2013.10.07 詩  思ひ橋

 

    思ひ橋                

 

 

用心深く

*一の橋 二の橋 三の橋・・・

と 渡っていく

池も古い家もすでに見当たらないが

思案に暮れた橋を 尚も捜しあてていく

 

      ☆

 

ホームに居る母が時々ふさぎこむと聞き 昔のルーツを辿ること

を思いついた 父母の名前 兄妹の名前、すぐには出てこなかった

が 父の栄太郎の名を思い出すと後はすらすらと言える 上の二人

の兄は若くして亡くなったらしい ・・父親は頭がいいひとだった

・・ へぇ、じゃ、本や絵が好きだったひとは何番目のお兄さんだった?

 母の視線が遠く泳ぐ

 

昔、納屋に古びた本棚が置いてあった 厚い書物がたくさん並んでいて

学校から帰るとすぐに裏庭を通り抜け 小屋に入り分厚い書物に読み耽った

色褪せた赤い表紙や青い表紙の 母の兄が遺した本の群 そこで

「明暗」「行人」「それから」「舞姫」など たくさん読んだ 

旧仮名づかいで細かい漢字がぎっしり詰まっていたがすべてに振り仮名が

付いていた 

“アンクル・トムス”に出遭ったのもそこである

 

 それは三番目のせいぞうにいさん、だよ、 書くことも好きでね、

だけど戦病死した、 二番目のかんじにいさんが、裏道からよくお寺に

お参りに行ってた、じぶんの胸の病気を治したくてね・・・、

もう、すっかり忘れてしまってたよ・・・

 

そういうと 母は傍らにあったタオルを取ると目がしらをふき、顔を覆った

元気づけようとしたのだが 逆に哀しませてしまったかもしれない

 

           ☆

 

九十歳を越えて詩を書かれる方がいる 詩誌のいつも最初の頁に載る作品を

ひそかに心待ちしていた おそらくお会いすることも話すこともないだろう

その方の遠い遠い風景が おぼろに霞み 風に揺れる麦畑がさざ波になって

寄せてくるように わたしの処に届いてくる

茜の空にむかってなにもお返しもできないけれど いつか霞む橋に辿りつきたい

とは思っている

 

たそがれの空を仰ぎながら家路に着くとき 

この頃 口癖のようになっているあいさつを自分に返す

 *おしまゃーす おしまゃーす

             

*の部分のみ・詩誌「仙人掌」・同人作品よりお借りした   

     

 

 

 

   

           いざ 生きめやも

 

 九月終りから十月初めにかけて、早朝の鰯雲、鱗雲の美しさと

いったら、ほんとに見事、だった。

 それをブログに書こう・・・、と思いながら、パソコンに向かう

余裕がなく過ぎてしまった。

 

 映える空の下、数十羽の雁たちが 羽ばたきながら ふゎ~~、

いっせいに川面に降りてくる。

 ツ、ツツ~~、水面を波立てて滑るように 着水。

おもいおもいに水浴びしたり さかさに頭突っ込んでいたりする。

 

 

     

秋に悶える?! 

 

最近の新聞記事、作家・藤沢周氏 「秋に悶える」

 

として、こんな美しい描写があった、読まれた方もおられると

思うが以下に写してみたい。

 

 

 ―― 朝夕すっかり涼しくなった。となると我儘なもので、

あんなに「暑い、暑い」と文句たれていた夏にかかわらず、去りゆく

季節に寂しい気分になったりする。空高い鱗雲や山の稜線を際立たせる

夕焼けなどを見て、なんともせつないほどの感傷を覚えるのだ。

さらには、秋風に漣を立てる川面やアスファルトを転がる枯れ葉の

乾いた音などにつかまり、感傷よりももっと深刻な憂悶にとらわれる

ことがある。ロシア語でいう「トスカ」である。

 「どうかするとそんな風の余りらしいものが、私の足元でも二つ三つ

の落葉を他の落葉の上にさらさらと弱い音を立てながら移している… 」

――            * 以上 記事より抜粋

 

 

 

藤沢さん、 “詩人” ですねぇ~~!!

 

なるほどそう!、感受性の深いものには、今の季節は鬼門、

なのである。

 

 「トスカ」、 今、わたしもまさしく それ!! 笑

 

 眠れぬ夜を抱かえ、もんもん、憂悶の底知れぬ闇に覆われたり…

する。もっとも 脆弱な資質ゆえ 不眠は長くは続かぬ、

数日もすると 横になった途端、バタンキュー~、

それに昼間、ソファでうつつ…してたり、テレビ見ながら途中から

zzzz…、 なんの心配も要らぬ勝手な 憂悶 ではある。

 

  * 「いざ 生きめやも  鎧の重くなりぬとも」 

 

 

         ゴーヤの “倍返し”

 

 暑いあいだ、ぐんなりしんなりして勢いの無かったゴーヤが、

九月の酷暑の力を得たか、勢いを巻き返している。

うちの三歳女児の腕くらいの太さのが、あっちにもこっちにも

垂れさがっている。  

ご近所にお裾分けしようにも、この頃じゃ、巷の住宅の窓辺や

垣根にゴーやの緑が成していたりして、めずらしいもんでもないし、

それに 意外に好き嫌いのある野菜なので・・・、思案する。

 

 細かく刻んだのを 梅干し用の大きな笊に入れて 天日干し。

それを ゴーヤ茶として、朝いちばんの“湯ざましの一杯”

として飲むことにする。

 長めに湯に入れたままにすると、 

 

ム、ムムム~ わっ、苦がっ!!

 

 

 

 

        読書ノートより

 

 *ヨブはいう、公平など期待できない。理不尽な世界に住んで

いるのだと。神は確かに存在する、しかし、正義や善という限界

にしばられない存在なのだと。    (H・S・クシュナー)

 

 

 *明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。

その日の苦労はその日だけで十分である。(マタイ福音六―三十四)

 

 

 *災難に遭ふ時節には災難に遭ふがよく候。死ぬる時節には死ぬが

よく候。            (良寛 七十一歳の時の思想)

 

 


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