著者もまた、 それを負うひとのようです。


 「自由ってさ、とても単純なことだと思う。自らを由(よし)とする。それだけだよ」


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