2013.12.17 悲しみの行方

悲しみの行方
      

         

 
                   *

ボラ・サークルの友

 

  市主催の手話講座を受講した後、主だった人の仕切りで

引き続き、勉強会をしようと発足したサークルでのことである。

 

 講師には、きちんとそれなりの受講料を支払うべき、と

主張するYさん、従って毎月の会費も増える。対して、

あくまで基本はボランティアなのだから、講師料は気持ち分で

いい・・・、とタキさん。

 

 Yさんは他で、手芸か何かの講師を務めている人でもある

らしかった。両者それぞれに共感する人がいて、それは共に

譲らず、激しいとも言える攻防戦が行き交った。

 このような講座にも議論の輪にも不馴れなわたしは、口の

出しようもなく、ただ両論を聞いて見ているしかなかった。

 

 

 そのうち、Yさんが舌戦の末、場違いな応戦を始めだした。

タキさんに向かって、

 だいたい、あなたは何ですか?正式な会員でもないのに、

のこのこ現れて・・・、勝手なことばっかり言って・・・!

 

 タキさんは介護福祉の仕事をしていて、不規則な勤務で、

決まった時間に参加したくても出来ない状況だった。後で

知ったのだが、隣市の手話サークルで活動中でもあり、

すでにベテランの域でもあったのだ。

 

 地元で新しく始まった講座が何かと気掛かりで、来られる日

にはやって来る・・・

 

 正式な申し込みもしていないのに、出て来てはいろんな

口出しをするタキさんに、Yさんとその周辺の人たちは内心

おもしろくなかったらしい。

 数人がタキさんめがけ、非難の言葉を浴びせる、それは

相当な礫で、見ていて身のすくむような思いだった。けれど

タキさんは全く怯むことなく、多数の礫に一人立ち向かい、

応戦した。

 

 

 

どうにか閉会になり、みなが帰り出した頃、新入りのわたしは

タキさんに声を掛けられた。あんなに数人から誹謗されても、

タキさんはなんの動揺もない涼しい顔をしていた。

 凄い人だ・・・、強い人なんだなぁ・・・。

 

 その日から今日まで数十年来、彼女はわたしの大切な友である。

 

 

 

           *

         仕事と子育てと

 

 タキさんの職場での仕事は、重度肢体不自由児の担当である。

自力では殆ど動けない子どもたちの生活全般を見る。学齢期の

大きな身体の子もいるし、かなりの重労働でもある。昨日元気

だったのに、今日あっけなく天国へ召されてしまう・・・そんな

ことも日常茶飯事であるという。

 

 タキさんには三人の娘がいて、一番下はうちの次女より一つ下

である。お互いに忙しい身で頻繁に会っているわけではないので、

どの子がどの子なのか、ちっとも覚えられないのだが、時々、

どの子だかが学校でいじめられている・・・ということを聞いた。

 うちの二人の娘たちもどちらかというと、いじめに遭うほうで、

でも、タキさんみたいな強くしっかりしたお母さんの子でも

いじめられるんだ、へぇ・・・、そのくらいの感触だった。

 

その頃には仕事にも復帰していて、サークルどころじゃない、

毎日毎日が吹っ飛ぶように過ぎていく・・・、そんな時期だった。

 

 

            *

        折れた翼 

 

幾年か過ぎ去って、小さかった娘たちもお互い、中学卒業か

高校生くらいになった頃、タキさんの一番下の娘さんが、学校に

行けなくなっていて、ひきこもりになっている・・・ということを

ちらっと耳にした。

 

 ひきこもりになるような子どもの親は、例えば、過干渉か

その逆か。漠然とそんなふうに独断偏見?のように思っていた

のだが、タキさんの家はどっちにもあてはまらない。

 

 お父さんも同じ福祉施設に勤める人である。久々にタキさんの

家を訪ねたら、一瞬、家が見当たらなくてあたりキョロキョロ

してしまったことがある。

家が薄グリーンの壁から突如、黄色に替っていた。家族総出で

ペンキと刷毛を持ち、外壁をぜんぶ塗り替えてしまったんだと。

ユニークな家族に見受けられた。両親とも不規則勤務で忙しそう

だったが、ある日はスキー靴が並んで干してあったり、ある日は

リュックや敷きシートがその辺に散らばっていたり。

 

 問題のある家族関係には見えなかった。もっとも、わたしは人に

深く立ち入るのも立ち入られるのも好まないので、すべてを知って

いるわけではなく本当のところは分からない。

 

 

    

    *

      実は回復期は“要注意”

 

その日訪ねた折りタキさんは不在で、そのひきこもりのお嬢さん

が出てきた。優しそうな、繊細で壊れそうな印象だった。

 

 

 

 それから程なくして、賀状欠礼の喪中挨拶が舞い込んできた。

突然だった。

 三女 **子 逝去により・・・。

 

 

 それなりの治療も受け、ひきこもりのうつ状態から少し抜け

だして、福祉の専門学校への願書を出しに行ったりもした。

外出もするようになった。その日も元気をだして、ミニバイクで

出掛けて走っている最中、パトカーの尋問に遭ったという。

 

 警官は職業柄、居丈高な態度だったかもしれない。帰宅すると

傷心してふさぎこんで、再び家にひきこもるようになったしまった。

 

 

そして数日後、誰もいない日、サンルームの鴨居に紐を掛け、

 ・・・自死した――。

 

 

 亡くなったあと、専門学校の案内書類の茶封筒が届いたそうだ。

 喪中葉書を受け取って、すぐ、タキさん宅に駆け付けると、

他にもそんな友人知人が来ていて、その一人がタキさんに向かって、

 泣きたかったら、泣けばいいんだよ。泣けばいいのに・・・。

 

 そう言ってる人も傍のわたしも泣いているのに、タキさんは

涙ひとつ見せなかった。

 

 

  

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         悲しみの果てに

 

 サンルームの鴨居から下がっている、変わり果てた末娘を

最初に見付けたのは、お父さんである。

 

 

 

お父さんはその後しばらくして、素人大工に凝りはじめた。

まずサンルームからリフォームしはじめた。サンルームでなく、

ちゃんとした一部屋にし、そこはもっぱらお父さんの独立した

居室として使う。煙草や灰皿が置かれ、時に一服しているらしい。

 

 タキさんが花や野菜を植えていた庭もつぶしてしまい、離れを

造ってそこに渡り廊下までくっつけて、塀囲いをこしらえ、

暇さえあれば大工仕事に精を出し、どんどん、どんどん、

タキさんの家は替わっていった。けれどそれは、どうひいき目に

見ても不細工な素人大工の造りであった。

 

タキさんは、ため息まじりに見守るしかなかった。

 

  

 

最近、タキさん宅を訪ねていない。その後、大工仕事は

どうなっただろう。聞きそびれたままだ。

 

 

完        

 

***上記作品はフィクションです。

 

 



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