闘病中の姉、
    ついに 力尽きる

三年前  膵臓癌 発覚、 手術も経、

その後 
いくらか 小康状態を保ち 再び 絵筆を持ち
油絵を描きだしたものの 体力は落ち 大作が
完成できなくなり  嘆いていた。

数年後    再発。

肺に転移。


入院はせず  自宅で 通院療養をし、
寝たり起きたり、  

一時は 食欲も少しずつ回復し、
生きる!生きたい!・・・ 意思で 果敢に 
ひとり暮らしを保った。


5月~ 診療の後、数値が芳しくなかったようで、
その後  は  自身のブログも続かなくなり、
寝込むようになった。


6月~  自力で起き上がれなくなり、寝たきり。

入院を拒み、自宅療養、 

ひとり娘の尽力で地域支援・ヘルパーなど申請、

しかし それには 限界があり、 娘はじぶんの
家族のこと 仕事のこと(勤務は一時休止)、
あまりに 負担重く、


6月~、 頑なだった姉は 自ら 

 「にゅういん する」

と 言い、

しかし  すでに 治療の手立てなく、 
緩和ケア病棟に入る。



  医師からは  夏が越せるかどうか・・、
           6月中 持つかどうか・・・、



ケア病棟に入ってからは、 安心したのか 食欲も出、
顔色も 良くなったようだった。


が、 症状は末期で、黄疸やむくみ、 種々の禍を
負いつつも  
見た目は それほどの 苦痛はないように見えた。



    7月に入り、
      
しきりに  「母に会いたい」・・・  と。


施設にいる母は 101歳、  もはや 認知は進み
だれのことも判明できなくなっている、

  それでも  会いたい、、、


11日火に   母の施設に連れていくことを決め、 
楽しみにしていた、  が、 当日、いや その前から
容体は芳しくなく、 一進一退をつづけていた、


母に会いにゆくのは  中止。



それで その日、わたしは  母のホームに出掛け、
母の 写真を たくさん撮って、

母の近影を 付き添っている姪や本人の携帯に 
送った。



翌日  ベッドの姉に  

  母はげんきだよ  変わりないよ

と 伝えると、


 姉が  こう言った
 
  「きのう  おばぁちゃんに あいにいったよ、」


一瞬  えっ、 と  思ったが、

送った写真を見て、 実際に行って逢った、、と
錯覚してるのかもしれない、、、


   そう、会いに行ったんだ・・・ よかった、
   ばぁちゃん、  元気だった??

   「うん、  げんき  だった 」
 


錯覚だろうと  錯乱であろうと、 それならそれで
いい、、、

夢にでも会いたがっていた ”母と会えた”、、、

その思いが 心に残せたのだ・・・、




   7/14日

医師より  危篤 の通告。

意識なく  睡り続け  そして 夕刻、そのまま

睡りのまま  息絶えた。




   苦しみもなく  穏やかな  姉の最期だった。


 ***生前 姉を 慮り  あえて姉のことは触れずに
通してきました   関連の方々には ご了承ください


***姉は 主体美術、および むさびの会(武蔵野美大OB)  
会員でした
  


***
 
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