十兵衛せんせいのこと

 

 

白鳥山(はくちょうさん)こと・白鳥御陵の横の道をはさんで、

中学校がある。

 

 “じゅうべえ”・・と呼ばれる国語担当の先生がいた。

苗字は  柳生 と言う。

だから、十兵衛、って仇名がついたんだ・・・、単純にそう思っていた。

 

 

 卒業して数十年も経って、新聞の囲み記事に、

「柳生道場 指南、・・・柳生新陰流・・・」、とあり、

国語教師だったじゅうべえせんせい、見覚えのあるその人の写真が

載っていて、

 

 仰天した。

 

ほんものの  柳生流の子孫だったんだ・・・!!

 

 

 後で知ったのであるが、上級生や卒業生のあいだでは、子孫だ・・

そういう噂もあるにはあったらしい。

が、戦後生まれの我々が生徒だったころには、柳生十兵衛、だなんて

歴史上の人物か、時代劇映画の主役・剣豪?!  というくらいの認識

しかなく、もし、噂を聞いたとしても、だれも信じなかったと思う。

 

 

 新聞で知ってから、また長い歳月が過ぎている。

柳生延春 先生、  今もご息災かな・・・、

ネットで調べてみたら、数年前に亡くなられていた、88歳病没と

いうことだった。

 

 

   

     北の湖師匠の功徳

 

 北の湖さんの石碑が立つ山門をくぐれば、由緒あるお寺の森閑と

した境内である。そこの山のような崖のような登りになっている

杜が「御陵」なのである。

 寺と杜との関連はよくは知らない、そんなこと関係なく、考えも

及ばず、その杜の山や崖に登って遊びほうけていたのだから。

 **残念なことに、その後の伊勢湾台風禍や手入れやらで、昔の

うっそうと繁った「杜」の面影はなくなっている。

 

   

 

   なつばあちゃんの流儀

 

母は、信心深い人だった。(娘のわたしはその点、DNAは受け継が

なかったようで) 

元気なあいだは無論、“脊柱管狭窄症”からキセキ的に立ち直った

後も、そして施設に入る直前まで、お寺に参って手を合わせ、そのあと、

境内や御陵のまわり、中学の通学道など、落ち葉やごみを掃いていた。

 

 家の中は奇麗にしなくなっても、外の掃除には励んでいたのだ。

境内や、中学生たちが歩く道の落ち葉掃きはきっと、母の何よりの

気晴らしになっていたのだろう。

 中学校の教頭せんせいや中学生たちが母の家にお礼に伺って見えた。

 

お寺さんの当主も感謝して、地代を安くし、なつさんが住んでいる

あいだは 土地の撤収も待つてくれた・・・と聞いている。

 

 寺の当主の弟なる人は、うちの次女が通った大学の、仏教の教授でも

あった、現在はわからないが。

 

母の家、つまりわたしの生家跡は 今は寺所有の駐車場になっている。

まわり、どんどん そのような駐車場が広がっている。時節の都度、

熱田神宮参拝の車で 満車になる。 寺の経営はまず安泰ということ

のようであろうか。

 

 

 

 

  シンプルライフの裏には

 

 施設の母の持ち物の少なさは、長姉の尽力によるものである。

 

 呑んだくれで頑固で人間嫌いで役に立たない父、に代わって、

上の姉は“総領”として、母親と力合わせて家族の生活をささえて

きた。

 

 

現在、母の年金も貯金もすべて総領・姉が一存で仕切っている。

生家の取り壊しの際も、妹ふたりは何も聞かされておらず、

・・・壊して、もう無いから。 母には知らせないように・・。

と 後で言い渡されたのだった。

 

 

 つれあいと母親と、両方の世話をしながら、姉は長年突っ走って

きたのだ。

二人の妹は住居も少し遠方だし、仕事を持っていたり、絵を描いて

いたり、それぞれの事で手一杯だったし。

異議、モノ申す、・・・資格はない、と言えようか。

 

 

    

夏休み!

 

  長女んちの6歳、3歳のチビたちがやってくるようになると、

普段はいたって閑静な我が家は騒乱・錯乱状況と化す、いつも書いてる

けど・・

 パソコンも 6歳に占有される。

 

 なので、ここしばらくは  ブログ更新も変則式になります・・・

 

 

  

恥ずかしながら・パソコン歴何々年?!

 

 今年1月、どーにかこーにか、ブログを始めて、写真も無く詩と文

だけでつづけてきた。

旅に出た記事の時、風景や なつばあちゃんの姿とか、

あぁ~写真にして出せたらいいのになぁ・・・って、思うこともある。

 

 ずいぶん、昔からテレックスなど、キーは打ってきた。二度めに

勤めた職場は 外資系のコンピューター社でもある。

 ショールームや機械室には6畳くらいある大きなコンピューターが

数台も並んでいた。

 

 ワードで詩誌も作成した。パソコンになってフロッピー使用の頃

までは何とかこなしてきた。ビスタに買い替え、数年経って、わたし

もトシ取って・・・、技術の進化は  ザ・ストップ!

 

 デジカメ、買えないわけではない、マニュアル冊子 開いて、

写真の頁になると、目が点になり、アタマがぐるぐるまわり・・・、

 

 “にほんブログ村”をネットでみつけ、何とか入会(失敗を繰り返し)
までこぎ着けた、 村長さまから 何々・・次第・・、の指示を受け、

目こらしてみると、 ・・*+P‘<@@##:/.,○×・・

 またして アタマがくらくらっ めまいがしてきて、何がなんやら・・

わかりませぬ、できませぬ、

 

 これでまぁ、入会できなかったら  しゃーない!!

 

 

という、わたくし・PC・なさけない歴史の披露であります。

    

 

     ただいま、凹み中!!

 

 パソコンに関しては すべて独学でここまできた、身近に教えて

もらう人がいない、習えば?? って、何々年、キーを打ってきて、

今更・・・

 

 と、思ってきた。 最近、ぶろぐ村シニア世代 を見学するように

なって、  

・・・71才でパソコン習い、73才でブログをはじめました。

 という方の、写真入り素敵な記事をみつけるに到った。

 

  

わたしの腕前といったら・・、なにしてるんでしょう・・・?!

泣き!!

 

 

 

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